幼き日の放火

「お前何やってんだ! ふざけんな! ふざけんなよクソ! クソがっ!」
 怒鳴り散らす父親が、その時だけは怖くなかった。私は多分ずっと笑っていたのだと思うけれど、父親は私が笑っていることよりも、目の前の火を消すことで手一杯みたいだった。火は消えるどころか、どんどん燃え広がっていく。父は思いつく限りの罵倒を、私ではなく火に浴びせかけてから、いきなり私の手を思い切り引っ張り、抱きかかえ、家を出て、息をつく間もなく、乱暴な声で消防車を呼んだ。
 私はその手際の良さに「男だ」と感じた。私が今まで理解できなかった父の行動の全てが、そこで全て明らかになったような気がした。
 私が遊んでほしいと人形を持って父の部屋に言ったとき、気持ち悪いほど汗を掻きながらよく分からない器具で体を動かしていたのは、こういう時に体がちゃんと動くように。
 乱暴な声で、少し前に家を出て行ったお母さんに命令することが多かったのも、結局ふだんからある程度精神的な余裕を保っていたかったからなんだと思った。確かに、日々の雑事に毎日を追われてたら、こういう時に冷静さを保てなくなってしまう。

「火傷、ないか?」
 私は首を振った。
「よかった」
 そう言って、父は見たこともないほど優しい表情をしたあと、ため息をついた。

 その日から、父はいい父親になった。私がガスバーナーで家に火をつけた理由については聞かなかった。問い詰めることも、責めることもなかった。多分……その理由に思い当たるところがあったのかもしれない。
 私自身は、自分がなぜそんなことをやったのか当時はうまく分かっていなかったし、分かろうともしていなかったけども。


 それが小学四年生の話。お母さんが話を聞きつけて慌てて私たちの元に帰ってきて、私を泣きながら抱きしめたけど、私はそれをなぜかニヒルな気持ちで受け入れていた。
 多分、私はそうなることを元々知っていた。
 私たち三人はもっと狭いマンションに移り住んだ。貧乏になったという感覚はなかった。お母さんの作るご飯は相変わらず下手くそでまずかったし、お父さんが外食に連れてってくれるたびに私は大げさに喜んだ。
 お父さんは、家のことをちゃんとやるようになったし、お母さんと喧嘩することも減った。

 で、だから何だという話だ。別にそれ以降何かがあったわけじゃない。
 私の家庭は平凡であり、私の人生も平凡に進んでいった。何もかもが並……か、あるいは並以下。
 勉強はできたけど、友達は少なかった。運動はからっきしだった。
 どの先生も三者面談のたび、そろいもそろって「大人しいいい子です」と中身のない評価をくだした。

 私はただいつも、ぼぉっと自分の身に起こることを眺めていただけだった。


 私の人生が少しだけ明るくなったのは、その中に男の子が入ってきたときだった。火事があってからというもの、私はお父さんのことを尊敬するようになっていたし、友達と「どういう男の子が好きか」という話をするときは、決まって「いざという時に守ってくれる人」と答えるようにしていた。

 実際、この社会は特別なことが起きない限りは、普通に生きていられる。別にろくでなしだったとしても、命の危険があるのだと分かれば、そうならないように変わっていくのが人間だっていうことを、私は父の一件から理解できていた。だから、あぁいう場で私を置いて逃げたり、私をひどく罵って叩いたり、そういう不合理なことをするのではなく、関係を修復しようと素直に自分の身の振り方を変える人が、私にとって好ましい男性だった。
 あとで知ったことだが、昔の心理学者が「女性は誰しも自分の父親を最初の異性として認識する」みたいなことを言っていたが、私の場合はそれはよく当たっていると思う。私にとって父は、確かに男だった。

