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作品アピールが苦手なら「打率の高い」小説を書くべし

世にウェブ小説(ネット小説、オンライン小説)は溢れていますが、その全てが読者に読まれているわけではありません。

中には本文を読まれることすら無く終わっている、野球で言えば「打席に立たせてもらえてもいない」小説もあることでしょう。

どんなに優れたバッターも、打席に立たせてもらえなければヒットを打てないように、どんなにクオリティーの高い小説を書いたとしても、読んでもらえなければ評価されることはありません

本文を「読んでもらえる・もらえない」の違いは何なのか…それはズバリ、作品自体のアピール力です。

本文に至る前の段階で、読者の目に触れる部分――タイトルや「あらすじ」あるいは「作品紹介」で、読者を掴む力があるかどうか、ということです。

(小説投稿サイトさんによっては、他に「一言PR」や表紙画像、タグなどが付けられることもあります。当然これもアピール力に関わって来ます。)

しかしコレ…「小説を書く能力」とは、また別の能力が必要なんですよね…。

たぶんコレは、むしろ「自己アピール」や「PR力」あるいは、営業マンのセールストークや、広告のキャッチコピーを考える能力、「今、何が流行っているか」を掴む「マーケティング能力」に近い種類の能力なのではないかと思います。

(それと、小説の魅力を「制限文字数」以内で「短くまとめる」能力。←長文癖のある作者には、これだけでも相当キツいですよね…。)

「小説を巧く書く能力」があったからと言って、こういった能力が備わっているとは限らないわけですが…

(そして逆に言えば、作品アピール力があったからと言って、本文が面白いとは限らないわけですが…)

現実問題として、まず最初の段階で、この作品アピール力の有無によって小説が「ふるいにかけられている」のは事実です。

評価の土俵――「打席」にすら立たせてもらえないまま、埋もれて消えていく小説は相当数に上ることでしょう。

これがウェブ小説の最大の問題点(ひょっとすると「ウェブ」小説に限らない問題かも知れませんが…)であり、しかしながら改善の難しい点でもあります。

なぜなら、これを変えていくためには、読者の意識を変革していかなければならないからです。

「小説の真価は、結局のところ本文を読まなければ分からない(加えて言うなら、序盤だけでなく、ある程度のところまで読み進めてもらわないと分からない)」ということを、読者が意識していない限り、本文前の諸要素のみで判断され、食べず嫌いならぬ「読まず嫌い」で作品を切り捨てられてしまうことでしょう。

そして、他者の意識を変えていくというのは、そう簡単なことではないのです。

また、たとえ意識を変えられたとしても、現実問題、読者が「全ての作品」を読んで正当な評価を下すためには「時間が足りない」と思われます。

それゆえ、どうしても、どこかの段階で「本文以外の部分での」作品の選別は起きてしまうことでしょう。

作者にできる努力と言えば、ひとつは作品アピール力を磨くことですが…上でも述べた通り、これは「小説を書く力」とは別種類の能力ですので、得意・不得意があると思います。

(正直、自分も得意な方ではありません。学生時代も就活でも自己アピールは大の苦手でしたし、慣れていなさ過ぎてキャラに無いことを頑張り過ぎた挙句に、悪目立ちしたり、自己嫌悪に陥ったり、軽くトラウマになったり…黒歴史しかありません。)

作品アピールが不得意であれば、できることは「打席が回ってきたら確実にヒットが打てるようにしておく」こと――作品のクオリティーを上げ、読んでくれた読者を必ず満足させられるように努力することしかありません。

「捨てる神あれば拾う神あり」ということわざもある通り、読者の全てが「本文以外の要素だけ」で作品を切り捨てるわけではありません。

作品アピール力が低かったとしても「とりあえず本文を読んでみるか」と次の段階へ進んでくれる読者はいることでしょう。

たとえ回って来る打席が少なかったとしても、打率を高くしておけば、ヒットを打てる可能性はあるはずです。

…と言うより、作品アピール力を上げられないなら、そこしか努力できる部分が無いんですよね…。

ただし、この「読者を必ず満足させる」も、かなり難易度の高い目標ではあります。

以前の記事にも書いた通り、読者の「好み」はそれぞれ違いますので、作者にとっての「傑作」が、読者にとってもそうだとは限りません。

<関連記事:作者にとって最高傑作でも、読者にとってそうだとは限らない。だが…

しかし、作者にできることは、とにかく「自分が面白いと思える作品を、妥協無く書き上げる」ことだけです。

そして、できる限り多くの人に通じる「おもしろさ」を見出せるよう、常にアンテナを張り、日々「おもしろさ」を追求し続けることです。

そして、できることなら、ちょっと余力のある時にでも「読者の意識を変える努力」ができれば、さらに良いかな、と(個人が一人でやったところで「焼け石に水」かも知れませんが、何もしないよりは可能性が上がると思いますので)。

個人的には、「作品アピール力を磨かないと」ということに煩わされて、小説自体のクオリティーを磨く時間が減るのは「好ましくないな…」と思っているので。

(ちなみに、ウェブ小説が、ギリギリ作者でも努力できる「作品アピール力」どころではなく、作者ではどうにもならない「数値」で切り捨てられるパターンもあると思いますが…そちらについては、そのうち思考がまとまったら記事にしていきたいと思っています。)


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