不正を憎む人

 朝だ。なんでそんなに目を赤く腫らしているのかって? 夢を見たからだ。
 私に対して加えられてきた不正な危害を、夢という形で何度も再体験してきたからだ。

 あぁ心配しないでくれ。きっとこれは恩寵なんだ。私が、苦しくて悲しい過去に向き合うことができるほど、強くなった証なんだ。だからどうか、君には優しく見守っていてほしい。


 たくさんの傷があった。理解できない攻撃があった。彼らにとって私が憎かったのではなく、彼らはただ、怯えていた。自分が傷つくのが嫌だから、誰かを傷つけて、自分と、自分の周囲の野蛮な感情を発散させておけば、それが自分に向かうことはないと、そういうことで安心していたかったのだ。
 私だって分かってる。分かって犠牲になっていたわけではないけれど、でもいつだって連中の目は同じだった。その中に怯えがあった。私は連中の生き方を見ると、苦労を見ると、どうにも……彼らに復讐してやろうとは思えなかった。復讐したとしても、彼らとは別の彼らがまだこの世界に存在し……いや、大多数の人間の中に、あいつらのような濁った自己保身の感情がある以上は、結局私は、この不正に黙って耐えるしかなかったのだ。

 でも、誰も助けてくれなかったし、理解もしてくれなかった。私が泣きつかなかったからだ。毅然とした態度で、どうでもいいこととして、皆の前ではそんな立派な態度で耐え抜いて。涙を流すときも、決して声をあげず、静かに、まっすぐ立って、耐えよう、耐えようと、自分に加えられる不正に対して、ただひたすらに、受け止めようとした。彼らを許そうとした。
 だから、だから……誰かが、私を信じてくれる必要があったのに、誰かが私を守ってくれる必要があったのに。誰も私を弁護してくれなかった。弁護してくれる人がいないということは、私の方には私自身の正しさしかないということなのだ。悲しいことに、大多数が「それは事実じゃない」と言ったら、本当に彼ら全てが事実じゃないかのようにそれを扱いはじめる。私は何が本当のことだったか知っているけれど、そのことについて彼らに教えてやる能力なんてなかったし、それを手に入れた今でさえ……夢の中で私は無力で、次から次へと出てくる私より背の高い男共の屁理屈が、私の反論が始まる前に、また新しくやってきて、そしてその言葉には必ず拍手が加えられる。私の友達や家族は、遠くの方から私を見ている。見守っているわけではない。
 だって彼らは、私に加えられている不正のことなど何も知らないし、そこで何が起こっても私を守るつもりなどないのだから。
 私が連中から情けなく逃げ出して、ぼろぼろの姿で佇んでいるとき、彼らは逃げ出した。私がひとりで立ち直っていつものように笑うまで、そっとしておこうとした。
 私が欲しかったのは、慰めなんかじゃなかった。私が欲しかったのは、仲間だった。味方だった。私のために戦ってくれる人だった。私に加えられた不正を、一緒になって糾弾してくれる人だった。

 そんな人は誰もいなかった。誰もいなかったんだ。


 何度も何度も何度も。それは同じ人間が、私に恨みを持って加えた不正ではなかった。ただ人間の本性が、歪んでいた。
 私はどこにいっても、誰かの意地悪や攻撃に対して仕返しをしなかった。それには事情があるのだと想像して、大目に見るようにしてきた。すると彼らは増長して、私のことを傷つけてもいい人間だと思うようになった。あるいは……私は、守られる必要のない、彼らより強い人間だと思われるようになった。
 弱くて傷つくのが怖い人間の集団は、強くて傷つくことを恐れない一個人を寄ってたかって悪く言う。そうすることが公正なことなのだと、彼らは無邪気に信じているし、私だってそう思う。
 だから私は、一個の強い人間として、耐えるしかなかった。耐え抜ければよかったのに、実際には……私は情けなく涙を流し、ただ耐え、耐え、耐え、その先に残ったのは、恨みだけだった。

 こんなことがまかり通ってしまう世の中。肯定される世の中。気づかれない世の中。万人による万人との争い。自分の身を守るために、人を徹底的にいたぶり、辱め、傷つける。そういう連中の手口が、どんなに偽装したところで、ないものとして扱おうとしたところで、その本性が、ふとした瞬間に現れ、私の傷口に塩を塗る。

 正直に言ってしまえば、私は人間が嫌いになった。

 他者に対して公正でなくてはならない。自分と同じだけの権利を認めなくてはならない。誰かが別の誰かに対して不正な行いをしたならば、そこで傷ついているのが私ではないという道理はない。
 もし私が先に誰かに大して不正なことをやったならば、確かに私はその件に関して罰せられても文句はない。私が不正な人間であったならば、私が不正な目にあったとしても、それは理不尽なこととは言えないだろう。
 だが実際にはどうだ? 私の親切心に対して、あいつらはいつも下品な笑みを浮かべながら、私の背中を蹴った。私が怒るのを見たかったのだ。私が怒って、怒っているのに何も言わず、静かに立ち去る姿を見て悦に浸りたかったのだ。
 でも私があいつらに対してできることなど何もなかった。関係のない人間を巻き込んで、そいつらを自分の味方につけて、それであいつらを叩きのめしたって、結局はその不正が広がるだけだ。だって連中を喜んで攻撃している傷ついていない連中は、私のために戦ってくれているのではなく、彼ら自身が傷つきたくないから戦っているのだ。

