クレーター


 自分がなぜ男性に産まれたのか分からなかった。
 股間についている男性器は別の生き物みたいで気持ち悪く、それが自分の意志とは関係なく勃起するのを見ると、自分が何かに内側から支配されているような感じがして、薄気味悪く感じた。

 はじめてそのことを父親に話したときの、あのきょとんとした表情を覚えている。
「まぁでも、そのうち慣れるだろ。それとも、オカマにでもなるか?」
 意地悪そうにからかうその顔が、気持ち悪かった。これと同じ性別だと、僕は思いたくなかった。

 トランスジェンダーについての特集がテレビでやっていた。自分がそうなのかと考えてみたこともあったが、どうやらそうではないらしい。
 というのも、女性というのは一般的に男性のことを好きになるらしく、僕にはその気持ちが理解できなかったから。
 僕は男性が嫌いだったし、自分が男性であるということも同時に受け入れられなかった。
 かといって、女性に性的興奮を抱くかと言われても、微妙だった。性器は勝手に反応するけど、僕自身の頭の中はいつも冷めていた。自分の体が興奮していても、頭の中では「あぁまたか。これだから、男ってやつは」と、深く軽蔑していた。

 小説は好きだったけれど、自分と同じように感じている男性主人公は、ひとりも見つからなかった。そういう登場人物は何人か見たことがあるけれど、それも単なる「外からの目」であって、内側からの目、つまり作者自身が、そういう人間である場合を僕は知らなかった。
 だからどうしようもなく孤独だったし、他の人間の言うこと全てがうまく理解できないし、信じられもしなかった。
 彼らが「誰それがカワイイ」とか「誰それがカッコイイ」とか言っても、それが自分と同じように、他者と同調するためのねつ造された趣味でないと言い切ることができないから、懐疑は深まるばかりだった。

 でも成長して、人を観察することが増えると、どうやら人は皆それほど嘘をついて生きているわけではないのだということが分かった。皆、ありのままの自分でいても、奇異の目で見られない。肩肘張っていなくても「普通」の枠からはみ出ない。
 そう思うと、僕は自分の立っている場所だけがくぼんでいて、他には何も見えないような気がした。月のクレーターに、僕は立っていると思った。誰もいないし、いたとしても、僕には見えないし、触れない。

 寒くて凍えてしまいそうだと思った。誰でもいいから、僕を暖めてほしいと思った。でも差し出された手はどれも穢れていて、ふれる気にはなれなかった。

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