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5 ティンタジェル 男たちの町⑤

「面影を追い続ける男」 5 ティンタジェル ー男たちの町⑤ー


 進んでいくストリートの先に、海が待っている。

 雲が垂れ込めた湿った空に、寂しげなシルエットが浮かび上がってくる。かつて城があった幻に、波が打ち寄せ、砕け散る音が鳴り響く。
 
 崖上の城跡に辿り着くまでに、幾つもの石段が配されていた。
 細い緻密なその道標は、訪れる人を騙して、迷路に誘い込むかのように。
 
 風が吹く。強くねっとりとした空気の圧を感じるような荒ぶる風。
 ふと、背後から嫌な感覚が覆ってくるような気配がした。
「ザワザワした妙な音が聞こえないか」
「あなたにはきっと見えますよ」
 彼は意味ありげにそう言って、先に行くように俺を促した。

 石段を登る歩調が妙に彼と合ってしまい、ずらすために一度立ち止まった。
 波の音が強くなる。ほら貝の笛のようにも聴こえる。人をも飲み込む、大きな洞窟のような貝。

 城を囲んでいた切り立った崖に、ウォーと嘆くエコーが唸っていた。
 天辺に立つと、俺は周りの景観に目まいがして、孤立に追い込まれていく。
 そこは、四方を海に囲まれた、捨てられた孤島のようであった。圧倒的に一人を突き付けられる。

 体が浮いてくるような心地よさに揺られながら、轟音と共に近付いてくるものが視界に入った。
 ヘリコプター? バラバラ音がしてもの凄い風が吹く。
 手を伸ばせば届きそうな距離まで接近してくる。

 その時、彼が俺の腕をぐっと掴んだ。
「他の人には、見えてないんです」
 そう言われた途端、見えていたものが消え、全ての音が止んだ。

 崖から見下ろす、身体のない騎士。
 抜け殻となって尚、見つめ続けて風に晒される。

 つながった縄梯子のように、吊り橋のように繋げられた道。全て砂となり消え去って、未来には何も無くなるように。
 過去の痕跡とは、誰かの心にある砂のようなものだろう。

 ここの海の色はまるでトルコ石のように碧緑色で、スポットライトのように日光が当たった部分だけが透き通るように淡い。
 穏やかさと裏腹な、吸い込まれそうな不安。人はそういった感情と無縁ではいられない。

「君には見えたのか?」
 そう問いかける自分が、この青年に揶揄われているような気がした。
「初めて来た時、同じものが見えました。幻覚か。いよいよアルコールにやられたなと」
「俺もその可能性は否定できないな」
「パブのマスターにその話をすると、彼はにこりともせず、『君は特別な人間なんだ。誰にでも見えるわけじゃない』と言いました」

「あの城は監獄として使われていた暗黒の時代があったそうです。ここに立ってみると、城から人を救出するには空からしかないと思うんです。あの石段を馬で駆け上るのは容易なことではない。閉じ込められた人々を救う象徴として見える現象だと、僕なりに解釈しました」

「俺にもそんな特別な力があると?」
「特別な能力じゃありません。多分、特別な経緯を持っているんです」
 ストーンヘンジで頭が割れそうな幻覚を見た時もこんな気分だった。
 俺の中の何かが、昔の悲しみに呼応しているのだろうか。

「もう行かなくては」
 ここにこれ以上居てはいけない。
「何処に? あなたも逃げて来たんでしょう? だから見えた。そうでしょう?」
「俺は、追いかけているんだ」
「何を?」

 彼の手が俺の肩を強く揺さぶる。
「ずっと待っていたんです。僕はこの町が自分の運命だと思った。でも、いつのまにか、ただ迷路に入り込んだだけかもしれないと思い始めた。あなたは僕以外に初めて同じものを見た人だ。教えて下さい、僕はどうすべきか」

 俺が黙っていると、彼は悲しそうにこう言った。
「あなたはここへ来てから一つも本当のことを話してくれませんね。通りすがりの人間に自分が誰かを語るなんて、確かに愚かなことですよね。でも、ひとつくらい答えが欲しいんです」

 俺の今までの態度は、彼を酷く傷つけていた。
「俺はミュージシャンなんだ。彼女はシンガーで、仲間で、恋人で、ある日いなくなった。彼女は俺が追いかけてくるのを待っている。早く来てと叫ぶ声が聞こえる」
 早口でそう語りながら、真実が何処にあるのかわからなかった。

「俺は君が待っていた男かもしれない。でも、答えなんか知らない。いつまでも役が君に合わせてくれるのを待っているつもりか? 俺だって同じだ。答えが見つからない。せめてここからの行き先を一人で考えろ」

 俺はそう冷たく言い残し、車を発進させた。
 ミラーに映る青年は、ずっと俯いたままだった。



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いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。