余生


 二十四で大学生になった。修士をとって、三十で初めて社会に出た。
 「こんなもんか」なんて思った。

 いつまで経っても好きな人はできなかった。私は変人としてずっと扱われていたから、結婚とか、興味もないめんどくさい話を振ってくる人はいなかった。
 変な男性ばかりが寄ってきたけど、全部断ってきた。でも、全て終わってから「あいつは案外悪くないやつだったかもな」なんて思う。そう思っている限りは、何となく、人生そのものにも希望が持てた。

 四十で仕事をやめた。元々物欲が全くない人間で、七十で死ぬ予定で。残りの三十年を平和に生きるだけの貯金がたまったから、仕事をやめた。
 あとは好きなことをしようと思った。でも、何が好きだったか思い出せなくなっていた。
 だから、旅をすることにした。最初にアムステルダムを見て回って、次にパリ、ヴェネチア、ローマ、アテネ、と東の方に向かっていくことにした。イスタンブル、エルサレム、ドバイ。そのあたりで疲れたので、日本に帰ることにした。貯金はかなり減って、また働かないといけないなぁと思った。
 でもかつての職に戻ることはできないし、今の自分にできる仕事で一番いい給料のものでも、かつての半分程度だったから、やる気はしなかった。

 あぁこういう風にして「普通の人間」になるのだなぁと思った。

 旅行に行っても結局観光名所を巡るばかりで、何か面白いことがあったわけじゃない。出会いはまぁあったけれど、しょせんは大人同士のつまらない文化交流。新しい気づきがあったわけでもなく、ただ「そんなもんだよなぁ」とか「やっぱりね」とか、いい時でも「へーそうなんだぁ」程度の感想しかわかなかった。

 事前に調べて色々な対策をしていたからトラブルにも見舞われなかったし、楽しい旅行ではあったけど、期待していたほどではなかった。人生を変えるほどの感情は得られなかった。
 そうだね。どこで生きてたって、そこには人間の生活の香りがしていて、非日常なんてものは存在しないのだと思った。全て……理屈通りにそこに存在するのだと思った。

 値段の割に狭いけど清潔で壁が分厚くご近所トラブルの少ないアパートに戻ってきて、ほっと息をつく。半年ぶりに家に帰って、最初にやることは洗濯物を片付けることだった。次に、ほこりの溜まった部屋の掃除。つまらない人生だなぁと思ったけど、人生なんてそんなもの。全部片づけ終わったら、パソコンの電源をつけて、お気に入りのアーティストの新曲をユーチューブで聞いて回った。
 天才たちも、家に帰ると洗濯物のことを考えたりするのかな。お昼ご飯、何食べようとか考えるだろうし、なんだか急に空しくなったりすることもあるんだろうな、と思った。

 人生、そんなもんだ。そう思うと、ちょうど雲の隙間から太陽が顔をのぞかせたのか、光が部屋に差し込んできた。
 あ、と思った。この明るさは、昔と変わらないな、と思った。少女時代、畳に落ちる明るい光に、生きているという実感を感じたことを思い出した。
 百年経っても、千年経っても、部屋に差し込む太陽の光だけは変わらないような気がした。そこに寝そべって、日向ぼっこをした。これも、きっと変わらないことだ。

 余生を過ごしている。でも初めから、私の人生は余生のようなものだったような気がする。やるべきことは何もなかった。ただ、毎日、自分のしたいことを適当にやって生きてきた。アニメや映画みたいな大げさに悲しいことや嬉しいこともなく、小さな刺激で退屈をしのいできた。

 子供を産んでおけばよかったと思うこともある。でも、私が子供を産んだとしても、その子はきっと私と同じような生き方しかできないのだと思うと、無駄だな、と思った。疲れるだけだな、と思った。

 だから、これでよかったのだと、そう思った。寂しさもない。ひとりでいるのが、気楽で、幸せなんだ。

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