美しいものは全て心の中にある

 今日は保護者会がある日だったので、授業は五限までだった。部活もなく、皆いつも以上に明るかった。
「ねぇ帰りカラオケ行こうよ!」
 クラスの中心人物的な子が、大きな声でそう言った。周りのうちの何人かは嬉しそうに「いいね!」と同意した。
 そして、わいわいがやがやと、誰それを誘うだとか、何人くらいになるとか、そういう話をし始めた。
 私は何となく、たまにはそういうのもいいかなぁと思ったので、誘われたら行こうと思った。
 誘ってほしそうにそわそわしとけば、そのうち誰かが気にかけてくれるだろうと思ったのだ。

 しかし結局は、誰も私に話しかけてくれなかった。多分、今まで誘われてもほとんど断っていたからだし、そもそもすでに人数が多くて、これ以上増やしたくなかったのかもしれない。
 
 しょうがないということは分かってる。でも、感情的には、激しい寂しさを感じた。それなら自分から入れてもらいにいけばよかったじゃないかと、私の中の批判的な部分は言うけれど、そこまでして行きたかったわけじゃない。ただ何となく、気まぐれで、そういうのも悪くないかなって思っただけなのだ。

 ちょっと思い通りにならなかっただけで、なんでそんなに落ち込む必要がある? ひとりは慣れているじゃないか。短い期間ながら、中学時代に仲間外れにされていた時期だってある。その時は全然平気だったじゃないか。なんで今更電車の中で、静かに涙を流したりするんだ? 仲が良さそうなカップルが腕を組んでドアの手前でいちゃついているのを見て、反感を持ったりするんだ?
 惨めじゃないか。

 私に友達がいないのは、友達を作るために自分のリソースを割きたくなかったからだ。私のやりたいことは大体ひとりでするようなことだし、精神的に人と関わる余裕があるわけでもない。
 これは私が選んだことなのだから、甘んじて受け入れるべきだ。そうだろう? そうでしょ……

 窓の外を眺める。目を閉じる。疲労感で、意識がとぎれとぎれになっていく。なんだかどうでもよかったから、乗り過ごしてもいいや、と思った。なんだか今日はとても疲れた。がっかりだった。特に、自分自身に対して。

「あぁ、久しぶり」
「兄さん」
 半年ぶりくらいだろうか? 大学二年生になった兄さんは、以前よりずっと顔色がよかった。
「高校、どう? 楽しい?」
「ほとんど通ってません。今日はたまたま、気が向いたので行ってみただけです。兄さんの方はどうですか?」
「そこそこやってるよ。一応単位、一個も落としてない」
「すごい……のかなぁ? 私大学の単位を落とさないのがどれくらい大変なのか分からないんでアレですけど」
「かなり少なめに取ってるから、世間的な基準で言えば全然すごくないよ。でも僕自身としては、ずいぶん頑張ったかな」
「兄さんは優秀です」
「怠惰だけどね」
「私よりはマシですよ」
「バートランド・ラッセルは、怠惰は美徳だと言ってたけどね」
「私あのおじさんあんまり好きじゃないですけどね」
「論理哲学はコンピュータ科学の基礎に直接繋がってる。僕は結構あの分野が好きだ」
「私はコンピュータを便利な道具としてしか見ていません。ブラックボックスです」
「プログラミングとか、勉強したことないの?」
「ゲーム制作を少しやってみたことがあるので、基礎の基礎くらいは。でも、それがどのような歴史を持っていて、どのようにして基礎が確立されたのかは、全く分かりません。興味もあることにはあるのですが……どこから学べばいいか」
「今度お勧めの本を見繕ってあげるよ」
「本当ですか? 感激です」
「大げさだなぁ」
「あとその……時々、勉強とか学問とは関係のないことで、連絡とか取ってもいいですか?」
「デートの誘いとか?」
「まぁ、はい」
「いいよ。今は彼女もいないし」
「前の方とは別れたんですか?」
「うん。後腐れなく、ね」
 ちょっとほっとしている自分がいると同時に、きっとそれもバレているんだろうなと思った。
「変な話ですね」
「何が?」
「恋って、変だなぁと思って」
「字面も似てるしね。みんなそう思ってるよ」
「これは単純な本能なのでしょうか? 生殖本能というか」
「近いものだとは思うけど、まぁそんなに単純ではないだろうね。人間のつがいは極度に社会的だから」
「認識する者は認識するとき、人間を動物だと思っている」
「ニーチェかな?」
「えぇ」
「君は相変わらずだなぁ」
「恥ずかしいと思います?」
「少しね。でも、楽しいとも思うよ。楽しい衒学だ。でも僕くらいしか、乗っかっれる人はいないんじゃないかな?」
「そうですね。父はそもそも理系人間なので、文学には詳しくないですし。母はそもそも無知蒙昧なので」
「あまり親を悪く言うものじゃないよ」
「そうですね。ともあれ、私が本音で話せるのは兄さんだけです。昔から、今まで」
「その割には滅多に連絡してこないよね」
「依存したくないんですよ。私も、ひとりで生きていたいと思ってるんです」
「そうだね。それが大事だ。僕も、自分自身もそうだけど、君にはひとりで生きていける人間であってほしい。孤独を耐えられる人間であってほしい」
「そう言っていただけると、心強いです」
「僕はいつでも君の味方だ。離れているからこそ、だ」
「私たちは確かにかつて、心の深い部分で結びついていた」
「もう終わったことだ」
「それでよかったんですよね」
「そうでなくてはならなかったんだ」
「さて、もう行きます。多分、連絡しないと思います」
「うん。さようなら」

 目を覚ます。妄想の世界から、戻ってくる。ちょうど降りるべき駅のところで目を覚ますことができた。意識はしっかりしている。あの人はちゃんと死んでいる。分かってる。これでいいのだ。

 外は明るくて、少し目がくらんだ。太陽は容赦なく私を照り付けている。
 人生は、まだまだ長い。長すぎるくらいだ。歩き疲れたなんて言っている場合じゃない。
 さぁ踏ん張りどころだ! 今日も私は私自身であることに耐えなくてはならない! そうだ。
 これでよかったのだ。こうであるべきだったのだ。こうでなくてはならなかったのだ。

 そうだ。それが私の人生だ。


 美しいものは全て心の中にある。

 そうだ。心の中にしかないのだ。

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