見出し画像

徒然なるままに京都

ちょっと箸休めに、つらつらと。京都、総司、修学旅行。
(*2016年の頃です。)

 なにかと京都について見聞きする。
 先日は、ツイッターで京都に住む方を羨むあまり、すきなところを羅列しながら、最後に必ず「京都の夏は嫌だ!」の一言を付け加えちゃって、夏の酷い暑さについて意見一致しちゃって、止まらなかった。

 この季節、やりきれないね、京都。
 なんて、こちらも日本一暑いことを競っちゃう県だけど。

 ツイートの京都旅情で、レトロなカフェに行きたくなったり、Aさんまで「京都小唄」なんて、書いてたり。
 すごく呼ばれている気がするな、京都に。それで、よくわからずに、私もちょっと書くこととする。

*1 京都

 初めて行ったのは、東の者ならほぼそうであるように、中学校の修学旅行であった。2泊3日で、奈良・京都。
 その後も、数えてみたら京都には、家族と、友人と、恋人と、一人で、七回行っていた。
 同じ場所にあまり行かない私には、これは希なことであって、第2位のロンドン4回を抜いて、断然トップを走っている。

 いつでも行ってみたいし、叶うなら住んでみたい土地。
 一時期、京都を舞台に長編を書いてみたいと思って、ちょっと一人で取材旅行気分で行ったこともあった。暗礁に乗り上げ、中途で放り投げたままのノート。

 まず、言葉のネック。 似非京都弁が板につかず、撃沈。憧れはあれど届かない、でも、日本なのだという甘え。
 いっそ、遠い方が書けるかもと思って、結局イギリスを舞台にした架空小説に、現を抜かす結果となった。

 さて、七回も行っているから、名所旧跡はあちこち行っている。
 だが、どこの土地を旅行していてもそうだが、地図と無関係に、その土地の生活に触れられるような路地を散歩するのが一番すきだ。迷うのも案外すきだ。カメラを持って裏通り。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」
 賀茂川と高野川、二つの川が出逢うところを見に行く。
 鴨川沿いの石畳を歩く。いつだって、水の流れが気になってしまう。南禅寺裏の琵琶湖疎水のインクラインに沿って歩くのもすきだ。

 しだれ桜の円山公園の夕方。
 初夏の葉が揺れ行く、哲学の道。
 山科の紅葉はらはら散る。
 冬の京都は 未体験。夏は……、もういいか。

 京都について考えると、どんどん、とりとめなくなってゆく。

*2 沖田総司

 新選組、沖田総司、不世出の天才剣士。

 中学の頃、新選組に、いや、正確にいうと沖田総司にはまっていた。
 肺病で早死、剣の達人というだけで、男の子みたいな女の子がハマるには、最高の人物だった。剣道部入部も考えたくらいに。

 でも、その沖田は、ただのイメージであって、「サイボーグ009」の島村ジョーがすきなのと同レベルであった。実在する人物とはいえ、ほぼ架空。創り上げた偶像。

 ドラマでは、いろんな人が沖田を演じているが、私が昔の映画で見つけてしまったのは、若干外人チックでバタくさいのだが、大河ドラマで、真田幸村の父を演じた草刈正雄さんの総司だった。やたらと走り続ける、熱い総司。下駄が似合って、骨太なのに細くて、スッとした横顔で。

 そして、いろんな文献や小説より、いちばんすきだった沖田が、木原敏江さんの漫画 「天まであがれ!」 だった。真っすぐな少年の如く純真な総司と、端正で冷酷な土方歳三。
 木原さんといえば、大正時代の「摩利と新吾」という、ボーイズラブのハシリの漫画を描いている方。

 「天まであがれ!」は長州藩の姫が男装、ロミジュリのような恋をする無茶な設定だが、江戸の試衛館から始まり、息を引き取るまでが丁寧に描かれている。山南さんの脱走のとこなんて、悲しすぎて、おいおい泣いた。人殺し集団と噂され、追い詰められていく新選組。

 特に第3巻は、涙なくして読めない。沖田がもう結核で寝込んでしまっていて、そこに歳さん(土方)がこれから北に行くと、別れを告げにくる シーン。彼は最終的には五稜郭まで行くのを知っているから尚更、泣けてくる。
 一緒に戦いたいと土方を追いかけ、すがって跪く総司の姿に、嗚呼、何度号泣したことか。(莫迦ですね、思春期なもので。いや、今読んでもきっと泣く。)

 あんなに大切だったのに、今手元になく喋っている。失格。みんな美形なのも相まって、もうどうしようもない世界であった。
 ついでに、全巻持っていた009は、どこに行ったのか。

