自分自身のこと④

 あぁ。なんだかつまらない。疲れた。

 今日という一日を振り返って……自分がやったことを思い出す。何というか。
 朝起きて、洗顔歯磨きその他めんどくさいことを済ませて、ご飯を食べて、漫画を読むか本を読むか迷った末に両方読んで午前中を過ごして。ふと、罪についての考えがまとまる感じがしたから、書いてみて。我ながらまぁまぁ分かりやすく書けたんじゃないかと満足したお昼過ぎ。
 何も考えずに最近新しく買ったゲームに興じ、順調に進め、疲れてやめて。また本を読んで。音楽を聞いて、昨日作曲が趣味の友達とおしゃべりして、ちょっとしたアドバイスを貰ったからそれを試して。でも何というか、これじゃない感に堪えられなくて、一時間くらいでやめて。オンラインでボードゲームやって。連続でひどいミスを犯したせいで惨敗して。晩御飯を食べて。すき焼きがおいしくて。ごちそうだぁと思いながら、安かったからという理由で誰も飲まないのにお母さんが買ってきた炭酸ジュースをコップについで飲んで、やっぱりこういうのはあんまり好きじゃないなと思いつつ、なんだかんだおいしくいただいて。
 食後に、外は暗いけど、ほんの少し夜風を浴びて。五分くらいで帰ってきて、お水を飲んで。ため息をついて。風呂に入って、あがって、髪とか肌の手入れして。なんか、空しくなって。
 鏡に映る自分はいつも通り。血色はいいし、笑ってみれば、まぁまぁかわいい。無表情のまま、目に力を入れるのをやめて、口を半開きにすると、まぁ何というか、陰気。この見苦しい私も、まぁ私なんだなぁと思うと、まぁ仕方ないなぁと納得しながら。顎の横あたりのぷっくり腫れたのふたつのニキビがなかなか治らないなぁと悩みながら。あと残らなければいいけどとか思いながら。半分くらいは、どうでもいいと思いながら。どうせ老いていくんだ。

 自分という人間がいかにつまらない存在かということで悩む。「普通でいい」と言ってくれる人は多い。私の日常生活は普通だろうか。どちらかというと、普通以下なんじゃないか? 学校にもいかず、働くつもりもなく、何の発展性もなく、希望もなく、日々を無為に過ごしている。それを普通と呼んでいいのだろうか。私には分からない。
 でもその生活に不安になれるほど……私の精神は、普通ではないようだ。なんだか、いわゆる「普通」に、学校に行って、大学に進学して、就職して、という未来は、私の未来じゃない。どう考えても、無理だ。考えるだけで吐き気がする。
 普通になれないから、普通になりたくないと思うのか。それとも普通になりたくないから、普通になれなくなったのか。どっちでもいい。どっちでもいいけれど、自分と同じ世代の人たちと、自分がどうしようもなく隔絶されていることと、自分の将来がお先真っ暗で、このままじゃダメなんじゃないかという気持ちだけは、はっきりと感じるんだ。
 何かをしたい。でも、そうやって何かをやっても、うまくいかないことばかりだった。

 よく分からないんだ。

 自分がしたくないことはたくさんある。したくないことを避けてきた結果、私には、ほとんど何も残らなかった。つまらない享楽と、健康な肉体。日々の自己満足。創作活動と言えば聞こえはいいけれど、私はそれで誰かに評価されようという気がないし、努力も……昔はやってたけど、実らなかったから、諦めている。正直に言って、私には何の才能もない。そんなこと思ってもないくせに。

 どうすればいいのかも分からないし、自分がどこに向かっているのかも分からない。ぼんやりとした不安感だけがそこにあるのだとはっきり分かるもので、でもこれが何のためにあるのかもよく分からない。
 ここ数日の自分の体調がいい理由は分かってる。一応、やるべきことがあるからだ。自分の過去をただ書くこと。とても苦しくて、やりたくないと思うけれど、やらなくちゃと思うから、やってる。そうして、やりたくないけれど、意味があるかもしれないことをやっている時は、私は空しさから逃げられる。
 その先にどんな未来が繋がっているか分からないということ、つまり知らないということが、私にぼんやりとした希望を抱かせる。
 ……でもさ、その先にあるのはいつだって失望だった。私がこれだけ苦しんで自分の過去と向き合ったって、結局私は何も変わらない。私はどれだけ頑張っても、報われない。報われたことなんてなかった。実は分かってる。私はダメな奴なんだって。でも、やるしかないからやるんだ。ほんと私って、馬鹿みたい。でも、やらない馬鹿でいるよりは、やって馬鹿を見る馬鹿でいたいんだ。どうせダメだって分かってるけど、分かってても進む馬鹿でいたい。
 どうせ空しく、ひとりで死んでいくんだ。それならせめて、自分の気持ちに従って、精一杯苦しんでいたい。そうじゃなきゃ、空しすぎる。
 悲しいな。

