ふたりきりの世界

 五人の仲良しグループがあったとすると、その中に存在する「ふたりきりの世界」は、十通りある、ということになる。十通りの関係がある、ということだ。
 私がここでしたいのは中学生レベルの数学の話ではなくて、人はグループで話をしてるときよりも、二人きりで話している時の方が突っ込んだ話ができるし、より確かな友情を結ぶことができる、ということ。五人の人間が「うちら仲良し!」と言っていたとしても、その十通りの一対一の組み合わせがほとんど作られていない関係の場合は「ただ集まって騒いでいるだけ」の関係となる。
 逆に、その十通りの関係が、すべて異なる形で美しい友情で結ばれていたとしたら、その五人のグループは言葉では言い表せないほど固い絆で結ばれたグループだと言える。


海「って、思ったんですよ」
友里「考えてみれば、五人いるだけで十通り、六人になれば十五通り、七人になれば二十一通り……四十人のクラスなら、ええっと……七百八十通り? 計算あってる?」
海「あってると思う」
友里「この狭いクラスに、一対一の関係だけでも、七百八十通りの友情があるんだな……」
海「ないと思うよ」
真子「まぁ現実的に考えたら、そんな全員に対して特別な関係やら感情やらなんて抱いてらんないよな」
珠美「でも四十人も人がいたらさ、それだけでもすごい量の感情というか、思考というか、そういうのがあるんじゃないかなぁって思えるよね」
友里「なんか吐きそうになってきた」
海「もしリアルな人間関係をフィクションの中で描きたいなら、かなりの感情と思考をひとりでシミュレーションしないといけないよね。だってそれぞれが主観的に、他の人を判断してるわけだからさ」
友里「小説家って脳のキャパすごくない?」
海「いや私が思うに、大半の小説家はキャラクターを簡略化したり、舞台を狭めたり、主人公の視点のみに絞ったりして、うまいことさぼってる気がする。それに、人によっては小説は現実逃避の道具だから、そこでは現実のような複雑さ、煩雑さは排除すべき、って思ってる人も少なくないみたいだしね」
珠美「でも、現実みたいな複雑な人間関係っていうのも、面白いと思うけどなぁ」
真子「私だったらぜってー疲れる」
友里「せやな」
海「ひとりひとりの人間が複雑な感情を抱いていて、他者に対して別の評価基準を持って判断している、と考えると、人間の脳はなかなかに混乱するし、気持ち悪くなると思う。でも実際には、人間の思考というのは通常複雑で、複雑でない人の方が稀なんだよね。みんななんだかんだ、他人のことをそれぞれよく見てる」
友里「よく見てるくせに『他人はきっと自分ほど深くは考えていないだろう』って決めつけるよな。みんなそろいもそろって」
珠美「私は何も考えてないけどね」
真子「嘘乙。お前は考えてないふりしてるだけー」
珠美「いやいや。だってみんなの意見聞いてると、すごいなぁって思うもん。普段から色々考えてるから、そんな風にすらすら自分の意見が出てくるんだろうなぁって」
友里「お前、今普通にすらすら自分の意見言ってるやんけ」
珠美「いやこんなんみんな言えるよ」
真子「そうかな?」
珠美「私なんて、今日の晩御飯何かなぁとか、予習めんどくさいなぁとか、りっちゃんかわいいなぁとか、そんなことしかふだん考えてないよ」
友里「私はそうは思わんけどな。自分が考えたこと忘れてるだけちゃう? お前はお前で色々考えてるように、私には見えるけどな」
真子「私もそう思う」
海「たまちゃんのこと『こいつ何も考えてねぇな』って思うこと、私ないよ」
珠美「えーそうかなぁ。えへへー」
真子「まぁでも、比較の形になるけど、友里や海はめっちゃ考えてるから、そこと比べちゃうと確かに考えは浅いかもなぁって思うことある。私もだけどね」
友里「私は別にそんな頭よくないし、別に大して考えてないと思うけどな。海はマジで話まとめるのうまいし、理知は言うまでもないし。真子はまぁ、私と同じくらいじゃない? 頭の良さとかも」
