容姿だけが醜い女

 昔から容姿がコンプレックスだった。具体的にそのどこが、ということが考えられないくらいに。
 どこか一カ所さえ直せば綺麗になりそうな子のコンプレックス話が嫌いだった。眉毛の形だとか、鼻がちょっと曲がっているとか、上下の唇の厚さのバランスがおかしいとか、そんな話を聞くのが嫌いだった。

 時々男と見間違われるようなレベルだった。しかも、かなり不細工で背の低い、そういう男と見間違えられるから……私は、女でありながら、男にとっての劣等感も同時に感じてきた。

 運動は、できなかった。人から好かれるようなコミュニケーション能力もなければ、とびぬけた頭の良さも、なかった。
 天は二物を与えずと言うが、私に与えられたその「一」は、並外れた容姿の醜さのみで、それ以外は普通だった。普通の女だった。

 母親も私と同じで醜い女だった。しかも、頭が私よりもはるかに悪かった。父親は、なぜ母親と結婚したのかよく分からないほど、よくできた男だった。容姿はよくなかったが、母や私みたいに、目を背けたくなるほど醜くはなかった。仕事がよくできる人間で、会社では順調に出世している。友人も多い。
「どうして私はこんなにブサイクなの?」
 自分の醜さをほとんど自覚していない母親にそう聞くことは、できなかった。母親は……自分の都合のいい現実以外は見えない人間だった。
 でも父には、率直にそう聞いた。
「なぜ、あんなにブスなお母さんと結婚したの?」
 父は、正直に答えた。
「同情したからだよ。かわいそうじゃないか。俺みたいな男が彼女をもらってやらなかったら、彼女は一生幸せになれないから。実際彼女は幸せそうに生きている。いいじゃないか、それで」
「私は?」
「お前はブサイクかもしれないが、賢いから、自分の力で幸せになれるさ。お前の見た目も性格も、両親から受け継いだものなんだから、何とかなるさ」
 無責任なヤツだ、とは思わなかった。人間はみんな無責任に生きているし、だからこそ、私自身も無責任に生きることが許される。
 何かに不満を持つ人間は、すぐ他人に責任を押し付けるけれど、それは二重の意味で醜い。私の醜い部分は、私の容姿だけで十分だ。


「お前、めっちゃブサイクやな」
 中学二年になったとき、初対面のクラスメイトに面と向かってそう言われた。目をじっと見て……と言っても、そいつは右目が外斜視だったから、左の目だけが私の顔をじっと捉えていた。
「失礼なこと言うね」
 私は、傷つかなかった。それどころか、ちょっとした気分の良さを感じていた。そのさっぱりとした物言いに、悪意が感じられなかったからだ。
「そうか? 事実は事実だろ。私が空気読めないこととか、その辺の連中がお前を笑ってるのも。まぁ、私にとっちゃ、お前よりもお前を笑うようなやつの方が笑われて当然な気がするけどな」
 そう言って、手を差し出した。握れ、ということだろうか?
「なんで私?」
「直感的に嫌じゃない相手みんなにやってるよ、私」
「昔からずっと?」
「回りくどいのは苦手なんだ。びくびく臆病になって、話しかけてもらうの待つのって、しんどいだろう? 私はしんどい。だから、声をかけたいやつ全員に自分から声をかける。友好的に、正直に」
 私は前髪を少し横に逸らして、そいつの顔をじっと見つめた。綺麗な肌だ。顔立ちは整っているけれど、外斜視と、変な髪型のせいで、かなり損している。中性的で、男装が似合いそうな女だ。
「名前は?」
「秋原友里。お前は?」
「私は高島希子」
「知ってる。座席表に書いてあるもん」
「あ、そうか」
「お前、あんまり他人に興味ない感じ?」
「あんまりいい意味で興味を持てないから」
「容姿のせいで?」
「うん」
「くっだらねぇな」
 そう言って、彼女は背を向けて、他の子にも同じようにしに行った。

 結局そのクラスで私は、大人しいグループに入れてもらって、そこで今まで通り静かに過ごしていた。
 秋原友里の陰口は、私の耳にも届くほどだったけど、彼女は一向に気にしないどころか、その陰口の発端と思われる人間に意味もなく絡み始める始末で、そのうち誰も彼女のことを悪く言わなくなった。無視をする人は多いけど、彼女は相手が無視をすると、その子が無視できないような事実を正面から口にしてしまう。つまり、他の子がいる前で、自分の気にしていることを言い当てられてしまう、という罰ゲームを受けることになる。だから、少し時間が経つと、誰もが彼女に対して親切にするしかなくなった。

 そんな性格だったけど、彼女は誰に対しても公平だったし、決して自分のために誰かを利用するような人間ではなかった。清廉潔白、だった。どうやったらそんな人間が育つのか私には理解できなかったし、だからこそ、嫉妬も羨望もなかった。

 私の方はというと、何事もなかった。ブスで得することのうちのひとつに、友達には困らない、ということがある。私は昔から友達が多かったし、誰からも気楽に話しかけてもらえた。男子から悪意のある嫌がらせを受けることはあったけど、それを気の強い友達に言えば、私は何もしなくても勝手に仕返しになる。ブスで大人しい女というのは、他の女にとって誰よりも安心できてなんでも話せる相手なのだ。だから私は友達の秘密をたくさん知っていたし、だからこそ、秋原友里のやり方は、見ていて気分がよかった。
 彼女のあてずっぽうな推測や、人格批判は、かなり的を射ていた。彼女は、自分を無視してくる相手の性格や実際の行状のことは何も知らないはずだけれど、私の知っている対象の裏面通りのことを言い当てるから、本当に彼女は頭が良くて、面白い人間なのだと思った。