「好きです。付き合ってください」
 初めて告白されたのは、中学一年生のころだった。小学生の頃は一度もそんなことはなかったのに、中学に入ってから、男の子から親切にしてもらったり、容姿を褒めてもらうことが多くなった。私のことが好きだと噂の男の子も何人かいて「あぁ、私ってモテるんだな」と、少し思い上がる部分もあったけど、小学生のころからの友達の目もあったから、そういう状況におどおどしているふりをしていた。
 小学生の頃は全然そんなことなかったから、なんで自分が好かれているのか分からない、なんてふりを。
 でも、今思えば、あぁいうふりをするというところもまた、男の子たちにとってはひとつの魅力だったのかもしれない。自分の魅力を理解していて、どこか傲慢な美人よりも、自分のかわいらしさに気づいておらず、うぶで、いつも周りに気遣っているそこそこの美人の方が、モテるというわけだ。
 まぁでもそんなことは、正直当時の私にはどうでもよかった。私のことを好いてくれる男の子たちの内、ひとりも、内面がしっかりしてそうな人はいなかったし、父みたいに度胸がある人もいない気がした。
 スポーツをやっている男の子は確かに声は大きかったし、勇気もある感じはしたけど、何というか、そういう「自分から危険に向かっていく」という意味での勇気は、私には魅力的には映らなかった。なんだか間抜けな感じがしたからだ。
 「俺が俺が」という感じよりも、ふだんは「何もかもどうでもいいです」みたいな顔をしていて、いざというとき、皆がおろおろしているとき、さっとまとめあげて、必要なことを必要な分だけ片付けて、そのあとは任せる、みたいな人が好みだった。

 だから、中学一年生の時は、クラスメイトより先生の方が好きだった。小学生の時はひとりもいなかった男の先生で、まだ若い先生だった。感情的になることは多かったし、なんだかミスすることも多かったらしく、他の先生から怒られているところも結構見てたけど、そういうところも含めて、親しみやすい先生だった。
 
 私は一度、皆が帰った後、先生の引き出しの中に自分の体操着を突っ込んだことがある。
 火事のとき同様、なぜそんなことをしたのかは当時の自分は分からなかったけれど、今思えば、そうやって人を試すのが私の癖なんだと思う。
 すぐ先生に呼び出されて「このことは誰にも言わないから、二度とやっちゃいけないよ」と、ほんの一言だけ言われて、それでおしまいだった。一度も目は合わなかったし「イジメられているのか」とも聞かれなかった。私はそう聞かれたときにどう答えるか考えていただけに、少しがっかりした。

 なぜ先生が、他の男子のいたずらや、女子同士の嫌がらせだと少しも思わず、私自身がやったのだと確信できたのかは分からない。
 もしかすると、教室に監視カメラを仕掛けていたのかも、なんてありもしない想像をしたこともあるけど、実際に放課後すみからすみまで教室を調べたが(その過程で、クラスメイトの恥ずかしい物品をたくさん見つけた)それらしきものは見つからなかった。

 もしかしたらあの先生は、そういう女性からの意味不明なアプローチを今まで何度も受けてきたことのある人なのかもしれない。実際、あの先生は外見がよかったし、人柄もよかった。そういう男の人が中学の先生になったのだとしたら、きっと色々な意味で我慢が必要なのだろうなと想像して、少し気分がよかった。
 なぜ気分がよくなったのかはよく分からないが、なぜかそう感じたのだ。

 中学二年生の時、友達のお兄さんと付き合うことになった。高校一年生で、野球をやっていたから坊主頭の人だった。
 ひとりっ子の私としては「兄」というものに憧れていたし、その友達はそのお兄さんとあまり仲がよくないみたいだったから、それで交友関係が変になることもなさそうだった。
 実際、私がその人と付き合ってることは一切噂にならなかった。その子の方も、自分の兄と友達が付き合ってるなんて、恥ずかしかったのだろう。

 その人は、落ち着いた人だったけど、あまり頭の回る人ではなかったし、視野の広い人でもなかった。なんだか付き合ってるうちに「つまらないな」と思うようになった。
 だからある時、火事の話をしてみた。すると彼の表情はみるみる曇り「別れよう」と言った。引き留める理由もなかったので、そのまま別れた。キスどころか、手以外の部分に触れることは一度もないままだった。
 清い関係というより、もはや関係として成立していないような関係だった。ごっこ遊びですらない、一番つまらない恋愛だった。