 私はプライドの高い人間だった。幼少期から、ずっと、一度も自尊心が折れたことがない。
 いやもちろん、失敗したり、恥ずかしい思いをすることは多かった。でもそういう時は、私にとっていつでもチャンスだった。誰が見ても「かわいそう」という状況においても、歯を食いしばって前を向く姿は、誰が見ても魅力的に映ることを、私は知っていた。昔から私はある意味客観的な視点を持っている人間だった。
 たったひとりでいるときも、誰かが見ているような気がして生きていた。気を張って生きていた。なぜそうなったのか、と聞かれても、よく分からない。目立つことや褒められることが多かったからかもしれない。

 性についての話はできればあまりしたくない。私の自尊心の最大の危機は、それにあった。自分の意思でうまくコントロールできないもの。距離を取ることも、背を向けることもできないもの。
 生理とかは、単なる肉体の反応だから、別に何ともなかった。元々知識はあったから精神的な準備はできていたし、自分なりに色々試して、すぐに慣れた。でも性欲はそうじゃなかった。これは私を内側から動かし、望まない感情や衝動をもたらす。理性によってそれを堪えても、どれだけ堪えても、しつこく顔を出して私を誘惑する。
 抑圧すればするほど、その欲望が自分の中で歪んでいくのが分かった。奇妙な破滅願望に変わっていくのを感じた。いつの間にか全部を台無しにしてしまいたいと思うようになっていた。理性がめんどくさくなってそう結論したのか、それとも理性に対する情動の反逆としてそう思うようになったのかすら、当時の私にはよく分かっていなかった。
 比較的安全な方法で、色々アブノーマルなことをしたと思う。思い出すことはそれほど苦ではない。でも人にそれを言うのは、苦でしかない。誤解を招く……というか、誤解ではないのだが。私はその時確かに混乱していたし、倒錯していた。にもかかわらず、他の人と一緒にいるときはそんな部分が全くないかのようにふるまっていた。自分は変じゃない、と本気で信じ込んで、人と接していた。ひとりきりのときの自分と、人と付き合ってるときの自分は、まったく別の人間だと私は割り切ろうとしていた。割り切れるわけもないのに。

 幸運なことに、高校に行く頻度が落ちてから、そういう倒錯的な欲望は少しずつ小さくなっていって、今やもうほとんどなくなっている。ストレスと性欲の関係は密接なのだと思う。私は今、かつて自分がなんであんな動物みたいに色々できたのかよく分からない。動物みたい……本当に。いやもちろん、今もそういう気分になるときはあるけれど、それは自分なりにコントロールしてそうしているから、それはある意味、人間的だと思う。でもどうなんだろうな。気に入らない。正直、本当に、気に入らない。

 多分これは、思春期によくあることだと思う。男女ともに。自分には理解できない自分の中の感情とか欲望に振り回されて、意味不明なことをしでかしてしまう。時間が経つと、なんだか恥ずかしい。でもその名残は確かに今の自分にもあるのだ。あぁ。なかなかに気分が悪い。

 ずいぶん抽象的に話したけれど、これは許してほしい。というか……多分私は、それを具体的に書くことができない。抽象的に理解することによって、痛みを和らげているから。多分具体的に話すと……具体的に話してみようか。たくさんのエピソードがあるけれど、思いついたものをそのまま語ろうか。下品になっちゃうけど。今日は自分が嫌だと思うことをとことんやってみよう。

 自分でも理解できないことだから、一種のホラーみたいになっちゃうかもしれないけど。

 最初に思い浮かぶのは、露出癖。あーあ。もうこの時点で言いたくないよ。今は全然そんな欲望はない……と言いたいところだけど、まぁ、両親が二人とも家にいないとき、急に服脱ぎたくなって、実際に脱いで、変な踊りしながら家の中うろつくことあるから……(あーあ。あーあって感じだよ。それは昔のことじゃなくて、今も時々あることだからこそ……言いたくないよね。狂ってるとか思われたくないし)
 もうやっぱ言うのやめよ。これ、関係ないでしょ。私の過去と。いや関係あるんだよなぁ……

