世界が面白くなるほど、自分自身が面白くなくなっていくような気がした【ショートショート】

 学校が終わったあとの夕方、ため息をつきながら家のドアを開ける。手洗いうがいをして、トイレに行って、水筒を出して、弁当を片付けて、シャワーを浴びて、髪と肌の手入れをして、部屋着に着替えて。自分の部屋のパソコンの電源を入れて……

 イラスト投稿サイトを眺める。みんな上手だ。見ていて飽きない。
 動画投稿サイトで音楽を聴く。まだ視聴数が伸びていない、質のいい新曲を探す。うん。探せば必ず見つかる。才能のある人は、いくらでもいる。嫌になるほどに……

「海姉! 今から空とツタヤ行くけど、来る?」
 三女が部屋の外から話しかけてくる。
「んあー。パスで」
 気が乗らなかった。
「そっかぁ。なんか借りてきてほしい漫画か映画ある?」
「ううん。ない」
 自分の声が情けなく響く部屋の中。自分はなんてつまらない人間なんだろう、と嫌気がさした。ベッドの上に横たわり、しみひとつない白い天井をぼおっと眺める。
「私、なんで生きてんだろ」
 そうつぶやいてみる。馬鹿みたいだと反射的に思って笑ってしまう。少し、病んでる人がうらやましくなった。それだけ人生に真剣になれているということじゃないか。私にはその気持ちがさっぱりわからない。
 面白いか、面白くないか。それだけを考えて生きてきた。難しいことで悩まず、難しいことをこなすことだけに集中して生きてきた。
 皆は私を羨ましがる。勉強もできて、人付き合いも得意で、顔もいい。運動はそんなできないけど、今時女子にそんなものを求める人はめったにいないから、どうでもいい。
 ……といいつつ、テレビで自分より年下の女の子がスポーツの世界で活躍した話を聞くたびに、小さな嫉妬心を感じるのだから、私も馬鹿な女だと思う。何かスポーツを真剣にやって、真剣に悔しがって、何か成長のようなものを実感してみたかった。
 今更もう遅い。できるかできないかが重要ではなくて、もうどうしようもなく、やりたくないのだ。苦しいことやしんどいことに耐えるのは、学校の勉強だけで精一杯だ。
「おーい月! もう行った?」
 返事はなかった。やっぱり私も二人について行こうと思ったけれど……
 のそのそと部屋を出て、玄関に二人の靴がないことを確認して「遅かったな」と思った。がっかりして、部屋に戻る。

 何もないな、と思う。私には何もない。絵も描けない。曲も作れない。面白い話で人を喜ばせるのだって、できない。できないというか、そうしたいと思えない。
 誰かに喜ばせてもらうたびに、私は自分が面白がることしか取り柄のない、無駄な存在なのではないかと思ってしまう。
「無駄な存在でもいいじゃん。楽しむ人がいなければ、ここで人を楽しませてる才能ある人たちだって、寂しくてやる気なくなっちゃうはずなんだから、きっと」
 そう思って自分を励ましてみる。だめだ。反対する言葉ばかりが浮かぶ。
「誰も見ていなくても、好きだからという理由だけでずっと続けている人たちもいる。それに『楽しむ人』というのはいくらでもいて、しょせん私はそのうちのひとりだから、ひとりいなくなったって誰も困らない」
 ため息をついた後、嗤う。自分を嗤う。

 誰かを傷つけたい衝動を感じて、叩いてもいい誰かを探すことにした。インターネット上には、馬鹿なやつがいくらでもいる。匿名掲示板でもいいし、人の多いSNSでもいい。自分以外の誰かを貶せば、自分の空しさは忘れられる。
「でもそれを自覚してしまった時点で、それは意味がなくなる」
 前にネット上で知り合った男の人とその話をしたときに、そう言われた。確かに、そうかもしれない。中学生の時は、もっと無邪気に人を罵ることができていた。高校生になってからは、文章を書くまではやって、それを投稿せずに消してしまうことが増えた。
「こんなことをしても無意味じゃないか。それに……あの汚い連中と自分を同列に扱うなんて、気分が悪い」
 きっと私がそう思っていることをあの人が知ったら、あの人は「海ちゃんも大人になりつつあるんだろうね」なんて笑いながら言うんだろうな。それで私は、ちょっと悔しい気持ちになって、あの人の悪口を言う。
 そうやって、慰め合うんだ。

