自分の人生がどこにも繋がっていないことがたまらなく悲しい

 定期的な不安感。記事にはしなかったけれど、私は少し前に高校をやめた。純粋に……もうダメだな、と思ったからだ。手続きは速やかだった。別にどうということはなかった。誰とも争わなかったし、先生にもあまり強く止められなかった。高校が合わないことは誰の目にも明らかだったし……
 高認をとって大学へ。まぁそんな未来もあるかもしれないけど……いや、多分ないな。ないと思う。私は大学に行って学びたいことなんて少しもない。ほんの少しも、だ。人間関係もめんどくさいし、生活の糧も別にいらない。家族の貯蓄がまぁまぁあるし、いざとなれば適当な知り合いにでも養ってもらえばいい。豊かな時代だし……

 そうは思いつつも、自分がこのまま腐っていくことを想像すると、身震いする。誰もいない。どこにも行けない。私には居場所が用意されていない。その現実が私の首を絞める。

 自分が選んだことだ。そう思いたいけれど、ほぼ同時に「しかしそれは選ばされたことだ」という言葉が湧き上がってくる。確かにそれは、選ばされたことだ。私はこの社会の「普通」に合わせることができない。できなかった。

 求められることがあまりに多い。我慢しなくちゃいけないことがあまりに多い。私には耐えられない。耐えられなかった。耐えられなかったから、もう無理だと思ったし、もう二度と近づかないと決めた。実際、私は何度かまた高校に通おうと努力したことがあったけれど、全部無駄に終わった。noteの文章を使って何かやろうとしたこともあった。全部無駄に終わった。
 私の試みは、私という人間の性質によって全部台無しになっていく。私は何かを続けることができない。何かをやり遂げることができない。結果を出すことができないし、誰かに愛されることもない。
 このまま朽ちて死んでいくんだと思うと、不安と悲しみが胸に広がっていく。でもそれで流す涙はもうとうに枯れている。この孤独と絶望にはもう慣れてしまって……ほとんど何も感じない。ただきゅっと胸をしめつけるこの肉体的反応を、不安や悲しみと名付けているだけ。

 皆それぞれ苦しんでいる。だから、誰かが楽そうに生きているからといって、それを羨ましいと思うのは常に誤解だ。私だって、こんなにつらい人生を歩んできているのに「羨ましい」なんて言われることが多いのだから、他人に対してそう思うのはおかしな話だ。不快だ。私の苦しみを知らないくせに、私の好ましい部分だけ見てそんな風に羨むのは。私の何が分かるんだ……

 この社会には私の居場所はなかった。どこにもなかった。最初から。だから仕方なく、その場所に合わせて自分を変えようとした。変えられるほど、弱い「自分」じゃなかった。私の「自分」はどうしようもなくわがままで、強い自分だった。自分を変えるくらいなら、幸福を捨てることを選んだ。でもそうしないと、本当の意味で心が喜ぶことはないのだと知っていたし、こうした方が私はより強く多様な苦しみに襲われるけれど、同時に強く多様な喜びと幸福を感じられることも知っていた。
 間違っていたとは思わない。でも間違っていないという理性的判断が、私のこのどうしようもない感情を抑えてくれるわけではないのだ。感情の前では、理性は無力だ。いやもちろん、行動を制御するのは理性だから、何か自暴自棄な行動に出たりはしないのだけれど。
 ただ心は勝手に動いて、勝手に苦しむ。肌は痒くなる。頭は痛くなる。

 私は自分が悲惨な人生を歩んでいくことを知っている。他に道はないのだと知っている。悲しくて苦しいことだと思う。でも仕方ないと思う。それ以外に好ましい道はなかった。誰も私を助けてくれなかったし、差し伸べられた手はどれも汚れていて、私はそれを掴むことを拒んだ。
 私が後を追いたいと思うような人生を歩んでいる人は、この世にただのひとりもいなかった。それだけが現実だった。そうなりうる人は死んだ。死んだから、私はひとりで歩かなくてはならないと思った。
 誰かと助け合って生きている人が羨ましい。でもきっと、そういう人には私の気持ちが分からないと思う。私の感じた孤独を、私の感じた絶望を、決して理解できないと思う。それでも生きようと思ったあの日のことを、きっと……
 それは、私にしか分からないことだと思う。きっと、私と似た境遇の人も、その人自身の苦しみを持っているから、それは私のそれとは違うのだと思う。違うものであってほしい、と私は思う。

 「同じ」とか「似ている」とか、吐き気がする。気分が悪くなる。まるで、お前のそのくだらない生き方を私も真似すべき、みたいじゃないか。私とお前は違う。私は私の道を歩くしかないし、お前はお前の道を歩くしかない。私たちは似ていないし、ましてや同じなんかではない!

 公正とか平等とか、吐き気がする。許せるのは、対等だけだ。私は傷つきすぎたのだ。
 私はいい人間なんかじゃないし、上品な人間でもない。私は私でしかない。もう、目指すべき標なんてどこにもない。「善さ」なんてものも、どこにもないし、あるべきでもない! そんなものがあるのなら、私にそれを示してくれ。私はそれを、鍛え上げた「NO」で徹底的に破壊しつくしてやる……

 痛い。痛い。痛い。痛くて痛くて仕方がない。ずっと、苦しんでいる。苦しみ過ぎて、苦しみの中でも笑えるようになった。その笑った顔を見て、幸せそうだなんて言わないでくれ。ただ強がっているだけなんだ。ただ、そうやって耐えようとしているだけなんだ。この人生に。この生涯に。

 どのような未来が待っていたとしても、私自身の苦しみが消えることはないことだろう。
 今は、その事実がなぜか私を安心させる。消えることがないのなら、それを消し去ろうと苦心する必要もないからかもしれない。


 人生は苦痛だ! そう思うことが、そう思うしかないことが、今の私にはなぜか心地いい……

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?