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私は私をしているだけで不都合なことが起こる。

物心ついた時から、共感でつながることや、単一の法則や区分けの集団に混じり馴染むことができなかった。そういう意味では、私は人の心がわからない人に属する。

どうしてもどう頑張っても何やっても浮いたり混じれないのを目ざとい人に見つかり、いじめを受けたり、嫌われたりした。私は私をしているだけでそうだった。いじめまでは行かないにせよ、私と対面し会話し、私のことを、独特な表情で見る人たちは、私のを異物扱いしていた。独特な表情というのは、目がすわっていたり、私のことを既に見ていなかったりしながらも、笑顔でいることだが、多数の人がしてきて、その度、ああまただ、と悲しくなった。

そうやって育ち、成人し、属する集団の選択肢が増えて、私は割と過去になにかあった、所謂「ワケアリな人」たちが集まる集団や、ラッキーなことに職場もそうで。そういう集まりは私に対しそのような顔もせず、時には上司に面と向かって、お前っておかしいよなぁと、理解できないと顔に書いてあったりもしたが、むしろ直球で言われる方が気が楽だった。ちなみにこの上司は、オタク知識が必要な時に私を呼び出したりしたのだが。

20代後半か。ある集団にいた時に久々にその表情の人々に取り囲まれ嫌がらせを受け続けたことで、私は家から外に出られなくなった。今も必要な時や子どもを楽しませたい時、特に次男はまだ小学1年だから、誰もいない道を一緒に散歩をしているのに留まっている。

今の夫と結婚してからは、母親になり、特別支援教育関連の中心人物になったり、義母の入院から介護、看取りまでをキーパーソンとしてやり遂げたので、浮くことを意識せず、むしろコミュニケーションが必要な場面が多大で、結婚から今までで、集団に馴染めるようになったと思っていた。

しかしこの前、ボイスチャットをしていた際に、「あの表情」をするのがありありとわかる声色で私に話す、私についての話題で笑う人がいる、という状況になった。

なんだ、全く変わっていない。私は私をするだけで、こんなふうになってしまうのだ。

それを確認できたのは収穫でもあり、絶望でもある。私は私をするために、そのような表情をする人との遭遇を避けるために、家からなるべく出ず、文字でのコミュニケーションを楽しみ続けようと思う。

声でないと分からないものがある、と言う人もいる。だが私は、声や顔はその人を知るのに必要ないどころか余計で、また、私の意思をきちんと届けるには、文字の方が遥かに楽で勝る。

私は私であることを伝えるためにこれを書いた。

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