「お久しぶり~」
 その人とはあるネットゲームで知り合った男性だった。日本人の少ない海外のネットゲームだったから、言葉が通じるというだけの理由で仲が良くなった。ゲームの趣味はあまり合わず、あの人が誘ってくれたゲームは私にはあまり面白く感じられなかったし、私が勧めたゲームも、その人はあまり楽しむことができていなそうだった。
 でも、会話は楽しかった。頭のいい人だったから、話の引き出しも多いし、私が若い女だからといって変な気遣いをしない部分もよかった。きっと根が上品なのだと思う。時々思いついて口にする下ネタも、なんだか男性特有の性欲の混じった感じはしなくて、言葉を選ばなくても、誰とでも仲良くなれるタイプの人なのだろうと思った。
「久しぶりだね海ちゃん。元気してた?」
「元気してたよ」
「うん。よかった。俺も元気。めっちゃ元気」
「Aさん、相談したいことあるんだけど、いい?」
「いいよ」
「現代社会って、面白いもので溢れてるじゃんか?」
「そうだね」
「空しくならん?」
「なるね」
 ただ相槌を打っているだけではなく、強い確信をもって同意してくれているのは声色から分かった。
 試しに黙ってみると、Aさんは間を持たせるためではなくて、単純に自分に話す番が回ってきたときのように自然な形で、口を開く。
「受け取ってばかりで、申し訳ない気持ちにもなる」
「そう。それもある」
 今度は、Aさんの方が黙る。私の話す番だ。
「それでさ、Aさんはそういう気持ちになったら、どうする?」
「んー。もう慣れちゃってさ、別にいいんじゃないかなぁって思ってる」
 予想出来ていた回答だ。
「それが大人になるってことなの?」
「ある意味ではそうかもね。ほら『つまらない大人』っていう言葉あるじゃん? それってある意味では『つまらなくてもいい』って自分のことを許してる、落ち着いた人格の大人っていうことでもあるんじゃないかなって」
「詭弁に聞こえるけど、まぁでも、そうなんだろうね。大半の大人って、つまらないのが事実だろうし」
「面白さだけが全てじゃないしね」
「分かってるけどさ、私たちって豊かな時代に生きてるわけじゃん? 退屈が許されるくらいには」
「そうだね」
「生きてる価値って、ある? 死ぬ危険があるとか、働かないと住む場所もなくなるとか、そういう生活をしてるなら、生きてる価値なんて考えなくてもいいのは分かるよ。でも私たちの置かれてる状況って、そうじゃないじゃん。生きることは、国が勝手に保障してる。勝手に死ぬことは、基本できないじゃん。四方八方から止められるし、それでも死にたいって言ったら、家族が勝手に精神病院に入れようとしてくる」
「海ちゃんって病んでたことあるっけ?」
「ないよ~。でも、ネット上探せばそういう風な人いくらでも見つかるわけじゃん? 私、いろいろ検索するわけだから」
「そうだろうね」
「だから実際のところ、私たちにとって、生きることに耐えることが課題なんじゃないかと思って」
「耐えること、かぁ。ただ呼吸してるだけ、みたいなのでも生きてるって言えるかどうかの問題かもね」
「うん。なんか、Aさんとこういう話してるときは、結構真面目に考えてるし、生きているっていう実感があるんだけどね。ひとりきりになるとさ、何もかも馬鹿らしくなって、真面目に生きてる人とか、真面目に苦しんでる人とか、そういう人が時々羨ましくなるんだ」
「なるほどね。逆に真面目にしか生きられない人からすると、海ちゃんみたいな人は気楽そうで羨ましいんじゃないかな?」
「かもね。Aさんはどうなの、その辺」
「俺は海ちゃん寄りかなぁ。人生をあまり重く見てない。見てないっていうか、見れない。しんどいことがあっても、考えるのやめてそれ乗り越えることに集中するし、楽しいことは楽しんだ方が得じゃん? みたいに雑に生きてる」
「空しくならん?」
「なるって言ったじゃんさっき」
 ははは、と友好的な笑い声。
「でも、空しさなんてどうでもいいでしょ。空しさが俺を楽しませてくれるわけじゃないし」
「そうだけどさ。でもさ、どうにかしたいって思わない?」
「創造性発揮したいとか言うの? まぁ海ちゃん、そういう気質はあるよね」
「Aさんにはないの?」
「あったけど、捨てちゃった。大変だし、才能ないしね。俺は適当に仕事して、毎日好きなことして、そのうち年下の美人のお嫁さん貰って、子供も二人か三人くらい作って、それで十分かなって。つーかそれでも贅沢なくらいかなぁって思ってる。周りに大変そうな人いっぱいいるしね、俺」
「私って強欲なのかな」
「めちゃくちゃ強欲だと思うよ」
「なんかどうでもよくなってきた。またね」
「うん。楽しかったよ。ありがとう」
「こちらこそありがとう。また連絡するね」
「じゃあね」
 通話を切る。Aさんはいい人だ。優秀で、自由人で、悩みがなくて、落ち着いていて。そして、どうしようもなく、つまらない人だ。
 私もそうなのでは?

 自分の人生がどこにも繋がっていないような気がした。でも私はレールの上に乗っかっている。順調に……
「ただいまー! 海姉! 牛丼買ってきたよ!」
 次女のでかい声が家中に響いた。そういえばお腹が空いていたことに気づいた。
「やったぜ~」
 腹から声を出して、自室の扉を開く。空気が少し、明るくなるのを感じた。考えることも悩むことも、あまり自分には向いていないような気がした。

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