自分より少し弱い人間【短編】

 私の中学時代の男友達に、イジメっ子がいる。器用なやつで、頭もよく、勉強もできて、運動も得意。あるガリベンの眼鏡君を標的にして、毎日のように嫌がらせしていた。馬鹿な取り巻きがラインを超えそうなときはしっかり諫めるし、時々ご飯を奢ったりすることによって、単なる悪ふざけであることを、その眼鏡君自身や周囲にアピールもしていた。
 悪いやつではない、と私は感じていた。いやもちろん、性格は悪いし、自分のストレスを誰かにぶつけてるという意味ではひどいのだけれど、でも中学生くらいなら誰しもそうだし、彼のやり方は、それほど傷つけすぎないやり方だった。
 眼鏡君の方は、時々泣いたり歯ぎしりしたりしていたけれど、成績が落ちたり、金を巻き上げられたりすることはなかったから、何の問題もなく卒業していったし、それどころかそのガリベン君は今、クラスは違うけど私と同じ県内トップの高校に合格することができた。イジメっ子君の方は、県外の名門私立の方に行ったから、まぁうまく逃げることもできたというわけ。

 高校に入ってはじめあたり、眼鏡の彼と話す機会があって、イジメられていたときどんな気持ちだったか聞いてみたら「そもそもあれをイジメだと思ってくれる人が、俺以外にいてくれたんだ」と、なぜか感動されて、私はドン引きした。あんなのどう見たってイジメだったと私は思うのだけれど……まぁ彼の言い分によると、それとなくいろんな人に相談しても、まともに取り合ってもらえなかったとのこと。プライドみたいなものは傷つけられたけど、勉強はできるから、その点で耐えることができた、とのこと。なんだか冷静で、忍耐強い人なんだなぁと思って、きっとこの先人生うまくやっていきそうだな、と私は少し安心した。というか……見て見ぬふりをしていた私が安心とか言えるわけないし、そもそもそんな感情抱くこと自体がちょっと不合理なんだけど……という不合理だからこそ、理不尽に安心していた自分に、ちょっと驚いた。
 あんまりそんな、人間らしいというか、善人っぽいというか、そういう感情とは無縁の人間として生きてきたから、あぁ私も女なんだなぁと思わなくもなかったけれど、それもなんだか違う気がした。

 そのイジメっ子君とも最近話す機会があって、眼鏡君の話で盛り上がった。なんで眼鏡君を標的に選んだのか聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
「あいつ、眼鏡だしダサいやつだけど、勉強もできる、運動もできるし、実は音楽とか絵かもまぁまぁできるんだよね。女の子とも普通に喋れるし、友達も少なくない。なんつーかさ、俺って何でもできるじゃん? あいつ、俺より少しだけ弱い人間なんだよ。あー……言い換えれば、俺より少しだけ優しい人間? 俺より少しだけいい人間? だからさ、かわいいって思っちゃうんだよね。変な意味じゃないぜ? 俺ノーマルだから。でも、かわいがってやりたいというか、イジメて、苦しんでるところ見ると、なんか安心すんだよ。あぁ俺はこいつより上だなっていうか、いやそれだけじゃなくて、なんか、変な話だけど、許されてるような気がするんだ。あいつ、俺に何されても、俺のこと恨まねぇから。どんだけ苦しんでも、じっと耐えて、しかも成績も落ちねぇし、他のやつに俺たちの悪口とか全然言わねぇんだぜ。俺、あいつのこと、友達として好きだったんだよ。だから、イジメてた。まぁこの気持ちは女には分からんかもなぁ。気に入った、自分より低いやつに、ちょっと意地悪したくなる、みたいなん」
 男とか女とか、そういう括りのことはよく分からないし、高いとか低いとかもよくわからなかった。ただ、何の罪悪感も感じず、楽し気に話す彼に嫌な気持ちはしなかった。ただ一点だけ、きっと眼鏡君の方は、彼のことを「友達」とは思っていなかっただろうなぁと思う。多分好きでもなかったと思う。イジメっ子君の方が、一方的に感情を抱いて、それをぶつけて、眼鏡君の方は黙ってそれを耐えてたなら、まぁ何というか……傍から見て上にいるのは確かにイジメっ子君の方なんだろうけど、目に見えないもの、つまり精神的に考えれば、眼鏡君の方が高いところにいたんじゃないかなぁって思った。まぁでも、どうでもいいことだ。