*3 修学旅行

 息子から、修学旅行の京土産に、伏見稲荷のきつね丸ポーチや、八つ橋ショコラ(できれば、あんこがいいが)をもらった。
 うさぎさんのピンク色のガーゼのタオルも、可愛らしい。包み紙から京都の香りが漂う。京みやげ、龍安寺わびすけ、だって。

 去年は、「夜の京都ツアー」という粋な計らいがあって、女の子たちは抹茶パフェを食べに行ったり、足に自信のある男らは、陸上部の顧問の後ろをくっついて、夜の京都を走ったりしたんだって。

 今年は、宿が街の外れにあったことと、集合が守れない信用のない学年らしく、夜ツアーがなくて、ちょっとさみしかったらしい。

 私の時は、伊勢・奈良・京都という強行軍だったので、スケジュールがタイトだった。奈良なんて、渋滞にはまってバスで公園に着いた時には、まもなく班行動が終わる時刻だった。

 ここでは、鹿とただお弁当ね、なんて言われて悔しくて、ちょっと足に自信があった面々だけ、走り回って寺を巡った。その時に出逢えた仏像さまが、今でも一番ほほえんでくれた気がする。笑われたのかな。
 汗だくで戻ったバスの中。お前ら馬鹿かと先生に呆れられながら、達成感でいっぱいに揺られながら食べたお弁当は、何よりおいしかった。

 京都での自由行動も班行動で、時間も限られていたので、さすがに新選組ゆかりの壬生屯所跡に行きたいなんて、マニアなことは言い出せなかった。

 でも、頭の中では、地図を見てなんとかして行けないものかと、策略を練っていた。どこで乗り換えて、どう歩いていくか、ほぼ頭に入っていた。半ば本気で、夜になって宿から抜け出していけないか、考えたものである。
 ついでに、優等生の自分を脱ぎ捨ててしまうのもいいかと。

 父に、新選組の名の入ったミニチュアの日本刀型ペーパーナイフを買ってきた。ずっと手紙を開ける時に使っていて、なにやら時代劇調だったなぁ。  
 自分には、誠の旗や、下駄のストラップを買った記憶がある。宝物にしていた。これらも何処に行った。

 今や、タクシーで中学生が修学旅行を回る時代。
 贅沢だけど、ちっともうらやましくない。半分は監視目的だろう。

 自分で、バスや地下鉄の路線図を見て、自分の足で歩いてこそ、心に残るというもの。若者はお金をいかにかけないかをテーマに、もっと旅をしてほしい。

*4 再び、京都

 この五年、京都に行けていない。最後に訪れたのは、2011年の春だった。
 大震災の後で、余震が続いて、いつ何時も揺れている気がしてしまって逃げたくなったので、数日間、今を忘れたくて出掛けることにした。

 まだ桜には 少し早過ぎてしまったのに、偶然めぐり逢えた本満寺のしだれ桜に、いつしか ほっとできたことを覚えている。

 五年前の想い出の羅列、少しだけ。

 国立近代美術館の、パウル・クレー展。
 メリーゴーランドで、山本容子展。詩的な音楽が聴こえてきそうな絵たち。

 恵文社で買ったのは、左京区の本、こけしのおりがみ、ガストン・パシュラールの「空間の詩学」、ヴァレリー・ラルボーの「恋人たち」。 眺めるだけで、未だ読んでいない。

「スマート珈琲」のたまごサンドは、ふわっと。
 恵文社近くの「つばめカフェ」でねこむらさんを読む。
 柚子胡椒の牛蒡、岡安堂の甘納豆、下鴨茶寮のお弁当。
 京料理じゃないけど、京都に来ると、必ず立ち寄る「おめん」の薬味。

 寺町通り、「一保堂」の抹茶
「村上開新堂」のロシア・ケーキ。
 次は「六曜社」に行って、珈琲とドーナツも食べたい。

 下鴨神社のおみくじの結果、末吉。 糺の森の、たぬきの気配。
 椿の花が浮かんだ法然院。色彩、あざやか。

 梅小路、エーデン、嵐電、トロッコ、女子大バス。

 そして、大事な人に会うため、神戸に向かった。
 その人は拙作『玻璃の音*書房』に、ゆかりがある人。

 恋焦がれ、いつしか振られる京都かな。また遊びに行くからね!




「水無月の残り香」 第25話 徒然なるままに京都
 更に年月を重ね、もう十年以上京都に行っていません。
 この先いつになったら、風を感じるような旅ができるのか。


> 第26話 浴衣の蝶々

< 第22話 縁は異なもの

💧 「記憶の本棚」マガジン

いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。