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16 ヨーク①

「面影を追い続ける男」 16 ヨーク ー鍵盤①ー


 中世の街並みを残すヨークまで、睦月の危なっかしい運転は続いた。

 探したくないものを探している。
 マリアのことを思うと、前に睦月に言われたことを反射的に考えるようになった。
 このまま何も手掛かりが見つからずにロンドンに帰ったら、俺は元の生活に戻るのだろうか。
 旅をしてきたと言って、何も変わらない顔で。
 そのうちに周りの人間も同情することを忘れ、再び同じ生活が始まるのか。睦月は、日本に帰るつもりなのだろうか。

「ね、あの大きなホテルに泊まろうよ。もう明日はロンドンだから、最後の贅沢」

 彼女は駅の近くに聳えている古城のようなホテルを指さし、俺が返事をする間もなく、門の中に車を移動した。
 門から入口まで、車でもかなり距離があった。降りてドアボーイに車のキーを預け、広々としたホテルの回転扉を押した。

 睦月が先にフロントに歩いて行き、今夜の部屋が空いているか確かめている。
「ツインルームでよろしければ」 
 俺は振り返った彼女の代わりに、「ええ、一部屋お願いします」と答えた。
「もう最後だから飲み明かそう。俺の快気祝いも兼ねて」と、彼女の肩に手を置いた。部屋のキーは穴のたくさん空いたカードだった。

 通りに出ると、すぐ目の前に道に沿って続いている城壁が迫ってきた。
「あの上は歩けるようになっているんだ」
 見張りの塔のような形の城門の入口から階段を上がると、城壁の細い通路につながる。この道を使って、ヨーク・ミンスターを目指した。街のどこからでも、教会の塔が目印になっている。

 城壁は街をすっぽり囲んでいるので、すぐ足元に民家の庭が丸見えになっていたりもする。
「イギリスでも天気占いはあるのかしら。靴をポーンと投げるの」
 小さな靴が木の枝に引っかかっているのを発見して、睦月が言った。随分とクラシカルな遊びだな。遠いこどもの頃のことを、あの日の夕焼けと共に思い出す。
「こうしてると何か悪いことをしている気分になるね。人の家の庭を上から覗いて」
「そうね。まるでねこになったみたい」

 行き交う大人たちは、手を広げてバランスを取ったり、相手を揺らして面白がったりして、ここでは子供に戻ったように陽気にはしゃいでいた。
「司の身長なら、普通にしていても塀の中を覗けそうね」
「昔、隣の家にきれいなお姉さんが住んでいたんだ。だから毎日祈ってた。<僕に隣の家の窓を覗けるくらいの背を下さい>って。そのお蔭でこんなに伸びたんだ」
「不純な動機ね。今から祈っても無理かな」
「でも、ここまで高いと不便なことも多いよ。映画館で後ろから文句言われたりね」
「人混みで酸素がたくさん吸えるのはうらやましいな。宇宙にも近いじゃない」
「大袈裟だな。君は日本では普通くらい?」
「そう、平均」

 教会の一番近くの城門で降り、通常の道に足を着いた。
「もっと、さっきみたいにあなたのことを話して。閉館間際の美術館の話みたいに。考えていること、他愛のないこと、聴かせてほしい」

 俺は驚いて足が止まった。睦月は走って教会の中に先に入って行った。彼女の目に涙が光っているのが見えた。



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⇒ 「面影を追い続ける男」 目次

いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。