<音楽のプロを目指す方へ>その3
このシリーズは2015年春~初夏、FB上にアップした記事の再掲です。
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音楽でのプロを目指すなら、これは知っておこうよと言うシリーズ第三弾。
プロ目指さない人、趣味でやってますって人、またはもう音楽で飯食ってますって方は、この先読む必要はありませんよー。本当に無駄に長文ですから笑。
何度も同じような話を書きます。またこの話かと思われるでしょうが、大事な事なので。
やる気がある方のみ、お読み下さい。苦情は受け付けません笑。
今日は音楽をやるにあたって、その音楽的「努力」について、ちょっとハードルが高いと思われる話をします。
特に、売れたいと願っている自分で曲を書き、楽器を弾き、歌を唄うシンガー・ソングライターの方に向けてお話しします。
音楽のプロを目指すあなたは、そこそこの才能があれば「努力の結果」で、ある程度のクオリティを表現出来るミュージシャンには、きっとなれます。
その才能とは、「音楽が何よりも好き」というレベルでも構いません。
みんな最初はそうでしたから。
でも、その「努力」の手段を間違えずに行っている、と思える若手のミュージシャンはあまりにも少ないのです。
楽器や歌の練習とかいう話ではありませんからね。
ライブや楽曲作りなど、頑張ってやっている若い人でよく目にするのが、自分たちの事を「アーティスト」と呼称する方々です。
「アーティスト」が欧米含め音楽をやっている人たちへの呼び方として、今では一般化された事はもちろん知っています。
僕も時と場合に応じてその呼称を使う事もあります。
しかし僕には昔からその呼称に対しての違和感があり、自分たちを「アーティスト」と呼び合う事への気持ち悪さがいつまでも抜けません。
それは自分たちを「アーティスト」と呼ぶ事によって、自分のオリジナル楽曲の出来具合や、そのライブパフォーマンスを盲目的に肯定化する「壁」を作っているかの様に感じるからです。
まるで「僕が(私が)自分の感覚で作って、良いと思っているオリジナルを唄っているので、あなたも受け入れて下さい。他者からの客観的判断は必要ありません、なぜならば自分はアーティストなのですから」と思っている様に感じます。
山下達郎氏もこう発言しています。
「僕はアーティストという言葉が好きではありません。知識人とか文化人といった、上から目線の「私は君たちとは違う」と言わんばかりの呼称も全く受け入れられない。」
さて、「アーティスト」と呼び合う彼らが作ったその楽曲がリスナーを感動させ、多くの方がまた聴きたいとCDを購入し、ライブにも来てくれる方々が継続的に増えているのならば、まだ良しとします。
でもなかなかお客さんが増えない、CDも売れない、困った。
そんなあなたは、ではもっと良い曲を書こう、書けるはずだという自己本位の「努力」に時間を費やし、身を置いていませんか?
いつまでも自分の世界に入り込んで、自分は「アーティスト」なのだからという自己満足に陥っていませんか?
その前に、自分の作った楽曲を、そしてライブパフォーマンスを客観的に判断するという「努力」をどのくらいやっていますか?
作った曲を何度も聴いて、自分のライブの映像もキチンと見て、良かったところ良くなかったところを確認するという「努力」を継続出来ていますか?
そしてよしんば、その「努力」をやっているとして、その良し悪しの判断基準はどこに置いていますか?