真子「私の方がテストとかの点数は高いけど、地頭は多分友里の方がいいよ。記憶力も、計算も、友里の方が早いし」
友里「んん。まぁそうか」
海「一長一短だよね。私としては、友里は疑問とか発想とかのセンスがよくて、真子はツッコミがいい。みんなが見落としてるところ指摘してくれる。たまは……たまは……」
たま「おい!」
海「い、いや、たまちゃんはついてくるので精一杯の時もあると思うけど、基本はいいところにいい意見置いてくれるし、助かることも多いよ」
友里「へったくそなフォローやなぁ」
真子「いっそのことジョークにしとけ」
海「たまちゃんはかわいい。和ませ役。おけ?」
珠美「海ちゃん先生! 納得できません! 私ももっと賢くなりたいです!」
友里「賢くなってると思うけどなぁ。私もそうだし、みんなこうやって喋ってる中で成長してると思うけどな」
真子「うん。たま、置いてかれてるとかでもないしな」
たま「ま、気にしなくていっか!」

海「話し戻すけど、それぞれが二人きりのときどんな話するのか気になるくない? プライベートな話だけどさ」
真子「んー。あんまり考えたことなかったな」
友里「そうだなぁ。海と理知が二人きりになったときどんな話しするのかはちょっと想像できないな。他は……あぁ、真子と理知が二人きりなのも、あんまり想像できない」
真子「ん? 私は普通……あーでも、ちょっと普段より甘えることあるかも。あと、理知、異常なほどゲラで、どんなつまらないダジャレでも笑ってくれるし、時々意味不明なほどツボってるのが面白くて、ふだん言わないようなくだらないこと言いまくってるときある」
珠美「私は割といつも通りかなぁ、対りっちゃん」
真子「海は?」
海「割と突っ込んだ話すること多いと思う。勉強の意味とか、将来のこととか、友達のこととか」
友里「あーなるほど。そんな感じなのか」
海「友里ともけっこう突っ込んだ話すること多いよね」
友里「言われてみればそうだな。二人きりになると、あんまりふざけへんな?」
海「うん。友里と真子とこはどうなん?」
真子「ずっとくだらないことで盛り上がってる。そして時々喧嘩する。なんか男子同士みたい」
海「安易に想像できる」
友里「真子とたまは?」
珠美「エッチな話ばっかりしてるよねぇー!」
真子「不本意ながら」
珠美「この子、みんなの前では不本意とか言ってるけど、実はエロい話大好きだからね?」
真子「隠してはいないけどね? でも理知がそういうの好きじゃないんだから、控えるべきだろ。友里も海も、ピュアピュアしてるし」
友里「私ってピュアなのか」
海「ピュアっていうより……いやまぁ、ピュアなのか……」
真子「ほら、こいつらこうやって悩み始めるんだよ」
珠美「みんなでエッチな話はできないな、これじゃ」
海「えっと、あとは……」
友里「海とたまは、犬みたいにきゃいきゃいやってるだけだろ?」
珠美「言い方よ!」
海「時々、女子女子したくなるからね」
友里「その気持ちは分からんが。真子と海は?」
真子「そもそもあんまりしゃべらんよな?」
海「そうだね。なんだろ。接点がないのかな?」
真子「なんか会話続かないっていうか、妙な感じなんだよなぁ。海、何考えてるか分からんし」
海「うーん」
真子「なんか、あんまり感じよくないけど、私海から『くそつまらんやつ』って思われてるんじゃないかなぁって思ってる」
海「私が、真子を? くそつまらんとは思ったことないけどなぁ。分かりづらいジョーク確実に拾ってくれるし、優しくて面白いと思うけど」
真子「でも二人きりでそういう掛け合いしててもあんまり楽しくないんだよな。笑ってくれる人がいないと」
友里「なんか、お笑いコンビのあの変な関係性みたいだな。お互いのこと嫌いではないけど、好きでもないし、なんか、いまいちプライベートでは仲良くできない、みたいな」
