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珠美はすぐ嫉妬を忘れる【ショートショート】

 私は自分よりすごい人を見ると腹が立ってくる。自分の情けなさを突きつけられたような気持ちになる。
 その人の悪い部分を探そうとしてしまう。見つかることなんて滅多にないし、見つかったら見つかったでまた違う自己嫌悪がやってくるのが分かっているのに!
 あー私ってクソだ。自分より高いところにいる人の粗探しをしていると、その行動自体が自分の粗だから、もはや探す必要もなく、自分がダメな人間だって分かる。もー! 腹立つ!

「ウッウッウッ」
「うわ。海ちゃん何やってるの?」
「ウッウのモノマネ」
「あ、ポケモンの?」
「そう」
 私はちょっと頭をひねって、今の海ちゃんの動作のどこにそのポケモンと似ている部分があったか考えてみる。
「ウッ……」
 考えているうちに、海ちゃんは苦しそうに胸を抑えて大げさなふりをし始めた。私も大げさに対応する。
「う、海ちゃん? 大丈夫? 注射打つ?」
 自分で言ってて笑う。「馬鹿に打つ注射なんかねぇよ」と、もし真子ちゃんがいたら即座に突っ込んでくれているはずだ。
「フェニトインとかフェノバルビタールとか?」
 横からりっちゃんが綺麗な声でよく分からない名称を口にしてきて、私と海ちゃんは呆然と彼女の顔を見た。
「何それ」
「鎮静剤。てんかんの発作とかで使うやつ」
「私ときどき思うんだけど、りっちゃんそういう知識どこで仕入れてくるの?」
「本で」
「ふつう覚えてらんないでしょそんなの」
 海ちゃんはやれやれ、と言った表情だ。
「確かに言われてみたら、自分でもなんで覚えてるのかよく分からないな」
 そう言って、りっちゃんは下を向いて考え込み始めてしまう。まったくこの子は……
「もー! りっちゃんかわいい! 好き!」
 とりあえず抱き着いておく。と、同時にチャイムが鳴って、朝のホームルームが始まるので、それぞれの席に戻った。

 その日、ノーベル賞を受賞した有名なおっさんが、高校に講演しに来ていた。三時限目と四時限目は体育館に全校生徒千三百人強が詰め込まれ、みんなじっとして、そのおっさんの話を聞いている、という状態だった。
「皆さんは皆さん自身のことをとても優秀な人間だと思っているかもしれません。それはきっと間違っていないと思います。でも、だからといって、自分の興味のあることだけに価値があるということではありません。この世界は、ひとりで理解できる分よりはるかに多くの知識や技術で成り立っています。できるだけ『興味がない』などと言わず、いっけん意味がないような知識や技術のことも、大切に扱うようにしてください。そうすることが、結果として自分の専門の分野で結果を残すことに必ず繋がるのだと、私はそう信じています」
 立派なことを言うなぁと私はぼんやりした頭で思った。ちょっとお尻が痛いから、早く立ち上がりたかった。

「ねぇねぇたま」
 海ちゃんが、みんなで教室にぞろぞろと帰るときに、話しかけてきた。
「なぁに」
「りっちゃんってすごくない? だってさ、今日の朝、自分でもなんで覚えられるのか分からないような薬の名前、あんな風に言えちゃうんだもんね。あのおっさんの話にもつながる」
「でもあそこで必要なのはツッコミでしょ。りっちゃんちょっと、その辺ずれてんだよなぁ」
 私は反射的になぜか、否定的な言葉を口にしてしまった。海ちゃんが珍しく、首を傾げていたから、私はしまったと思った。
「私、多分努力してもそういう風になれないから……」
「いや、たまはたまでそのまんまでいいと思うよ。理知も理知で、私はそのまんまでいて欲しいし」
「うん。なんか……ごめん」
 急に悲しくなって、自分はなんて嫌なやつなんだろう、と思った。

 でもやっぱり、ナントカニンとかナントカゾールとか、覚えてたって仕方ないし……
 と、そう考えてから、自分が医者志望であることを思い出して、背中が何か鋭いもので突き刺されたように感じた。
 確かにりっちゃんが覚えていても仕方ないかもしれないけど、私がそれに興味を持たないのはおかしいじゃないか。私は将来医者になると決めているのだから、そういう知識に対して、もっと敏感になるべきなんじゃないか?
 いや……そもそも、そんな風に、薬とか治療の方法とかにいまいち興味が持てないなら、他の道を選んだ方がいいのかな。
 ……うすうす気づいていた。小学生の頃に重たい病気にかかって入院して、綺麗な女医さんと仲良くなって、その人のことを心から尊敬して、だからずっと「医者になりたい」と皆に言ってきた。実際、その気持ちは本気だったし、だから勉強も頑張って、県内で一番いい高校に入った。この学校でも、必死になって勉強して、平均点は下回らないようにできている。友人に恵まれているのは事実だけど、それ以上に、私自身が頑張ってるから……
 でも、私よりも勉強ができて、性格もよくて、本も読んでて、それなのに、私の知らない薬の名前をまるで常識かのように口に出てきてしまうような人がいる。私の努力って、いったい何?
 ……そんなこと考えたくないのにな。

