高校入試の合格発表で感じた吐き気

 私はこの話をして共感してもらったことが一度もない。まぁ本来、話す理由もない事柄だからだ。
 でもやっぱりこのことが忘れられないし、ずっと胸に突き刺さっている。


 合格発表の日、私は母と二人で見に行った。同じ高校を受ける友達から一緒に行こうと誘われていたが、何となく嫌な予感がしたので断っていた。
 知らない人たちの群れというだけで気持ち悪かったし、それ以上にあの場所には大きすぎる感情が渦巻いていた。私が高校に着く前に、ラインの通知がうるさいほど鳴っていて、きっとその話で友人たちのグループが盛り上がってることが想像された。私は嫌になって、スマホの電源を切っておいた。

 番号が見つかると、「私はやっぱり優秀だ」と思った。なかったらなかったできっと「まぁそんなこともある」なんて気楽な態度で帰ることができていたと思う。その、三年生になってからほとんど不登校だったから、正直に言えば、落ちたら内申点のせいにしようと思っていた。馬鹿な話だ。
 ともあれ当時の私はそれに喜んだが、その喜びは束の間、友達ではなかったが、顔見知りが泣いているのを見かけてしまったのだ。その子が受験にどれくらい力を入れていたかは知らないし、そもそもそんなにたくさん話したことのある子でもなかった。ひとりぽつんと立っていて、私は声をかけようかと迷ったが、無理だと思った。
 もし私が落ちてたら「私も落ちたんだー」と気楽に声をかけにいけたと思う。でも今の私がそんなことをするのはおかしいし、もし私が彼女だったら、そっとしておいてほしい。私は彼女がどんな気持ちだろうと、意味もなく想像し、胸を痛めた。そこにほんの少しの「私って優しい」という気持ちの悪い優越感からくる同情心がなかったかと言われると、分からない。確かに私はその時、吐きそうだったし、気持ち悪かった。人混みが嫌だったのもそうだし、そもそも何というか、不合理な感じがした。
 受験なんて大嫌いだし、どうでもいいと思っていた私が受かって、そうじゃない子が落ちるなんて、ふざけてると思ったのだ。少なくとも私が彼女なら、そう考える。
 そもそも私が受かったせいで、枠はひとつ埋まってしまったのだ。五百人受かるなら、私がいなければ五百一人目は受かっていたはずなのだ。だから私が、ひとつ席を奪ったというのは、間違った考えではない。
 もちろん能力至上主義の競争社会だから、それは罪ではない。それは分かってる。ただ私自身が、それに言いようのない気持ちの悪さを感じたのだ。
 あんなつまらないテストで! あんなつまらないテストで、自分たちの人生の行き先が決められてしまう! そう考えると、喜んで騒いでいる連中が馬鹿みたいだったし、何かが違えば同じような態度をとっていたであろう自分自身のことも、嫌になった。

 帰りの電車でスマートフォンの電源を入れると、案の定ラインは喜びで溢れていた。落ちた人間より受かった人間の方が、総合的には多いのだから、そうなると考える方が自然だ。落ちた子は黙っていたし、逆に言えば、黙っている子が落ちた子なのだと一目瞭然だった。もし何かネガティブなことを言えば、そのお祝いの雰囲気を台無しにしてしまうことを、皆が察しているような気がした。
 それも気持ち悪いと思った。個チャがいくつか来ていて、結果を聞いてきた。受かったと言った。おめでとうと言ってもらった。すごいねと言ってもらった。私もお返しに、相手が受かったのかと聞いた。相手も受かったと言った。私もおめでとうと言った。ありがとう、と返ってきた。
 私は何も嬉しくなかったし、何もかもが不愉快だった。

 私がそのことを家についてから母に正直に言うと「え、受かったあんたがそれ言うのおかしくない?」と返ってきた。違う。受かったからこそ、言えるのだ。
 もし私が落ちていたら、こんなことを言うことはできなかっただろう。落ちてたら、私が受験のことを悪く言うのは、単なる僻みだと思われるから。私のプライドは、そういうところを気にする。人に、低劣な人間だと思われたくないから、落ちた受かったという結果はどうでもいいけれど、それに対する態度だけは、立派な人間でありたいのだ。
 自分の正当性を肯定するために、不合理な論理を振りかざす人間ではありたくない。

 私はただそのとき、理屈ではなく単純な感覚として、気持ち悪さを感じたのだ。生きづらさを感じたのだ。

 私は受験なんてなくなってしまえばいいと思ってる。頑張った人間が報われないのは仕方ないにしても、あんな風に大多数の人間が望んでもいない競争を強いられるのはおかしいと私は思う。

 言っても仕方がないのは分かる。社会はそういう風にできているし、それを覆すことはできない。いや、分かってるんだ。私の言っているのは、単なる感情論でしかない。

 でも私は、変えたいと思ってる。勝ち負けという気持ちの悪い考えを押し付けられるのは、もううんざりだ!
 勝っても負けてもろくなことはない。負けたら悔しいし、勝ったら勝ったで妬みを買うだけ。妬みを買ううえに、やってること自体は負けた場合と大して変わらない! いや、負けた場合の方がマシだったくらいだ。毎日毎日忙しく新しい知識を詰め込まされ、どんな経験をしても次の戦い(大学受験)に役立つかどうかとか、そんなつまらない価値判断を迫られる! 人間的なことと言えば気持ちの悪い無責任な恋愛くらいなもので、結局は課題課題課題試験行事課題課題試験課題。狂いそうだ! いや……狂わないでいられる連中の方が狂ってるのだと、私はそう思いたい。
 そう思いたいけれど、そう思いたいだけなのだ。私はそれを主張できない。それは私の無能さに原因があるからだ。私が怠惰であるからなのだ。

 私は耐えられないし、耐えるつもりもない。死ぬことも視野に入れて、今は何もせずに生きている。

 ともあれ、私は大学入試に取り組むかどうか迷っている。もう一度あんな思いはしたくないけれど、そう思うのは私の怠惰さゆえなのか、それとも、私自身の生き方や感性の問題なのか、それすら定かじゃない。
 受験は気持ち悪いと思う。競争社会も嫌いだ。学問の世界にすら競争はあるから、私は多分、その中でも生きていけない。

 将来のことは考えたくない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?