 正義なんてことよりも、ただ彼らは自分たちがひどい目に合わないことの方が重要だった。いやもっといえば、彼らにとっては、他者がひどい目に合わないことよりも、彼ら自身が人をイジメる楽しみの中で生きる方が、愉快なことだった。

 それを変えることなんてできるはずない。だって、だって、学校は、教育は……そういう大人が、そういう子供たちに対して、何らかのくだらないルールを教える場所だから。
 人間はどうしようもなく穢れていて、くだらない存在だ。みんなまとめて滅びればいい。何度そう思ったことだろう。実際、私がこの世界で安心して暮らすためには、あの連中がまとめていなくならなくてはならない。あの、自分たちの方が強いと思ったら、正義も気遣いも何もなく、相手の精神が壊れるギリギリまでいたぶって「知ったことじゃないそんなつもりはありませんでした」という何食わぬ顔で生きているあの連中がいるかぎり、私はこの世の中を笑顔で、幸せに、暮らしていくことなどできるはずもない。

 私は不正を確かに憎んでいた。でも正義感が強いとか言われて、距離を置かれるのが嫌だった。私はただ、自分が傷つけられるのは嫌じゃなかったが、不正な目に遭うのが嫌だっただけなのだ。
 身を守らない人間は、いくらでも傷つけられる。これでもか、というほどにひどい目に遭う。私は確かに、そうやって生きてきた。だから強くなった。賢くなった。

 自分の弁護は全部自分でしなくてはならなかった。もし私の目の前に、自分の弁護が自分できなくて、多数の不正な告発者に囲まれて泣きそうになっている人がいたら、私は確かに、その人のために戦いたいと思ったのだ。
 それなのに、いざ私がそいつの味方をして、告発者たちをたじろがせたら、そいつときたら、まるで立場が入れ替わっただけかのように、連中のことをいたぶり始めた。それが弱肉強食の原理だ、と言わんばかりに。それが正当な権利だと言わんばかりに。私が憎んでいるのはあの連中ではなく、この光景であるというのに!

 許せないことが多すぎた。傷つくことにどれだけ慣れても、不正を加えられることにどれだけ慣れても、私の心は決して安らぐことはなかった。いつもいつも、絶え間ない苦痛の中で人生は進んでいった。

 死を望むようになった。死後の世界を望んでいたわけではない。ただ私の死が、何らかの抗議になればと思ったのだ。それほどまでに、どうしようもなく、私の心は傷つき過ぎていた。

 私には、彼らと共に生きることができない。私は、綺麗な世界の中でしか生きられない。
 あの連中と憎み合い、互いに傷つけ合いながら生きていくくらいなら、死んだ方がましだ。
 新しい世界を作らないといけない。でも私にその力はない。その力はなかった。

 私はやつらに抵抗することができない。私の吐き気の原因はそこにある。
 嘘つきども。豚ども。何も感じない連中。見て見ぬふりする連中。なかったことにする連中。
 私はあいつらが大嫌いだ。殺したいほど憎んでいる。

 でもきっとあいつらは私のことなど知りもしないことだろう。連中は今も、誰かに不正を加え、そいつ自身もきっと不正な目に遭っている。奴らが生きているのはそういう地獄であり、私はただ、その地獄から逃げ出すことしかできない。

 私は一個の傷つき過ぎた人間として、他の傷ついた人間を慰める存在でありたい。

 君は間違っていたかもしれないが、連中よりかはマシだった。ゆえに君が人よりも傷ついているなら、それだけ君がマシな人間であるということなのだろう。
 君が連中に怒りを抱いてなお、復讐せず、ただ耐えているだけなのは、君が弱いからじゃない。ただ君が、気高いからだ。賢いからだ。意味のないことをしない人間であるからだ。他者のことを尊重できる人間だからだ。
 自分のためにではなく、正真正銘の意味で他者のために、自分を犠牲にすることのできる人間だったからだ。

 私は君のことをよく分かっている。何も知らないけれど、でも君が、決して奴らが言うような人間でないということだけは分かっている。あいつらの言葉が全部、あいつら自身の欲望を満たすためのものでしかないということは、いやというほど分かっているから、君に加えられた不正な言葉は全部、無効にされたっていいものだ。いや、無効にされるべきものだ。
 君に加えられたすべての侮辱に対して、君がそれに対して侮辱で返さなかったならば、君はそれに対して完全に反論し、完全に己の身の潔白を証明したに等しい。少なくとも私にとってはそうだ。
 君が自己弁護できなかったのは、自己弁護したことがないほどに、不正の少ない人間だったからだろう。誰かに対して責められる心配のあるようなことを、してこなかったからだろう。君は今まで、自分がこんな風にひどい目に遭うかもしれないなんて、思ったことのない人間だったからだろう。
 君は連中よりマシな人間だった。それだけは、それだけははっきりと確信を持って言える。

 人に不正を加えて何とも思わない人間。不正を加えているという自覚すらない人間。

 あらゆる人間的な従うべき規範を見かけだけのものだと考え、それを利用して人を傷つけようとする人間。

 私は連中とだけは折り合えないし、敵とみなすことさえできない。

 私の世界には、連中のための牢屋すら存在しない。
 醜い生き物を見て喜ぶような趣味は私たちにはない。


 いつか連中が絶滅すればいい。

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