 私は基本的に好きか嫌いかでしかものを見ない人間だった。勉強の時はスイッチを切り替えて、正しいか間違っているかで見るけど、決してそういう考え方を人間関係や、道徳の話に持ち出すことはなかった。そういうのは気持ち悪いことだと両親と二人の兄から教えられていたからだ。
 当然周りにもそういう子たちが集まってくるし、だからこそ、そういうイジメっ子君みたいな人とも、友達をやっていた。私自身はイジメとは無縁だったし、まぁクラスの女子の誰かが他の誰かをイジメてた、みたいなことはあったけど、あまり興味がなかったし、どちらともほとんどしゃべったことのない子だったから、何とも思わなかった。
 見て見ぬふりも同罪、みたいなことを言う先生はいたけど、たぶん誰も真面目に受け取ってなかったと思うし、受け取る子がいたとすると、その子はきっと真面目過ぎて生きるの大変になっちゃうんだろうなぁって想像してる。まぁ想像できてる時点で、自分の中にも少しはそういう真面目さがあるのかもなぁと思う。なんだかんだ、親の言う通り毎週塾に通って、いい高校入っちゃってるんだもんね。きっとこのままいい大学目指して、いい旦那さん見つけて、みたいな、いわゆる「いい人生」を歩んでいくんじゃないかなぁって、そう思ってた。まぁ思ってただけなんだけどね。実際は、そんなうまくいかないから。

 高校に入ってから、二人の仲のいい友達ができた。森ちゃんと、柏木。私の苗字が林田で、森、林、木っていう繋がりが、なんか面白くて、それだけじゃなくて、他の子たちよりも、なぜか話が盛り上がった。波長が合うっていうのはこういうことなんだなぁと思った。
 森ちゃんは、私より少し勉強が苦手で(もちろん進学校のレベルで。落ちこぼれではない程度)運動もダメで、口下手でもあった。顔も、まぁ趣味にもよると思うけど、私より美人だと思う人は滅多にいない感じだった。
 逆に柏木の方は、学年トップクラスの成績で、習ってるピアノのコンクールで時々入賞するくらい耳がよくて手先が器用、努力家で、体力もあるし、コミュ力も化け物染みてた。芸能人としてもやっていけそうなくらいの美少女でもあって、まぁ何というか、全てを持って産まれてきたような子だった。でもちょっと生意気なところがあるのは欠点。

 イジメっ子君の話をもとに語るなら、森ちゃんは私にとって「ちょっと下の人間」で、柏木は「ちょっと上の人間」だった。不思議なことに、私は森ちゃんのことが柏木よりも好きで、柏木は森ちゃんよりも私のことが好きで、森ちゃんは、私たち二人のことが同じくらい好きだと私は勝手に思ってるけど……まぁ実際は、柏木のことの方が好きなのかもなぁと、疑ってる。恋愛とかそういう意味ではないけど、奇妙な三角関係だなぁと思っていた。



私と森ちゃん
「みーちゃんは、強い人間なんかじゃないよ。多分三人の中で、一番不安定。一歩踏み外したら、それだけで壊れちゃうような人なんだ。頑張り屋さんで、粘り強いけど、すごく脆いんだ。だから、守ってあげたくなる」
「つまり、森ちゃんにとって柏木は、自分より少し弱い人間、というわけなんだ」
「そうだね。それで、ようちゃんは、私よりも少し強い人間。ううん。何というか、私はようちゃんに勝てる部分一個もないと思う。勉強も、運動も、容姿も、精神的な強さも」
「でも私は、柏木に対して同じように思ってるよ。あいつには敵わないって」
「それは勘違いだと思うよ。ようちゃんは、みーちゃんに出来ないことたくさんできるじゃん」
「たとえば?」
「こうやって、ちょっと難しい哲学的な話をしたり」
「まぁ確かに、柏木はこういう話あんまり好きじゃないよね。でも、こういう話って無意味じゃん」
「そうやって、自分に不利な結論も、迷いなく言っちゃえるところとか。自分に嘘をつかないところとか。ありのままの自分でいて、私なんかより色んなことができるところとか」
「努力してるよ、私だって」
「ううん。私やみーちゃんの努力と、ようちゃんの努力は全然違うよ。ようちゃんの努力は、全然苦しそうじゃないから」
「苦しいのは嫌じゃん。嫌にならない範囲でやるのが普通……いやまぁ、普通って言葉あんまり好きじゃないけど」
「ようちゃんの方が、私やみーちゃんなんかよりずっと強いよ」



