甘えん坊②

 人間関係に不器用であるというのは当人にとっては大問題のように思えるが、周りの人間がからすると大した問題ではなく、悪い場合でも「少しめんどくさい」程度の欠点でしかない。
 場合によっては、その不器用さが何らかの長所として映ることもあるらしい。人間関係を器用にこなすことのできる人がそのように感じることも少なくない。人は遺伝子的に自分とは遠い人間を好むらしいから、もしかすると、自分が当たり前のようにできることが全くできない人間に好意を抱くのかもしれない。

 とはいえ、俺は人からの好意に対してどのように向き合えばいいのか分からなくて、ほとんどの人は愛想をつかしてしまう。でもそれに傷ついたり、反省したりすることもない。ほんの少しだけの申し訳なさを感じるだけだ。

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「へー。お前ちゃんと店選べるんだ」
 家族でよくいくイタリア料理店を選んだ。カジュアルな雰囲気で、若い客も多い。でも、全体的に静かなので、騒ぎたがる連中とかち合うようなこともありえない。
 彼女は感心しながらメニューを眺めている。食べたいものが見つかったようだ。手早く注文を済ませる。
「服も、変に気取ってない、シンプルで清潔な感じだな」
「どうも」
「お前、モテるだろ」
「え?」
 いきなり妙な質問をされて、顔をあげて、彼女の方を見た。眼鏡のふちが証明を反射して少し眩しかった。
「いや、別に、そんなだよ」
「お前って、なんか変なんだよな。喋るの下手だし、気遣いもうまくできる感じじゃないのに、人慣れはしてるし、怖気づいてる感じでもない。心のどこかで、色々なことに安心しているっていうか」
「精神分析が趣味なの?」
「あぁ。そういうところある。変わった人がいると、どうしてそうなんだろうって根掘り葉掘り聞きたくなる。嫌がられることは、あんまりない。きっと変人ってのは、みんな自分のことを知ってほしいんだろ。あぁでも、群れるのが好きなやつにはこういうことは絶対にしないぜ? 危ないからな」
 どういう意味で危ないのかは俺にはよく分からなかった。
「君は……君自身は、自分のこと変人だと思ってる?」
「自分のことを変人だと思ってる変人なんていないだろ? そういうことだよ。私にとっては変人かどうかなんて、他者に対する印象でしかない」
「そうかな」
「お前は自分のこと変だと思うか?」
「少し」
「どういう点で?」
 うまく、答えられなかった。でも自分の今の状況が、あまりに精神的に不安定で、何が正しいのか分からなくて。
「色々なことが、変に思えてくるから」
「ほう。たとえば?」
「俺は、小中学生時代、友達がとても多かった。いつもクラスの中心人物だったと思う。よく笑って、よく怒った。でもそんな俺が、いつの間にか……コミュ障、みたいになってる。いや、実際にそうなんだと思う。どうやって人と接すればいいか分からなくなった」
「あのな。それはけっこう普通だぞ」
「そうなの?」
「高校生なんてみんなそんなもんだ。私は女だし、そういう意味での発達が早いからか知らんけど、中学時代、一時的にそういう風になった。一年くらいは続いたかな。なんか、周りの言ってることが妙に気になるし、自分が何を言っても、何かまずいことが起こるんじゃないかとびびって、自分から何も話せなくなった。でもいつの間にか治ってて、まぁそれ以前との自分とは違う自分になったけど、自分にとって過ごしやすい自分として生きるようになった。今のこういう、聡明で親切な真子ちゃんってわけだ」
 自分で言うか、とは思わなかった。確かに、新田さんは聡明で親切な人だと思った。
「俺も、いずれそうなると思う?」
「さぁな。別にならなくてもいいと思う。多分お前自身が思ってるよりもお前の欠点は大きくないし、お前自身が思ってるよりもお前の長所は目立つし、魅力的だよ」
「そうなのか」
「お前さ、自分の声録音して聞いてみたことある?」
「いや、ない」
「じゃあ一度聞いてみるといい」
「どうして」
「文化祭の時、女子同士で男の品評会みたいなことをしてたとき、お前の評判なかなかよかったんだけど、お前全然喋らないから人柄や性格については言えないわけじゃん? だから、顔とか声とかたたずまいとかの話になるんだけど、お前の声が好きだってやつが多かった。たまらない、みたいなことを熱弁してるやつまでいた」
「それは、××さんかな」
「あぁ、よく分かったな。もしかして、告白されたか?」
「うん」
「断ったんだろうな」
「断るっていうか……その、多分、傷つけてしまった」
「うまく返事できなかったとかそういうことか」
「近いと思う。自分でも、よく思い出せないし、何かまずいことをしたような気がしてる」
「私が思うに、ろくにしゃべったこともない相手にいきなり告白する方がまずい行いだと思うけどな。それに対してうまく返すなんて、お前みたいなやつに求めるのは酷な話だ」
「君は、どうして俺にそう……甘いんだ?」
「甘い?」
 そこで、初めて彼女は真剣に悩み始めた。
「甘い、か。確かにそうだな。電話の時もそうだった。もし他の男とかからだった、下手したらブロックしてたわけだし。勉強の邪魔されたけど、お前の声聞いたら、すっと苛立ちは収まったし、お前のために何かしてやりたいという気持ちになった。こう、何というか、お前は甘やかされ上手なんだろうな。声もあると思う。お前は人の心を落ち着かせて、いい気持ちにさせるような声をしている。あと、気持ちがストレートに伝わってくるな。コミュニケーションは苦手かもしれないが、感情表現は苦手ではないんだろ」
「そうかもしれない。すぐ顔に出る方だと思う」
「そういうのは男の美徳だろうな。女だと、そういう性質は苦労しそうだが」
「君は、そうじゃないんだ」
「嫌な気分でも笑わなきゃいけないことばっかりだよ。だんだん慣れて、そういうのが大したことじゃなくなってくる。でも、お前を見てると、そういうことをしなくても人って生きていけるんだなって思って、そうだな。安心する」
 なんだか、自分の不器用さが許されたような気がして、胸が暖かくなってきた。ちょうど料理が届いて、ふたりともそれに手を付ける。