真子「それに近いかもなぁ。お互いのことをあまりに役割的に見てるかもしれん。海が海がーって私言ってるけど、私だって多分海のこと『道化染みてる』とか『壁作ってる』とかって勝手に決めつけてるわけだしさ」
海「でもそれは事実だよ。私が道化染みてて、人の間に壁作ってるのは、多分ほんとのことだし。むしろ、そういうの言ってくれるのありがたいよ」
真子「うーん。そうかぁ。よく分からないんだよね」
友里「まぁでも、お前ら二人は喧嘩しそうにないよな」
真子「多分私が怒っても、海はすぐ謝るか、雑に距離置いておしまいだから……っていうか、海が怒らない人間なんだよね。特に反撃してくる相手に対しては」
友里「まぁ、私も海と喧嘩したことないしな。っていうか、海って喧嘩は誰ともしないよな」
海「疲れるだけだしね。意地悪なこと言う時はあるけど。でもだからこそ、友里とか真子とかたまみたいに、時々本気で怒って正面から喧嘩できるのすごいなぁって思う」
友里「理知も喧嘩しない人間だけど、海とは違うタイプだよな」
海「りっちゃんの場合は、私と違って、りっちゃんが怒るとその相手は引くしかなくなるからね」
真子「っていうか海は理知に叱られたことあるの?」
海「最近はないけど、会って仲良くなり始めたころには、何度かあったよ。『海、それやったら私怒るよ』って言われたこととか……」
友里「私理知に怒られたことないけどね?」
珠美「えっほんと? 意外」
真子「私もない。まぁ、注意されたことはある気がするけど」
友里「注意くらいは私もあったかもな」
珠美「私はしょっちゅう怒られてるよ?」
海「たまはセクハラするから」
珠美「これでも控えてるんだがなぁ」
真子「でもこう考えると、理知って全然喋らんけど私らを影で操ってるんだなぁ」
友里「言い方よ」
海「でも、私たちが仲違いしないように調整してくれてるような気はしてる」
理知「やってないよそんなこと」
珠美「喋った!」
理知「私はその時私が言うべきことを言うだけだからね」
友里「でも理知の中で、どういう基準で人を叱ったり叱らなかったりするの?」
理知「私は叱るっていう気持ちで何かを咎めてるんじゃなくて、それをするような人とは距離を置かなくちゃいけないから、『さもなくば』っていう形式で自分の立場を表明しているだけだよ」
真子「なかなか怖いこと言うな」
友里「怖いか? むしろ私はすげぇ楽だなって思うけど。自分のこと振り返るきっかけにもなるわけだし」
真子「まぁそれもそうなんだけどね。でも、なんていうか……もし自分が何か悪いことをしてしまったら、理知からは容赦なく切り捨てられるんだろうなぁって思うと、やっぱ怖いな」
理知「事情をよく知らないのに勝手に決めつけたりはしないよ。でも、事情を知ったうえで、反省もせず、開き直ってるようだったら、私自身の身を守るために距離を置く、ということはすると思う」
海「私、そういうのないから時々すごく羨ましくなる」
友里「不寛容っていう見方もできるけど、もっと広い視野でみれば、そういう態度で生きてた方が周りの人間を守れるよな。私は理知みたいな態度は好きだ。私もそうありたい」
真子「私は無理だなぁ。そんなはっきりと、自分の倫理観に自信持てないわ。周りがやってたら、自分もやっていいって思っちゃう。誰かが咎めてくれないと、自分で自制効かせられる自信がない。理知とか友里とかは、ほんとにそれができるんだろうから、ほんとに尊敬してる。あと、たまも多分さ、もしいざとなったら、いい意味で感情を優先させられると思うんだよね」
珠美「どういうこと?」
真子「たまは、多分周りがおかしくなってたら、自動的に精神的に不安定になって、それまで通りに人と接することができなくなるってこと。結果的に、悪事に加担することができないってこと」
珠美「あー。それはそうかも。私、誰かが泣いてると泣きたくなっちゃうもん。平気なふりはできるけど、本当の意味で平気にはなれないな、多分」
真子「うーん。そういう意味では、私が自分の嫌だと思っている部分が、海と共通してるから、いまいち海のこと好きになれないのかもしれない」