 強いとか弱いとか、高いとか低いとか、なんだかそういうことを考えること自体が無意味だと思うのに、みんな無意識的にそんな判断ばかりしてる。私たち三人は、それぞれ何に重きを置くのかが違っていて、多分私と柏木はそれが近くて、森ちゃんはちょっと違うんだと思う。いや……もしかしたら、私と森ちゃんが対極で、その中間に柏木がいるのかもしれない。



私と柏木
「柏木ってさ、森ちゃんと私、どっちが好き」
「林田の方が好き。どっちも好きだけど、林田の方がちょっとだけ気が合う」
「どうしてそう思うの?」
「んー。趣味が合うからじゃない? あと、悪口ではないんだけど、森はいい人過ぎる。そうだね。好きなのは林田だけど、頼りになるのは森だと思う。というか、私結構森に甘えてるところあるし」
「どういうこと?」
「みんなには、かっこいい自分しか見せたくないんよ」
「私は、柏木にとって『みんな』のうちなわけだ」
「どちらかと言うと、そうだね。だからこそ、好きでいられるのかも」
「自分より、少し低いから?」
「いや、高いとか低いとかではないと思う。ただ、尊敬してもらえるというか、見上げてもらえるから。すごいと思ってくれるから。私ほら、虚栄心強いからさ、自分を立派に見せたいんだよ。だから自分の本質を見抜いちゃうような人は、ちょっと苦手。だってそういう人って……」
「自分より強いから?」
「まぁ、そうかもね。もうこの話いい? こういう話は、林田とはあんまりしたくない」
「ごめん」
「全然いいよ。いつもありがとね」
「こちらこそ」



 結局進路はそれぞれ違ったから、卒業してから連絡をすることは滅多になくなった。大学三年の時に久々に三人で会った時は、お互い変わったような変わらなかったような、不思議な時の流れを感じた。
 柏木は三つ年上の彼と少し前に籍を入れて来月式を挙げる予定だと言っていた。家柄も自分と同じくらいよくて、気も合うとのこと。ここだけの話、婚約をしたのは半年前で、二カ月ほど前に妊娠していることが分かったので結婚の予定をちょっと前倒しすることになって、その辺は失敗したと思っているとのこと。
 森ちゃんの方は相変わらずのんびりしていて、大学の英文学の勉強が楽しくて、大学院に行ってとりあえず修士号を取るつもりとのこと。もしチャンスがあれば、その世界でやっていきたいと言っていて、好きな人生を歩んでいるのだなぁと思った。
 私の方はと言うと、多分一番何も考えていないと思う。他の皆と同じように、ただ言われたように課題をこなし、就職活動をしている。仲のいい友達はたくさんいるし、やってみたいこともたくさんある。きっと今が人生で一番楽しい時期なんだろうなぁとは思っているけれど、それは中学と時も高校の時も思っていたことだから、もしかしたら死ぬまでずっとそんな気分のまま生きていけるかもしれない。最近の悩みは、ろくな男との出会いがないせいで、まだ処女であるということ。でもそれは森ちゃんも同じだから、それほど不安にはなっていない。それに私は、モテる。ゆっくりいい人を探せばいい。

 そういえば、最近中学時代の知り合いの男の子、前岸君と再会した。あの、イジメられていた眼鏡の彼だ。眼鏡と言っても、今はコンタクトだし、髪もさっぱりしていて、かなりかっこよくなっていた。正直、結構彼のことが気になっている。
 今は就職活動で忙しいけれど、それがひと段落したら、自分から何かデートにでも誘おうかなと思っている。

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