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2 ソールズベリー① 悪夢

「面影を追い続ける男」 2 ソールズベリー① -悪夢-


 イギリスはロンドン郊外を抜けると、風景が変わる。
 緑の平原があちらこちらに現れ、牛や羊が点在する平和な情景が延々と続く。

 窓を開けると、空気も変わったことを知る。いつの間にか季節は深い秋になっていた。時折、英国の誇るインターシティが横を過ぎてゆく。列車の匂いには耐えられない。

 目の前に大聖堂(カテドラル)の尖塔が見え、ソールズベリーに近づいたことを教える。天国に一番近い場所か。もしもあの塔の先端に立つことがあったなら、俺はまず上を見上げるのか、下を見降ろすのか。

 この街はどこか品行方正な感じがする。整った町並みが醸し出すその雰囲気は、二年前に来た時はとても俺を落ち着かせたのに、今日はイライラさせられた。
 聖なる場所に着いて見上げると、そこからでは近付き過ぎてカテドラルの全景を見ることはできなかった。

 中では、数人の信者が跪いて熱心に祈っていた。少しでも神に触れたいと願う人々と、太陽の代わりをするステンドグラスが調和した宗教世界の中で、とても堕落した考えが俺を支配していた。

 まるで、泥まみれの欲望だ。失った者に対する冒涜。手に入らない者を思考の中で無茶苦茶にする。それを止めさせようとする自分と、嬉しそうに嘲り笑う自分が、離れたり重なったりを繰り返した。

 そんな映像の向こうに、今でもはっきり思い出す美しい横顔が浮かんだ。ただ祈りを捧げる君の姿。まだこの世で生きて行かなければと思い出させる、唯一の糧。

 ここは昔とても好きな場所だったんだ。そんなことが今はひどく哀しい。

 車に戻って煙草に火を点ける。丘の上からのつめたい風が指先に届く。

 今夜の天気は? 予報では「曇りときどき晴れ、ところにより雨のち晴れ」だ。これだけ並べれば、どれかは当たるな。

* 

 ガラスのエレベーターに乗った。

 客は俺の他に二人。全く見知らぬ人間。その二人も知らない者同士のようだった。
 ボタンを押そうとすると全ての階が点滅し始め、どこを押しても言うことをきかない。

 エレベーターは透明な視界のまま、上昇し続けていく。
「どこまで行くんだ?」
「宇宙までですよ」一人が答える。
 そう言っている内にもどんどん昇っていく。急激な上昇に耳がキーンと痛くなって頭を抱えた。

「もし帰りたかったら、扉を開けて飛び降りればいいんですよ」
 もう一人が微笑む。
 俺は高所恐怖症なんだ。だが、このままでは帰れなくなる? 恐怖が募っていく。
 オープンのボタンを押し、俺はひらりと飛び降りた。

 次の瞬間、草地に立って俺は空を見上げていた。すぐ目の前にカテドラルが迫っている。
 先端に何かが突き刺さっている。画面はゆっくりそこにクローズアップされていった。
 それは、俺だった。俺の背中を鋭く尖った塔の先が貫いている。俺の目は上を向いていた。

 うわあ。目が覚めたら、頭の中でもの凄く大きな時計の音が響いていた。

 深く眠れない時には、こんな夢ばかり見る。奥歯を噛みしめていたせいか、顎が痛む。
 しかし、それよりまた一日が始まることの方が、俺には悪夢に思えた。



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いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。