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野の花の冠


 今日も間もなく日が沈む。気だるい達成感が体を包む。

 駅から家へ帰る道は見事にずっと下り坂で、一度も自転車のペダルを漕がずとも家に送り届けてくれる。
 潔い風がすっと頬を撫でるしあわせな夕方。

 あと少しで家に着く坂の上で、ブレーキをかける。今日も山に橙の日が落ちるまで見届けよう。
 逆光で、どこまでもふんわり白っぽく紗がかかる風景。田んぼに咲く野の花たちも一緒に揺れる。

 ここから幾つ想いを送っただろう。春から夏に。秋から冬に祈りを手渡し、繰り返し。

 あの頃の私は、 蝶を遠くから見守る小学生。
 春休みには、自分でお弁当を作って友だちと自転車で待ち合わせた。ちょっと砂糖を入れ過ぎて焦げてしまったたまごやきを持って。
 わざと行き先は告げずに。

 自転車の前かごに我儘わがままなマルチーズを乗せて。男の子のくせにお嬢ちゃんのように気まぐれな仔犬。一緒に田んぼの花畑で遊んだね。嬉しそうにしっぽを振って笑ってるみたいだった。

 畦道をがたがた落ちそうに進んでいく二つの自転車。君は親友。
 田植えまでのこどもの自由な時間。
 春から初夏までの短い時間の贅沢。

 区画ごとにれんげの間、しろつめくさの間、ペンペン草の間。
 勝手に種が飛んでくるのじゃなく、田んぼの元気のために農家の人たちが秋に蒔いてくれた魔法のようないたずら。

 クローバーは、白詰草しろつめくさというのです。
 江戸時代に阿蘭陀オランダからガラスの器が送られた時、壊れないように箱の中に詰められていた草から芽を出したのがシロツメクサなのですって。異国からの贈り物。

 れんげは、紫雲英げんげが標準和名。
 蓮華草れんげそうが一般的。 淡いピンクに縁どる少し恋色の朱が、いつのまにか幻のようで今は会うことがない。

 ねぇ、知ってる?
 少女たちが作る花冠。れんげとクローバーでは、私たちのあいだでは作り方がちがったんだよ!

 絵が描ければいいんだけど、がんばって説明するとね。
 クローバーの方がたくさん本数がいるの。花をつけたままできるだけ茎を長く摘み取って、一本に花の分だけ少しずらしてもう一本をクロスして重ねて一巻きしていく。

 繰り返すから、できあがると茎がたくさん重なって丈夫。長い花の束にできたら輪っかにして別の茎で結わえる。マラソンランナーの優勝選手の月桂冠の代わりにもなるよ、きっと。強い勝利を称える冠。

 でも、れんげは繊細なの。
 茎の端から少しずらして爪ですっと切り込みを入れて、一本の茎に次の一本をそっと通す。重なり部分は茎の端と花の部分だけ。そぉっと載せないといけない儚げな冠なのです。弱いけれど凛とした冠。

 今はれんげ畑もクローバー畑もなくなって、その場所は菜の花畑に代わっている。思い出と違うのはさみしいけれど、一面の淡い黄色は光を味方に優しくてミツバチのように嬉しくなる。
 菜の花では花冠は豪華すぎるね。 太陽の冠は王女さまに。

 忘れていたけれど、耳を貸して。
 冠に合わせて白やピンクの花の指輪を作ると、もっとすてき。
 男の子にはめてもらうと、しばらくは婚約気分。

 君が見つめてくれた私の指先。こんなこと小声でしか言わないよ。



「行き先のないノスタルジア」 第4話 野の花の冠
 少年よ、少女は花の冠を作るものなのです。


> 第5話 私小説の向こう側

< 第3話 檸檬への傾倒

「記憶の本棚」マガジン

いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。