「私はさ、多分あんまりモテないんだよ。男に生まれたらどうだったか知らないけど、こういう性格の女は、嫌がられることの方が多い」
 落ち着いた雰囲気で、食器を置いて、彼女はそういった。俺も同じように食器を置いて、向かい合う。
「正直言って、女に求められることのほとんどが私にとってはめんどくさい。見ての通り、女性らしい体つきしているわけではないけど、顔つきはどう見ても女だし、親のしつけのおかげで、女としての最低限の習慣もある。でもそういう中途半端さというか、平凡さも含めて、なんだか気分が悪い。こういう気持ちになってる女ってのは一定数いるんだが、お前はそういうこと、考えたこと、ある?」
 俺は考えてみたが、覚えはなかった。
「その話を聞いて、意外だとか、驚きとか、そういうのはないけど、多分、ちゃんと考えたことはないと思う。多分驚きがないのは、俺自身……女ってのはめんどくさそうだと思ったことが何度かあるからかもしれない。それか、自分自身でも『男らしさ』にうんざりすることが、多いからかもしれない」
「お前は自分のことを男らしいと思うか?」
「思わない」
「じゃあ、女々しいのか」
「そういうところもあると思う」
「でも多分、お前のことを女々しいやつだと思うやつはいないと思うぞ。お前はどちらかといえば、男らしい男だ」
「そうかな」
「あぁ。嫌味なところがなくて、率直で、優しくて、物静かで、それでいて自分のペースで物事を進められる。言うべきことは言えるし、伝えるべき感情も態度で伝えられる。お前はいい男だよ」
「どうして褒めてくれるの」
「食べながら考えてたんだが、お前を褒めるのは楽しいんだよ。何というかな、自信を失ってるいい男を少し過剰気味に励ますのって、多分女の楽しみなんだろ。あと、照れてるお前はかわいらしい」
 恥ずかしい気持ちになったが、その気持ちを隠すように、食器を持ちなおし、料理を口に運んだ。
「自分の感情が伝わるのが怖くないってのは、お前自身の感情が綺麗だからなんだろうな」
 俺はかぶりを振った。いつも、身勝手な感情や醜い感情が湧いてきて、自分のことが嫌になるから。

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 彼女を家まで送って、楽しかったと素直に言った。また機会があれば、ふたりで出かけたいと言うと、彼女は笑顔で返した。彼女の笑顔は綺麗だった。あまりちゃんと見たことはなかったが、彼女は容姿が結構整っている。地味な印象で気づきづらいけれど、強い目をしているし、肌も綺麗だ。背筋も伸びていて、堂々としている、魅力的な女性だと思った。

 彼女が自分のことを男としてどうとも思っていないのは知っていた。そもそも自分が気になっている男に対して、あんな風に大げさに褒めるのは、不自然だ。あれは、友人としての好意からだと思う。
 自分の方でも、彼女に対する好意が、友人に対するそれなのか、異性に対するそれなのかはよく分からなかった。そもそも、誰かを好きになったことなんてなかったから、それをうまく区別する方法も知らなかった。
 少なくとも、中学時代同級生がクラスの女子に恋をしている時の様子と、今の自分の様子では、全く違うもののように思える。そういう意味では、俺は恋をしていないのだと思う。そうであってほしい、と思う。

 つづく。


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