 議論しながら、エッチみたいなのが好きだった。いや、そんなことしたことはないのだけれど。あと私、まったく声とか表情とか変えずに性を楽しむことができるから……その、電話越しで友達と話しながらアレコレして、自分がすらすらいつも通り喋りながら絶頂して、バレるわけないなぁと思いながらニヤニヤしてた。すごく冷静にしゃべってる私が、電話の向こう側で自分の体を慣れた手つきでアレしてコレして、即イキしてるなんて、想像もしてないだろうなぁなんて想像して……私、変態だったんだよな。結局。

 今はそんなことする理由も必要もないからしないけど、でも中学の時、そういうことをしたことがあるってだけ。
 あと好きでもなんでもないけど、いい声してる男友達の声で自分の考えたセリフを頭の中で読み上げたりとか……いやまぁそれくらいは普通か。

 あと、死んだ兄さんのこと思い出しながら、自分に酔って泣きながらひとりでしたりとか。あーほんとに、なんかそれはさ、本当にそういう風に思ってやってるというよりも、一種の遊びとしてそういうことしてた。死者への冒涜というか、そういうタブー感も、私を気持ちよくしてたと思う。未亡人って、なんだか素敵じゃん。そういう気持ちを想像して、実際の自分にはない感情を無理やり呼び起こして、みたいな。最低でしょ。最低だと思う。二度とやらない。

 業がすげぇよ。私は。

 あとリコーダーか。さすがにこれは言わなくていいでしょ……もはやギャグなんだよなぁ。ギャグみたいなことを、実際にしちゃうんだからすごいと思う。
 好奇心って恐ろしいねそうだね。

 まぁでもなんだかんだ私は臆病でさ、衛生的にまずいことはしなかったし、他の人に迷惑をかけるようなこともしなかった。ただ安全にひとりでできそうなことは一通りやったってだけ。でもさ。意外とみんな言わないだけでさ、実はそうなんじゃないかなぁって思うんだ。だって楽しいじゃん。自分の体いじるのって。日々少しずつ変わっていくわけだし、気持ちいいし。いや正当化したいわけじゃないんだけど、そんなもんだよなぁって! あーどうでもいい。


 なんでこんな話しなくちゃいけないんだろ。帰っていいですか? って言いたくなる気分。いや、ここは私のホームなんですけどね。はぁ。

 なんか気分は悪いけど、吐きそうではないんだよね。多分なんだけどさぁ。女性性って、基本的に自分の女性らしさにとって不利なことって、意地でも言いたがらないんじゃないかって思うんだ。これどっちかっていうと、肉体的抵抗に近い気がする。

 自分がいかに弱い存在であるかとか、劣った存在であるかとか、そういうことを熱弁するときは、何の抵抗も吐き気もないんだよ。不快感もない。でも自分の病的な部分とか、体や顔のコンプレックスとか、そういう部分を人に話す時って、ほんとこう、なんか、ムカムカしてくる。不安感とは別に「気持ち悪いなぁ」って思う。生理の話もそう。男がいるところでそういう話するのは、なんか、本能的にいや。割り切ればいけるし、聞かれたら普通に答えるけど、うん。やっぱり本能的に嫌なんだよね。
 みんなそうってわけではないと思うんだけど……あのさ、男の人で時々、意地でも自分の間違い認めない人っているじゃん? いや女にもいるけど、男にそういう人多いじゃん。本人も自分が間違ってるのに気づいてるのに「うわぁ間違えた俺間抜けだぁ」っておどける勇気がないから、ぶすっとして、口数少なくなる、みたいな人。あぁいうのに近いんじゃないかと思うんだ。違うかな?
 なんか、生物的に不利なんじゃないかなぁって。そういう肉体の、あんまり綺麗じゃない部分の話をするのは。寝起きのひどい顔見られた時みたいな不快感? あ! それが近いわ。関係ないけど、昔修学旅行のバスの中で人の寝顔絶対撮る(ウー)マンいて、ほんとに不快だった。それに流されて、寝てる人見かけるたびに何人か集まってパシャパシャ撮ってんの、ほんとに下品だと思った。私は当時、寝るもんかと思ってたけど、結局普通に寝ちゃって、撮られたの悔しかったの覚えてる。あの時、声荒げようか正直迷ったけど(寝起きで気が立ってたのもある)そんなどうでもいいことで怒る人間だと思われたくなかったので我慢したの覚えてる。

 さらにどうでもいい話をして、気まずさ誤魔化してる感。なんでこんなどうでもいいこと語らなくちゃいけないんだろ。これに意味あると思えないんだけど。ふぁー。

 まぁそれも私なんだって認めなくちゃいけないのかなぁ。よく分かんないなぁ。


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