見捨て【ショートショート】
見捨てられた、と思った。
彼女に連絡をしたが、丸一日返事がなかった。もともと友達はいないし、家族は冷たい。
寂しさを紛らすためにはじめたSNSも、しばらくやってなかったが、ダメもとで何か書いてみた。やはり、何の反応もなかった。
時代から取り残されている、と感じた。なんでまだ生きているのだろう、と呟いてみた。なんだか気持ちが悪くなったから、まだ早いけど風呂に入って寝ることにした。
風呂に入っている間に、携帯に連絡が入っていた。彼女だ。
――ごめん。ちょっと事故に巻き込まれて、今病院なんだ。
ほとんど反射的に返事を書いていく。
――大丈夫なの? 今すぐ見舞いに行こうか?
しばらく返事が来ない。そわそわして仕方なかったので、夜だけどスマホを持って風を浴びることにした。
――大丈夫。でも、右腕がちょっと動かせなくて、今左手でうってる。
――どこの病院?
――もう遅いから明日でいいよ。
――そもそもなんでもっと早く連絡してくれなかったんだよ。
――また明日ね。今無理。
心配なのと、彼女の悪い癖が出ているのとで、とても腹が立った。いてもたってもいられなかったけれど、どうすればいいか分からなかった。
彼女の両親に連絡を取ろう、と思ったが、連絡先をしらなかったし、そもそも彼女も僕と同じで両親とは不仲なのだ。
――とても心配だ。明日、仕事を休んでできるだけ早くそっち行くから、欲しいものを考えておいてくれ。
――うん。ありがとう。
――お大事に。
彼女はいつも言葉足らずだ。でもきっとそれはお互い様なんだと思う。でも僕は自分がいつも言葉足らずになりがちだって分かってるから、できるだけ自分の気持ちを分かりやすくはっきり言葉にしようとしてる。彼女は、いくら言ってもそういう努力をしようとしない。向いてないだとか、恥ずかしいだとか、やらない言い訳ばっかりしてる。だから僕は、彼女の気持ちが分からなくて、不安になるのだ。なんだか腹が立ってくるのだ。
その日の晩は眠れなかった。さっきまで自分のことで頭がいっぱいだったのに、今は彼女のことで頭がいっぱいになってしまった。いくら待っても連絡は来なかったし、結局朝になっても、どこの病院に行けばいいのか分からなかった。
――どこの病院かくらい教えてくれ
既読はつくのに、返信はない。だんだんイライラしてくる。お昼を回ったころに、着信が鳴った。彼女からだった。
「もしもし」
「あ、もしもし? 彼氏さんですか?」
別の人の声だった。病院の人間だ、と思った。
「はい。三上の……恋人です」
「あのね、落ち着いて聞いて欲しいんですけど」
心臓が気持ち悪いほど早く動いていた。
「はい」
「彼女さんね、火災に巻き込まれてひどい火傷負っちゃったんです」
「火傷……」
「それで、すごく衰弱していて、精神的にも不安定になってるんだけど……」
「どの病院ですか? すぐに行きます」
その時、ひどい叫び声が聞こえた。電話越しでも、耳を塞ぎたくなるような、この世のものとは思えない叫び声。どんな動物だって、そこまで恐ろしい声はあげないだろう、と思われる。
しばらく言葉がなく、静かになる。
「あ、あの……」
返事がない。
「ご、ごめんね。その、彼女さん、今はちょっと会いたくないみたいなんですよ」
「どうしてですか。そもそも、彼女の家族はどうしてるんですか?」
「ご家族には連絡したんだけど、忙しくてしばらくは来れないって……」
「だったら、僕が行かないと」
「それがその……火傷で、色々変わっちゃってて……」
「命に別状はないんですよね?」
「はい。皮膚がちょっと焼けただけなので」
「じゃあ何の問題もないですよ。行かせてください。どの病院ですか?」
看護師さんは、素直に病院の名前を教えてくれた。僕はすぐに上着を着て靴を履いて、車を出した。
一言で言えば、化け物だった。顔の全面と肩から右腕にかけてが焼けただれ、美しかったころの彼女の面影は少しもなかった。それだけでなく、何を言ってもまともな返事は返ってこなかった。それが本当に彼女なのか、疑いを持ってしまうほどだった。
「まぁ、落ち着くまで待つからさ」
彼女はこくりとうなずいた。
不思議なことに、僕は彼女にあまり同情はしなかった。痛そうだと思うし、つらそうだとも思ったけれど、なんだか、どこか他人事のように捉えていた。現実感がなかったのだ。
見舞いを終えて家に帰る途中、携帯に連絡があった。
――別れよう。
とだけ。
――嫌だ。
僕は、信号を待っている間に、そう打った。迷うことはなかった。
――どうして?
――今運転中。後でね。
どうしてだろう、と運転をしながら考えた。別れない理由、というよりも、別れる理由がなかった。彼女がひどい火傷を負ったとして、そもそも僕はもともとの彼女の顔、どこにでもいそうなそこそこの美人、というような顔があまり好きじゃなかったし、いつもちょっと上擦っている声も好きじゃなかった。でもそう考えていくと、僕は彼女の何が好きだったのだろう、と、それもまた分からなくなった。
寂しくて、試しにマッチングアプリで何人かと実際に会ってみて、その中で一番気が合ったのが彼女だった。気が合っただけだった。一緒にいて不快ではなかったし、お互いにほとんど友達はいなくて、恋愛の経験もなく、安心して付き合えるから、とりあえず、という形だった。
彼女から聞いた話は、どれもどこかで聞いたことのあるような話だった。学力は並、中学高校とずっと美術部で、かといって真面目に絵を描いていたわけではなくて、ずっと友達とアニメや漫画の話に興じていたこと。大学に進学してから友達ができず、中学高校時代の友達からも連絡が来なくなって、自分から連絡する勇気もなくて。大学卒業後の就職活動は人生で一番頑張って、給料も待遇もいい職に就くことができたけど、根性がなくて半年でやめて、今は週四日でアルバイトをしていて。親からは「せっかく大学に通わせてやったのに」としつこく言われるのが嫌で、会いたくなくて。生活はぎりぎりだけど、物欲はないからあまり困ってなくて。将来のことはあまり考えたくなくて。
僕も似たようなものだった。一応、ちゃんとした職についているから彼女よりは生活に余裕があるし、それほど両親との仲も険悪ではないけれど……でもやっぱり、親も他人、って感じだし。お互い孤独で、似た者同士だったから……
家についてから、ゆっくりシャワーを浴びて、温めたミルクを机の上において、ふっと息をつく。そして、スマホの電源を入れて、考えていた言葉をそのまま伝える。
――考えてみたんだけど、僕にはどうやら君しかいないみたいなんだ。
――こんなひどいことになっても?
――関係ないね。
それが正しいことなのかは分からない。でも、事実は事実だ。
――もともと君の容姿は好みじゃなかった。声もそうだし、性格も。
僕自身だってそうだ。僕は僕自身の容姿も、声も、性格も、そんなに好きじゃない。でも僕は僕だから、このまま生きていかなきゃいけない。
君だってそうだろう? そうなってしまったものはそうなってしまったものだ。そして僕らは付き合ってるし、別れる理由はない。だったら、やっぱり関係なんてないよ。
返信はなかった。
まぁ、彼女はそういう子なのだ。何を言えばいいか分からないときは、ただ黙る子なのだ。今は、そっとしておこう。そのうち元気も出てくるはずだ。
寝る直前に、通知があった。
――ありがとう。
その日の晩は、暖かくてよく眠れた。
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