それを自分自身の感覚に置き、狭い範囲でしか判断出来ていないのが、自称「アーティスト」だと僕には思えて仕方がありません。
反対にその判断を他者に求めて確認するという「努力」をするのが「プロフェッショナル」「売れるミュージシャン」に近い方々だと考えます。
僕は40年近く前から、合わせれば数百人近い「プロミュージシャン」やヒット曲を持つ「シンガー・ソングライター」や「歌手」の方を存じ上げていますが、謙虚であるが故に売れる事ができた彼らは、自分の事を「アーティスト」と自称する事など、まずありません。
自分がリスペクトするミュージシャンを尊敬の意味を込めて、オフィシャルの場で「アーティスト」と呼ぶ事があるくらいです。
(スタッフやサポートミュージシャンは、関わるメインの方を外部に対し「アーティスト」と呼ぶことは多いです。判りやすいですから。)
松任谷由実さんは冗談で「私は天才だから」とたまに言います。でも、それは彼女の「覚悟」なんですよ。
ある時お話しした際、「私は曲はいくらでも書けるのよ、いっぱい聴いてきたから。でも日本語の詩はそうはいかないの」とおっしゃってました。
「だからファミレスに変装して行って、若いカップルの会話を盗み聞きするのよ」とは、その時は言いませんでしたが笑。
とはいえ、いつでも他者の客観的意見を聞ける環境には無いですよね。
聞く相手がどんな人かにもよりますし、お門違いの押しつけを行う自称業界人もたくさんいます。
現実には自分で判断するしかない状況がほとんどだったりします。
自分が作った楽曲が、良い曲かどうか正しい判断をするためには、比較検討すべきお手本が必要になります。
それが多ければ多いほど、良い曲が書ける可能性が上がります。
なのでいっぱい良い曲、良いお手本を聴いて下さいというお話は、これまで何回もして来ました。
はっきり言います。
「アーティスト」の君たち、今までほんのわずかな、自分の好きなモノしか聴いて来てないでしょ?
自分がどこかで聴いた、気持ちいい、ちょっと感動した、ああこれ良い、ぐらいのものしか、数多く聴いてないでしょ?
知らない曲、初めて聴いた曲を一回聴いて、反応や判断が出来ないでしょ?
その楽曲の本質(メロディ・歌詞・アレンジ・演奏その他)まで聴けてないでしょ?
何が良い曲なんだか、実は判らないんでしょ?
でも今はそれは仕方ないです。音楽を聴く絶対量の問題ですから。
しかし、もしなんとしても自分が売れたいと思うのだったら、売れる曲を書きたいのだったら、今まで売れた曲、評価された曲、名曲と言われる曲を過去40年分くらい邦楽洋楽問わず、全部聴き切るくらいの覚悟を持って下さい。
「天才」の方は除いて、あなた方はそういう「努力」もして下さい。
とはいえ、それも厳しいでしょうから、1965年から1985年までの20年間の洋楽ベスト10ヒット曲だけでも良いです。
まあ重複もあるでしょうから、たがだか3000曲くらいです笑。
冗談だと思わないで下さいね。
デビューして数十年たっても未だ現役、数多くのヒット曲を持つ、今でもライブをやれば必ず会場を満杯にする日本のシンガー・ソングライターやバンドの方達は、間違いなくそれらの洋楽ヒット曲をほぼ聴いて来てますよ。
とにかく色んな曲をいっぱい聴いてると、初めて聴く楽曲の良し悪し、出来不出来、重要度が徐々に判断出来るようになるんですよ。
そして自分の書いた曲が、そのレベル・次元に近い物かを「自分で」客観的に判断出来るようになってくるんです。
プロミュージシャンと幸運にも知り合いの方にお伺いします。
その人とどこかで飲みに行ったり、お茶した時に、その人が店内で流れるBGMに乗って、はたまた、はまり込んで体を動かしている事、その瞬間を見聞きした経験ありませんか?
会話している最中に、一瞬黙って、その時流れる音楽に集中している瞬間を見た事ありませんか?
で、何秒か、または何十秒か後で、普段のその人に戻り会話が続く事って経験してませんか?
そのプロミュージシャンの方はその時、脳内コンピュータのデータベースにアクセスしたんですよ。この曲は知っている、ああ、あいつらのこの曲か、今聴いても確かに良いな、よし判った、と判定して安心するんですよ。
もし知らない曲で重要だと判断すれば、その流れている曲のデータを取得する行動に出る場合もあります。これは「プロ」としては当然の「努力」です。曲を知る事、体内にデータベース化する事、何度も書いていますがプロの基本です。
しかし売れる、仕事が来るプロミュージシャン・シンガーソングライターには、さらにその先の要素が必要になります。
それは判りやすく言えば「センス」です。日本語では「感性」です。
その上で基本的なプロ意識とその実践が必要となります。その事は「その1」「その2」で散々書いたので改めてお読み下さい。
どうすれば音楽の「センス」を手に入れられるのか?