 ある時、もし彼女が私を悪く言うなら、何というのだろうと気になった。私は極めて容姿の醜い人間だったから、容姿以外の悪口をほとんど言われたことがなかった。何か喧嘩をしたときに、この容姿の細かい描写をされるとか、容姿通りの性格だとか、結局全ては容姿を絡めての悪口だったから、それ以外の自分の欠点のことには、無自覚だった。
 だからこそ、秋原友里は私の心の底の、どんな部分を見抜いてくれるのだろう、と、気になった。

 都合のいいことに、席替えの時、彼女と同じ班になることができた。だから、すぐにその機会がやってきた。
「なぁ高島さん、私の分のプリントは?」
 ディスカッション型の授業中、プリントを班のみんなに配るとき、私はあえて彼女以外のみんなに渡した後、彼女の分だけは自分のに重ねて持ったままにした。私は彼女を無視した。
「勝手に取るけど、いいよな?」
 何も気にせず、彼女は私の手から一枚だけプリントを取って、他の人たちと話し合いを続行した。

 それからことあるごとに私は彼女に嫌がらせをしたが、彼女は一度も私を悪く言わなかった。先に音を上げたのは私の方で、彼女にそれを直接尋ねることにした。
「どうして嫌がらせをしても、何も言わないの?」
「何が?」
「プリント渡さなかったり、嫌みなこと言ったり」
「あーそれな。だって、敵意感じないし、本当に私が困ること、しないじゃん。だから、なんか事情あるんだろうなぁって思って」
 私は言葉を失った。唇が震えて、俯いて、なんだか……自分の浅はかさが、恥ずかしくなった。
「まぁ、最初は『私なんか悪いことしたかな?』って思ったけど、思い返してもそんな覚えなかったし、高島さんも、逆恨みとかするタイプの人じゃないの、私知ってたし」
「どうして、それが分かるの?」
「そりゃ、人のこと見てたら分かるだろう。そいつが、何をする人間で、何をしない人間か、くらい」
「じゃあ、私の、容姿以外の欠点って何だと思う?」
「容姿なんてつまらないこと気にしていることじゃない? 他のことは分からんわ。高島さん、精神的に安定してるし、人のこともよく見てる方だし」
「でも、こんな容姿じゃ、気にするなっていう方が無理だよ」
「そりゃそうだろ。もし私がそんな容姿してたら、私だって気にするさ。そっから後は、まぁ、その人次第なんじゃない? 私の知ったことじゃないしな」
 その無責任さは、私の父親に通ずる部分があった。優しい無責任さ。
「秋原さん。もし私が、友達になってほしいって言ったら、友達になってくれる?」
「友達? まぁ、それについてはよく分からんが、そういうことでもいいよ。まぁそれなら、遊びに誘ってほしいならそう言ってくれないと誘いづらいし、そっちも何か誘いたいことがあったり、今みたいに聞きたいことがあるなら、ちょいちょい聞きに来てくれないと難しいぜ? 私、あんまり受け身な人と仲良くできる気しないしな」
「私、受け身な人間かな」
「受け身だったら、私に変な嫌がらせしないし、こうやって難しい話をしに来たりしないだろ。そこは高島さんの長所だと思うぜ。全然物怖じしないところ。現実から逃げてないところ。そこは、私と共通してる部分、な?」
 そう言って彼女は自分の胸に親指を立てて、感じよく歯を見せて笑った。

 今まで言われたどんな慰めの言葉よりも、ずっと心の中に暖かく響いた。自分が生きていてもいいんだ、ということを確信できた日だった。
 じんわりと、時間が経つにつれ心の奥底に広がって、どんどん確かになっていくような言葉が、この世にあるんだと気づいた。私は多分、あの日彼女が言ってくれた言葉を一生忘れないと思う。
 あぁ、それまでの言葉は全部、どんなに嬉しく思っても、時間とともに色あせていく言葉だった。
 でも、彼女との会話は、時が経つにつれ、より鮮明に、本質的に、私の頭の中に刻まれていく。寝る前に彼女が言ってくれた言葉を頭の中で思い出すたびに、私は自分がどういう人間であるのかはっきり分かるような気がした。
 私の本質は容姿にではなく、この心に宿っているのだと知った。誰に対しても物怖じしないこと。どんな都合の悪い現実にも、正面から向き合えること。
 むしろこの容姿の醜さは、そのような私の心の輝きをより目立たせるために与えられた、裏面のギフトなのだと気づいた。もし私が普通の容姿だったとしたら、私のこの気質は、長所は、ずっと隠れたままだったかもしれない。それを生かす必要もなく、うまく人生を歩めるくらいに私は器用だったから、この自分の愛すべき長所のことを知ることもなく一生を終えてしまっていたかもしれない。

 天がもし私に醜さだけを贈ったのなら、私は容姿だけが醜い女だと言える。それ以外の部分はきっと……

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