 ともあれ私は、恋愛に強い興味を持っており、私と友達になるような地味な子たちに比べて、色々なことを先んじているような、そんなつまらない優越感を持っていた。
 告白されることは相変わらず多かったし「試しに一週間ね」とか、そういう風な、ちょっとふざけた返事をすることも増えた。男の子に対して、自分が優位に立てるということを実感し、そのような態度でいることが増えた。
 思ったより、友達からの反感はなく、それどころか、恋愛のことで相談されることが増えた。私の身近に、私より普通の恋愛をしている人がいなかったのだ。

 私の見立てだと、常にクラスにひとりかふたりかは、誰にも言えないような関係を持っている子がいたけれど、そういう子には何も聞かないのがルールだ。禁断の愛というのは案外ありふれたもので、だからこそ、皆触れないようにする。興味を持ってはいけないのだ。ただかわいそうなだけだから。

 そういうわけで、くだらない「恋愛ごっこ」の経験値だけ人より溜めて、高校に入学した。一応は進学校を名乗っているけど、ただ出る課題が多いだけという、どこにでもある退屈な高校だった。
 そこにいる人たちも、出来の悪い真面目や、意地でも頑張りたくない人や、私と同じようなぼんやり適当に生きている人や、本当にこの社会のもっとも中間的な感じの人ばかりだった。

 ただその中にひとりだけ、異質な人がいて、皆が彼に一目置いていた。同学年だったけれど、二つ年上だった。病気のせいで、高校受験ができなかったらしい。本人曰く、通信制にしようかとも考えたけど、やっぱり青春って言ったら全日制だから、とのこと。その答えは、あくまで主張動機ではなく、説明用に用意されたものであると私は直感したが、他の子たちはそこまでよく考えていないようだった。

 だから私は、また別の日にふたりきりになって「なんで全日制にしたの」と聞き直した。すると彼は「多分、自分の根性を試したかったんだと思う」と答えた。実際、他の人たちはみんな同じ年なのに、ひとりだけ二つ上なんて、どうやったって浮くし、彼は勉強が得意だったから、その分でも妙な扱いを受けるのは、実際もそうだった。
 でも彼は、いつも堂々としていたし、友達も多かった。誰も彼に敬語を使わなかったけど、男子からも女子からも「君」付けで呼ばれていた。そこには、いつも尊敬の響きが込められていたような気がした。

 実際、そのクラスは他のクラスよりも仲がよかった。多分、二つ年上の彼が、皆の模範になっていたからだと思う。
 くだらない妄想だけど、学校は普通同じ年齢の子たちで集うけど、本当は、年の違う子が何人か混ざっている方が、もっと自由で規律のとれた、先生にとっても子供にとってもいい環境になるんじゃないかと、当時の私は真剣に考えていた。
 そういう発想を個人的に彼にも相談してみて「将来そういう制度を作るにはどうすればいいか」みたいなことを真剣に話し合ったりもしてみた。
 結局その話は実を結ばず、二年生になった時私たちは別々のクラスになって、それ以降彼がどうしているのかは知らない。

 特に意味もなく人生は進んでいる。もっと豊かな人生を歩みたいと思う反面「でもそれはどんな人生?」とも思う。
 テレビに出てくる人たちの苦労話や、面白いエピソードを聞いてても、私のそれと別にそう大して変わるようなものには思えなかったし、スポーツやら芸術やらで活躍している人のドキュメンタリーやインタビュー記事を読んでても、いまいち現実的な気がしなかった。
 多分そういう人が身近にいたとしても、私はその人に興味を持てないし、何か意見を求められたら「すごいねー」とか適当に言ってやり過ごすと思う。
 私にとって重要なのは私自身のことであり、他の人のことではなかった。でも結局、自分の人生を面白くするのは他の人なのだから、私は他の人にもっとも興味を持つべきだったのだけれど、多くの人は……私が求めていたような「深さ」が足りなかった。

