醜い人間を傷つけることは

 傷つけてもいい相手はいるか。

 誰しもそうかもしれないが、人と関わっていると時々腹が立つことがある。言い返してやりたい、と思うことがある。
 私はそういうとき、自分の悪劣さを感じ取る。ただ腹が立つだけなら悪いことじゃない。そういうときに「今私が相手に怒りをぶちまけても、私自身に損はないか」と反射的に考えてしまうことが、悪劣なのだ。
 きっとそういうことを一切思わない人間というのがこの世にはある割合でいるのだと思う。根っからの善人で、誰かを傷つけようなんて少しも思わない、牝牛のような人間も、この世にはいるのだと思う。私にはそういう人の気持ちはよく分からないが、分からないからといって、そんな人間がいないとも思えない。そうとしか思えないような人と関わる機会もあった。
 まぁ他の人のことは今はいい。ただ私は、自分が誰かと争うことになるとき、その相手が自分より立場的に強いか弱いかをほぼ自動的に判断してしまう。自分より強い立場の人間には、むやみに逆らわない。自分より弱い立場の人間は、多少雑に扱っても構わない。そういう自分自身がいることを、私はちゃんと認識している。

 認識していないからといってそれがなかったことはならないので、実のところ善人気取りの人間は、この世に非常に多い。自分と相手を常習的に強い弱い高い低いで判断しているのに、まったくそんなことがないかのように自己認識をしているやつが、あまりにも多すぎる。いいか悪いかは置いておいて、自分の醜さを自覚せず、制御もせず、垂れ流しにしている姿は、私の目には醜く見える。醜く見える、とだけ言っておこう。


 基本(自分自身が巻き込まれるような)争いは利益を生まない。だから、争いのもととなるようなことはしない。賢い人間は、現代では誰もがそういうスタンスで生きている。目的のない感情的な争いは、起こさない。起こすべきじゃない。当然だ。
 では、争いにさえならないような関係なら、他者を傷つけてもいいのか? システマチックに、自分自身の感情を満たすために、誰がやったか分からないように、他者を傷つけるのは正当化されるのか?

 現代においてそれは……誰も言わないが、正当化されている。「傷つけてもいい相手がいるか?」という問いに対して「NO」を言うことは、実際に動いている社会を見たことがある人なら、どうあがいても、できるわけがない。

 誰も傷つけてはいけないと思って生きている人間も、たいてい自分自身だけは傷つけてもいい人間だと思っている。そしていつか病む。静かに死んでくれたらいいが、場合によっては周りを巻き込んだりもする。
(私は「誰も、どんな人も、傷つけないように」と生きている人間に敵意を持っている。そいつは「自分が傷つけないようにすれば誰も傷つけずに済む」と本気で思っているのだ。傲慢だし、結局自分が優しい人間だと思われたいだけなのだ。実際はどこまでも自分勝手で……それなのに、嫌いになれないのも、腹立たしい。彼らを喜ばせるセリフをわざわざ言ってやるとすると、こうだ。「君を見てると、自分の性格の悪さを感じてしまうから、君が嫌いなんだ。私は自分を嫌いにならないために、君を嫌うんだ」それは真実だ。だがその責任は、私と彼らの間に分割される、と私は考える)


 ともあれ私は優しくないから、世界が全部優しくなってしまったら、私の居場所はなくなってしまう。もちろん、今の世界に私の居場所があるかと言われても、よく分からないが。
 かといって、暴力や争いが蔓延る世界も不快だ。恐ろしいことも嫌いだ。

 私はどうしようもなく人間らしい人間であり、攻撃性と優しさの間で、どちらにもつかず、ぼうっと突っ立っている。
 こんな状態のまま生きていくことを、私はあまり望んでいない。でもどちらの道も、私の道とは言えない。

 私が望むのは、この攻撃性と優しさを両方とも育てることなのだ。殺すべきものを殺し、守るべきものを守る生を、私は望んでいる。何も攻撃しない生は、あまりにも味気ない。何も守らない生も、あまりに物寂しい。

 人間は美しく生きることができると私は思っている。でも現代は、醜い。攻撃する気が起きないほど、醜い人間が溢れている。
 つい腹が立って、少し声を荒げてしまったら、その声を荒げてしまったという事実を私は恥じ入る。そんな汚くてくだらない連中に言い返してしまったということが、私のプライドに泥を塗る。


 なぜ同じ生き物なのだろう、と考えてしまう。なぜ彼らと私が平等で、対等でなくてはならないのだろう。私は頭がおかしくなりそうになる。この世に生まれてきたことが間違いだったのではないかと思いたくなる。

 この世のほとんどが燃やし尽くされてしまえばいいのに、と本気で思いたくなっている自分を見る。そんなことできやしないし、できたとしても、ろくな考えではない。不快だからといって、その対象を殺しつくすのは、愚かなことだ。醜いことだ。
 共生しないにしても、お互いの領分を侵犯しなければそれで済む話だ……

 息苦しい。この時代は、あまりにも人と人が近すぎる。しかも皆が、近づきたがっている。私だって、あの気持ち悪い連中と関わる必要がないのなら、皆と笑いあうのも悪くないと思っている。でもどこにでもいるんだ。気持ち悪い人間は。何も考えていない人間は。醜い人間は。

 だが、醜い人間を傷つけることは、美しい行いではない。だから私は、吐き気をぐっとこらえて通り過ぎないといけない。人間の愚かさを破壊するためには、人間の愚かさを知り尽くさねばならないし、愚かさの返り血を浴びなくてはならない。それに汚染されて、ただでさえ愚かな私がさらに愚かになるんじゃ、本末転倒だ。

 醜さも、愚かさも、通り過ぎていたい。感じるのは、吐き気だけで十分だ。怒りも憎しみも、小さくなるに任せるべきだ。

 私には関係のないことだ。関係のないことなんだ。

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