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文章のクオリティを上げる

 私の文章のクオリティは低い。別の言い方をすれば、乱雑だ。
 文章が下手であるというわけではない。基本的な文法や言葉選びがおかしかったり、知識不足からくる誤用が多いというわけではない。
 読みやすいと言われることは多い。語彙力があると褒められることもある。だが、ていねいだと言われることはめったにない。そういうことなのだ。

 最近気づいたことがある。うまい文章とへたの文章を見分けることができる人は少ないが、完成度の高い文章と完成度の低い文章を見分けることができる人は多い、ということだ。

 絵がうまい人の描いた絵と、そうでもない人の描いた絵を見て、どちらがうまいかは、絵を真剣に描いたことのある人なら、すぐにわかる。それに対して、あまり絵に触れてこなかった人には、その違いがすぐにはわからない。
 しかし、それが完成された一枚の絵なのか、それとも単なる練習用のスケッチであるかは、絵の経験がなくても直感的に分かるものである。
 たとえそれがデッサンの狂った下手な絵だとしても、細かいところまで描き込まれたものである場合、その絵が「丁寧に描かれた絵だ」ということまでは、誰にでもすぐにわかるのだ。
 逆に、うまい人が短時間で描いたスケッチは、あまり絵に興味のない人にとってはそそられない代物だ。「うまいのかへたなのかよくわからないもの」でしかない。
 文章もそれと同じだ。ていねいさだけは、誰にでも伝わる。

 私は自分の「文章の雑さ」「クオリティの低さ」という欠点を、過小評価していた。それは一目見て誰もが分かることであるから、内容を理解してもらう前に「読む価値ナシ」と判断されがちであったかもしれない。

 文章のクオリティを上げる方法は、ただひたすら読み直して、よりよい表現に変えていくという作業を繰り返すこと。特別な能力は必要ない。違和感のある場所を直したり、魅せるべきポイントで美しい表現を後から挿入するだけでいい。

 人は、やればできるのにやらない人間のことをあまり好まない。実際のところ、そういう人の話は聞く価値がないかというと、そういうわけではないが、しかしそういう風に思う人間が一定数いる以上、彼らに合わせるのが無難であると、私はやっと気がついた。

 ミスが一切ないのは当たり前。私の文章は、あまりにも誤字脱字が多すぎる。後で読み返したとき、誤字脱字を見つけるたびに直しているから、古い記事の方がミスは少ないと思う。でも、それじゃダメだ。よく読まれるものほど、力を入れなくてはならない。

 評価されたいからやっているのではなくて、読んでもらいたいからやっている。人から褒められたいからやっているのではなくて、自分の考えによって人の心を動かしたいからやっている。
 やるべきことはやろう。正当な努力だ。


 さて、意識だけではうまくいかない可能性が高いので、ルールを定める。

 ニ回、読んで直す箇所が見当たらなかった場合のみ、投稿する。
 ニ回推敲するという意味ではない。「読み通したが、直す箇所がひとつも見当たらなかった」ということが、ニ回続けて行われてから、投稿する。一カ所でも直すべき箇所があったなら、そこからさらに最低でも二回は通しで読み直す。

 確実に、今までより文章にかける時間は長くなる。投稿のペースは落ちると思う。とりあえず続けてみて、様子を見よう。負担が大きすぎたり、体調を崩したら、やめることにする。

 あと、簡単な見出し画像を毎回つけてみる。何もないよりかはマシだろうし。

 ま、気楽にやりますよ。完璧主義者ではないんで。

 追記:見出し画像は保留。二回読んで直す箇所が見当たらなかった場合のみ、っていうのはちょっと負担大きすぎる。気楽に「こっちの方がいいなぁ」っていう気持ちで直したときまで条件に引っかかっちゃって、吐きそうになる。もちろん最終的にはそれくらい丁寧に書きたいけど、いきなりは無理だ。自分の体調に合わせてもうちょっと緩めることにする。(でも、調子がいいときは、このやり方で文章を整えたい)

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