「たま」
 後ろから背中を叩かれて、びっくりして振り返る。
「うわ、りっちゃん」
「お昼ご飯食べよ」
「あ、あれ。四限目終わってたんだ」
「大丈夫?」
「ちょっと考えごとしてた」
「私のこと?」
 そう言ってりっちゃんはニッコリ笑う。
「よく分かったね。りっちゃんがエッチなことしてる妄想してたよ」
「嘘だね」
 彼女はお弁当を開けて「いただきます」と言った。私も、急いでカバンからお弁当と水筒を取り出して「いただきます」と言った。
「たま、私の卵焼き好きだって言ってくれたよね。前」
「あ、うん」
「あげる」
「え、いいの?」
「ほら、口開けて。あーん」
「え、今日のりっちゃんなんかすごく積極的っていうか……あぶっ。おいじいい」
 ゆっくりと噛んで呑み込むと、なぜか涙がこぼれてきた。
「あ、あれ? なんでだろ」
「おいし過ぎて泣いちゃった?」
 優しい表情で私をじっと見つめてくれている。
「ご、ごめん」
「いいんだよ」

 家に帰って、お風呂に浸かった。
 水を少しすくいあげて、肩にかける。特に意味のない動作。
 私って、きっと普通の人間なんだろうなぁと思った。特別いい人でもなく、特別悪い人でもない。
 普通に、自分の大好きな友達の能力に嫉妬してしまうこともある。でもその人が、自分に親切にしてくれたら、自分のことを好きでいてくれたら、もうそれだけで嫉妬なんて吹き飛んでしまう。
 そういう自分の単純さは、嫌いじゃないな、と思った。


「姉、ちょっと相談事あるんだけど、いい?」
 弟が珍しく風呂上がりの私にそんな頼みごとをしてきた。
「え? 珍しいね倫君。ついに反抗期終わった?」
「まだ反抗期来てないよ」
「えー、戦々恐々。まぁ何はともあれ、相談事、聞くよ。お姉ちゃんにまっかせなさい」
「くっつくなくっつくな」

 どうやら倫君のクラスでイジメが起こっているらしく、どうにもそれが倫君には不愉快で、何とかできないものか、と思っているようだった。
 厄介なのは、そのイジメられている子は元々倫君のことが嫌いで、色々と嫌がらせをしてきた子で、逆にイジメている子たちの方は、倫君と仲のいい子たちだった、ということ。なんだか自分がどうすればいいのか分からないけれど、ずっと放ったらかしにしたまま中学校を卒業したら、きっと後悔すると思って、一番身近な人に相談してみることにした、とのこと。
「倫君はすごいね」
「何が?」
「いや、私だったら、そんなことあったらつらくて、喋りながら泣いちゃうだろうから」
「姉ちゃんが泣き虫なんだよ」
「そうかも」
「でも俺、姉ちゃんのすぐ泣くところ嫌いじゃないよ。そんだけ心が分かりやすいってことだし、一緒にいてて気負わなくてもいいってことだし。というか、自分よりすぐ泣く人の前だったら、別に自分だって泣いてもいいわけだし、変に我慢しなくてもいいんだよな。多分俺だけじゃなくて、姉ちゃんの友達も、姉ちゃんのそういう弱いところに助けられてると思うぜ」
「弟よ……」
 私は感極まって、りっちゃんにするのと同じように抱きしめようとしたが、その前に弟は両手で私の頬をぎゅっと挟み、止められてしまった。しかもその顔が面白かったのか、倫君は「ふふふ」とちょっとかっこよく笑いやがった。
「んで、姉ちゃんはどうすればいいと思う? こういう時」
「とりあえず、関係ない立場にいる友達に相談するかな、私なら。それか、自分と似た立場にいる友達に相談する。学校の先生が信頼できるなら、その先生に相談してもいいけど……」
「今の担任はろくなやつじゃない。学年主任も、だ。二組の先生は良い人だけど、もともと頑張りすぎてしまう人だから、あまり心労をかけたくない」
「だったらできるだけ、子供だけで解決したいね」
「うん。できることはやってみようと思うんだ」
「倫君はかっこいいね」
「姉ちゃんの弟だからな」
「ねぇ。ほんとに反抗期終わった?」
「まだ来てないって言ってるじゃん」
 部屋のドアが勢いよく開いて、小学生の留美が「あー!」と叫んだ。
「二人とも、私に内緒で面白い話してたでしょ!」
「真面目な話だよ」
 倫君はそう答えた。
「真面目な話は面白い話じゃん」
 そう言って留美は、私の隣にちょこんと座った。
「留美ちゃん。イジメの話だけど大丈夫?」
「大丈夫。私、イジメっ子の男子やっつけたことあるし」
 留美は大げさに胸をはった。
「ねぇ倫君。実は私よりも留美の方がこの件に関しては役に立つかもよ?」
「はっはっは」
 倫君は楽し気に笑った。三人兄弟、幸せな時間だ。


 人生には難しいことがたくさんある。私はひとりで乗り越えられるような人間じゃないから、自分なりに人と助け合って生きなくちゃいけないんだと思う。幸運なことに私は家族にも友達にも恵まれているから、そのことを忘れず、ずっと感謝して生きて行こうと思う。
「おはよう、りっちゃん!」
「あぁおはよう。元気そうでよかった。昨日、ちょっとしんどそうだったから」
「おかげさまで元気ぴんぴんだよ! でも念のため、今日も卵焼き貰わないとダメかも」
「今日は他のみんなの分も作ってきたから、みんなで食べよう」
「やったぜ!」

 めでたし!

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