海「でも私は、多分、その点真子よりも幼いよ。私、そういうことで良心の呵責感じないもん。自分が楽しくて幸せならそれでいいって思ってる」
友里「私だってそう思ってるけどな。でも、人として守るべきものはあるだろうなって思ってる。それに反しない範囲で、だろ」
海「その、人として守るべきものってのが、感覚的に分からないんだよね。社会的にダメだとされていることは理解できるし、そもそも人から『ヤバイ奴』って思われることはデメリットしかないから、避けるけどさ。でも根本的な部分として『人を傷つけてはいけない』とか『嘘をついてはいけない』とか、そういう倫理観の共通項ってさ、それ自体が嘘であること多いじゃん。従ってても、ろくなことないじゃん」
友里「利己的に考えたらそうだけど、でも周りの人間がそういう風に生きてたら、他でもない私たちが不快じゃん。『周りにはこうしてほしいから、自分はこうする』っていうのが倫理の原則なんじゃないの?」
海「それだとりっちゃんの倫理観が説明できない。りっちゃんは、自分自身しか縛らないようにしてる。だから『もしあなたがそういう人間なら、自分はそういう人間と付き合ってはならないから、それを理解しておいてね』という言い方しかできない」
友里「ちょっと待ってくれ。あまりにその問題は難し過ぎる」
海「うん」

友里「考えてみたんだが、さっき私が『周りはこうしてほしいから、自分はこうする』って言ったけど、それは後付けの理屈だったわ。ただ先に『私がこうしたい』っていうのがあって、その正当性を主張したいがために、周りにそれを押し付ける方式になってただけだ。
 私はただ、意味もなく誰かを傷つけるは好きじゃないし、見ていると気分が悪くなる。だから、そういうことをしている人間には、敵意を持つし、敵意を持っていていいと思っている。だって、その時点で私の目に害を与えてるわけだからな。私は自分勝手なんだよ。
 そんで、海がもし、誰かが傷ついていてもなんとも思わないなら、別にそれでいいと思う。それって幼さじゃなくて、個性だよ。でもそれで、私とか、他の人間を傷つけて楽しもうとしたり、私の見てるところで無抵抗の人間に何かしたりしたら、それは普通に咎めるよ。だって私が不快なんだから。それで折り合いがつかなきゃ、私たちは距離を取るしかないし、どちらかが譲歩できるなら、私たちは友達でいられる。私はそういうことだと思う」
海「そう言ってもらえると助かるよ。私は多分、人よりストレスを感じにくい人間なんだと思う。だから、ひどいこととか、悲しいことか、そういうのが目の前で起きててもあんまり何も感じない。別にいっかって思っちゃう。そのうえで、人並みに加害欲とか支配欲もあるから、時々そういう行動をとりたくなっちゃう。でも、さすがに優先順位ってものは分かってるよ。自分の欲望をただ満たすよりも、友達と毎日いろいろなことで遊んでた方が楽しいし、自分自身が成長できるって分かってる。
 ま、私も思春期なんだよな、多分」
真子「私は友里の理屈には全部賛成することはできないけど、今の海の話は結構理解できるよ。私は別にストレスに強い人間ではないけど、自分の快不快よりも、利害の方を優先する人間だし、体調が悪いときは感情的になって、大して意味もないのに人を傷つけることもあるし。形は違えど、やっぱり私と海って、けっこう似てるところがあるんだと思う。ただ重なってるところが、互いにあんまり意識したくないところだから、いまいち受け入れらんないってだけで」
海「そうかもね」

 その日の終わりに。
海「あのさ、真子。今度の休み、ふたりでどっか出かけない?」
真子「いいよ。行こう。行先は……」
海「映画見に行きたい。見たい映画があるんだ」
真子「うん。分かった。ネタバレしない程度に予習しておくの好きだから、タイトルだけ教えて」

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