結局それもしつこいようですが、ただただ音楽を聴く事です。
お若い方であれば、今まで売れたとされる音楽を数多く『ある程度以上のオーディオ環境で、その人にとって、正しく』聴く事によって、その「センス」は多少得られます。
1000曲くらい集中してキチンとした環境で聴いて、その後作った自分の楽曲に良い変化がないのであれば、あなたには音楽の「センス」が無いと思って、趣味に変えて下さい。
またCDなど音源を聴く以外は、現在であれば、出来れば40代以上のプロのプレイヤーで編成されたライブを数多く観る事も非常に効果的です。
調べればそういう方々のライブは、都内のどこかでほぼ毎日行われています。
彼らは本当に巧いですよ。各種楽器のプレイヤーだけで言えば、40代以上の日本人プロミュージシャンは世界レベルです。
だってこのご時世に、日本で音楽のみでプロとして食っていけるプレイヤーなんてその世代がほとんどですよ。まあ、たまに例外の若手の凄腕の方もいますが・・。
いずれにせよ、彼らは古今の名曲をカヴァーする事が非常に多いのです。
つまり良いプレイ、良い楽曲を、ライブで同時に体感する事が出来るのです。
何度でも書きます。
今まで売れたとされる曲を聴いて「うわ、これカッコいい!」「マジこの曲ヤバイ!」「こんな感じチョー好き!」程度では、本当にプロを目指す次元としてはダメなんですよ。まあ音楽ファンならばそれでも十分でしょうが・・。
曲を聴いて「あーなるほど、これ良く出来てる」「いや、この構成はちゃんとしてる」「おーこう来たか、そりゃ売れるわな」という次元で楽曲に対する判断が出来ないと、売れる曲・届く曲は書けないし、プロにはなれないんですよ。
または逆に「これ売れてんの?へー」「どうしてこうなっちゃうかな-」「今どきはこの程度でも良いんだーふーん」というような事です。
つまりそれまで聴いてきた楽曲のあらゆる側面との比較検討を即座に行い、それらを超えた「センス」を持つ楽曲や演奏を自分なりに理解し、かつ感動する事。
さらに自分に合うかどうか客観的に判断したうえで、今ならば売れるであろう基準に対して優劣を判断し、素直に受け止めつつ、これをどう利用しようかと考える事を「努力」するのが、「売れる曲・届く曲を書ける」、そしてプロへの道なんです。
たまに存在する生まれた時から音楽の「センス」があるシンガーソングライターは、初めて聴いた楽曲を(自分がその手のサウンドやメロディや歌詞の方向性をやるやらないは別として)客観視して、良い曲であれば脳内データベースに取り込みます。
さらにそういう方はその曲を速攻で入手し、いつでも聴ける環境を整えます。
聴ける耳と判断能力を持ち、さらに選んだ曲を何度も聴く事による体内への取り込みを日常化しているのです。
でもその人も天才ではありませんよ、日々「努力」してますから。
あまりに長くなったので、「唄」「演奏」というパフォーマンスに関してはまた別の機会にでも。
<おまけ~爆音で聴く事の意義~>
音楽は実は耳だけで聴くのではありません。
60年代後半から世に浸透してきた「ROCK」というジャンルの音楽があります。
「ROCK」は演奏者が、60年代~70年代にかけてやみくもに発達してきた大音量の出るアンプの前で、増幅されたエレクトリックギターやベースを弾く事によって成立してきた側面があります。
彼らは体でその爆音を受け止めて、その音量で鳴らすのを前提に作曲をして、バンドアンサンブルを作って「ROCK」を構築してきました。
ドラムの音さえ聞こえなくなる程なので、同時にPAモニターシステムが発達してきました。
ギターやベースのアンプがうるさいから、その音を下げるのではなく、それでも聞こえるように歌や鍵盤のモニター音量をより大きくしたのです。
そんな爆音を体感して、人の器官で一番実害を被るのは「耳」です。
そりゃ難聴にもなります笑。
つまりその爆音によって、実際の意味で体が震える音楽が「ROCK」だったともいえます。
「ROCK」ミュージックは爆音で聴かないと伝わらない現象が起こり得る、そういった種類の音楽なのです。
なので「ROCK」を聴く時には出来る限りの大音量で聴く事が正しいのです。
でもそれが必要なのは、おおよそ70年代までの「ROCK」です。
その理由は今までさんざん書いてきたので、もうお判りでしょう。
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