 たとえば私が小学生のころ放火した話や、中学時代先生をからかった話などを、仲良くなった友達や男の子に話しても、その人は「面白い」とか「すごい」とか、そういう感想を言うばっかりで、その人自身の同レベルの話は聞けなかったし、時にはそういう話が聞けることはあったけど、なんか正直どうでもいいなという気持ちにしかなれなかった。
 多分、私の話も、他の人にとっては「それで?」というわけなのだろう。私の「今」が面白くないから、当然過去話も面白くないと、そういうわけだ。
 でも面白いってなんだ。人を笑わせるってことか? もしそうなら、雑に芸能人の真似でもしてればいい。クラスにも、馬鹿みたいな話でいつも盛り上がってる男女混合のグループがある。でも彼らはどんなことでも笑うよう心掛けているからか、言っていること自体がつまらないし、凡庸な人間の集まりにしか見えない。

 
 私は自分がどんどんまともな人間になっていくのを感じているし、だからこそ、そのまともさにうんざりもしている。
 最近父が癌で入院したが、何とかな治りそうだ。父は癌だと聞いても、全然気にしてない様子だった。母と私は、母方の実家に身を寄せている。祖父がもうボケており、祖母が何とか介護しているが、母がそれを助けるようになってから、祖母と母は毎日を楽しそうに過ごしている。
 「毎日やることがあるって幸せだね」と馬鹿みたいに頷き合いながら、祖父のオムツを変えたり、意味もなく豪勢な食事を作ったりしている。ちなみに、祖母の料理もまずい。

 ちなみに私は料理が別に下手ではない。うまいわけではないが、最低限食べられるものを作れる。父もそれは認めてくれたが、褒めてくれたわけではなかった。「それが普通だ」と父は真顔で言った。まぁそりゃそうだ。


 苦労がないわけではない。でもそもそも人生にそれほど必死になっていない。だから、いまだにぼんやりと、自分がこの先どうするか分からないままでいる。
 とりあえず大学にはいくつもりだ。父方の祖父母が学費を出してくれるらしい。他に金の使い道がないから、と自分から言い出してくれた。ありがたいかぎりだ。

 恵まれていると思う反面、自分という人間の貧しさやつまらなさには、少し申し訳なさを感じる。


 だが同時に、私の身の回りには、私以上につまらない人間ばかりで、特に苦労話をして自分は豊かな人間だと主張する人間には、ほとほとうんざりだ。
 「これこれこういうことがあって、こういう風に頑張ってきたから、俺は自分の人生を素晴らしいものだと思っているんだ!」みたいな人間が、私にはどうにもくだらなく思えてならない。苦労を乗り越えてきたと主張してしまった時点で、その苦労によって積み重ねてきた人格、つまり人から尊敬される態度であったり、言動であったり、そういうものがちゃんと育っていないことを露呈してしまっているじゃないか。
 苦労話は、それが何でもないことのように語ってはじめて、人から尊敬される。偉そうに、誇らしげに語ったって、たいていは同情の混ざった「すごいねー」だけだ。それが分からないから、そんな話をするのだ。
 と、ほとんど苦労をしたことのない世間知らずな私は語る。実際、苦労を避けられるなら避けた方がいいし、時に自分が苦労しないために、誰かを苦労させるのも、有効な一手段だ。

 私は遠い昔、自分の家に火をつけたことは後悔していないし、情けないながらも、やはりあれが私の人生においてもっとも大きな事件であった。

 物語にするにはあまりに退屈な私の人生だ。


 最近「面白い人がいる」ということで、友達がある男の人に会わせてくれた。
 その人は私の話を聞いて「よしじゃあ試しに、今聞いた話を文章にまとめてみるよ」と、言い始めた。正直、私のつまらない話がどれくらい面白くなるのか興味があったし、逆にそれがつまらなくても、そのつまらなさ自体が、私を喜ばせるような気がしたから、快く承諾した。

 ふと思ったのだが、たとえつまらなかったとしても、それが私自身の人生なら、そのつまらない人生こそが、私にとって一番面白くて興味深い、見どころのある人生だと言えるのではないだろうか? 自分の生い立ちが文章になるというのはどういう気持ちなのだろう。

 どんなものが出来上がるのか、心待ちにしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?