とある「字書き」の表現規制
私は10年以上アニメを見ていないし、マンガも小説も読んでいない。ゲームも然り。
理由は単純で、老化で視力が弱まってしまったから、目の負担が大きいのだ。
なので実は
「読み手側としての表現規制」
というのは、そんなに興味がない。
こういうと怒る人もいるだろうが、多分規制後のものも普通に受け入れてしまうと思う。
私にとっては
「自分が自分を表現・意思表明のためにネットや同人誌で文章を書き倒すことが制限される可能性がある」
ということが脅威なのだ。
インターネットを始めてすぐ、テキストサイトを立ち上げた。
以降、はてなダイアリー→mixi→数年間人狼廃人→Twitter、そしてnote
24年間、自分の気持ちや思考をダバダバと、文字で吐き出してきた。
小説もエッセイも書いていないけど、おそらく私もwebで日記を書くという
「表現者」
を、もうすぐ四半世紀になろうかという年数やっているので、文字媒体の表現者として、どのジャンルに入るか分からず、自分自身を
「字書き」
を名乗っている。
これでも一字一句に魂を入れてるつもりだ。
私の文章を
「強い」
と印象を持つ人が多いのはそのせいかもしれない。
更に
「情と理のバランスが凄く良く取れている」
という評価も多い。
情に走れば説得力を失う、理だけで詰めれば読みづらい。
その落とし所や釣り合う場所を、常に片目で見ながら書いてきたんだ、同じようにできる人間、いてたまるか。
「分かりやすい」
との声もあるが、正直なところ、難解だったり、上から目線で人の頭を踏みつけるような文章も書いてみたいのだが、頭がそれを拒否するし、逆に「分かりづらい文章の書き方」を誰か教えてほしい、本当に書けない。
まあ、単なる「字書き」で、今はTwitterという、140字という小さな世界で最大限の自分の頭の中を引き出しているが。
最初は短いと思っていたが、慣れた。
慣れるだけの矜持と力はあるんだぜ?
だからこそ。
私は堂々と
「表現者であり書き手」
を名乗る。
そして。
「表現規制によって自分の書きたいものが書けなくなる世界」
なんて、普通の人が声帯と魂の一部を切り取るようなもので、そんな絶望を味わいたくない。
その可能性が出てくる前で食い止めたい。
奇しくも、2022年7月5日。
中国では
「殺人や犯罪を助長する」
という理由で、ロールプレイのボードゲーム
「マーダーミステリー(通称:マダミス)」
に規制がかかった。
私が数年にわたり虜になった、人狼候補を毎晩処刑する
「人狼ゲーム」
だって、この基準で照準を合わせられたら、たちまち規制がかけられるだろう。
まさか人狼の方面からリアルな規制の音がするとは思わなかったけれど
「好きなものが規制されてしまう恐怖」
を今現在味わっている。
今みたいに放言を書き散らしていたい。
精魂込めた文章を吐き出したい。
ただそれだけだ。
ただのネットの塵くらいの、スマホに向かってタップしてるだけの
「字書き」
の、強い願いだ。
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