『思考停止するな』と説くことについて

『思考停止』の自己矛盾


「それは思考停止だ。考え続けろ」
 本屋に行っても、noteを見てても、そういう意見をよく目にする。

 その言葉の是非はどのような状況で言われているかによって変わるが、基本的に私はその言葉が嫌いだ。

「~するな」
「~すべきだ」
 これらの言い方からは、常に独断と偏見のにおいを感じる。押しつけと、息苦しさと、そして、思考停止のにおいがする。

 つまり私はこう言いたいのだ。
「『思考停止するな』は、思考停止なのではないか?」と。
 もしそうであるならば、思考停止することを悪だと捉えることは、根本的な自己矛盾に陥っていることになる。

現代社会の人々

 現代社会には、ほとんどものを考えない人たちがいる。
 それとは別に、自分ではものをしっかり考えていると思い込んでいるが、実際には考えが足りていない人たちがいる。
 しっかり考えていながら、自分の考えはまだまだ浅いと謙虚になっている人たちもいる。
 いつも考えすぎているせいで、考えるのをやめたいと思わずにいられない人たちもいる。

 人は、自分の言葉や意見が届かないとき、相手の理解力や思考力が足りないと感じる。だから、相手の理解力や思考力を高めなくてはならない、と推論する。
 「思考停止するな」と人に命令する人には「私は十二分に考えている」と思い込む傾向があると私は思っている。
 そういう人たちは、自分が考えていることの量や質を他者と比較することが習慣になっているように感じる。

 彼にとって「思考停止する」ということは「自分が考えているところまで来る前に、考えることをやめて行動してしまっている」ということを言っているように聞こえる。
 しかしその対象(彼曰く思考停止している人)にとっては、対象の考えている限界が、考え抜いた先であり、対象にとって「思考停止している人」は、自分よりさらに考えが足りていない人を指しているように聞こえるのではないかと思う。

思考がうまくできないのは意志の問題ではなく能力の問題では

 自分が考えたことのないところまで考えてみるということは、そう簡単なことではない。
 そして人は、自分以上にものを考えることができる人が存在するということを、頭では理解できても、感覚ではなかなか理解できないものなのだ。

 私には、頭が悪い人は『思考停止している』のではなく『そもそも高度な思考ができない』のではないかと思う。
 そういう人たちに対して、あれやこれやと方法論や道徳を語って『思考停止してはならない』と命令すること自体が、正に『思考停止の結果』に見える。(もちろんこれも、先ほど私が言った事柄が適用される。つまり『思考停止するな』と他者に言う人間は、私の言っていることをちゃんと理解できないであろうし、私の考えているところまで『思考することができない』であろう。それは思考を止めているのではなく、思考が届かないだけであり、意思の問題ではなく能力の問題である)

 私は今まで生きてきて「もっと深く考えられるようになりたい」「もっと頭がよくなりたい」と言っている人と山ほど出会ってきた。そういう人たちは積極的に自分より頭のいい人たちの意見を聞いたり本を読んだりして、学び取ろうとする。
 その結果として、ゆっくりではあるが、理解できることが増えていっているのは、この目で見てきた。人は、意識的にせよ無意識的にせよ成長していく。

 だがやはり、根本的な思考の方向性や深さは、一朝一夕で向上するものではない。それは、体重を減らしたり、長距離走のタイムを縮めたり、絵を上達させたりするようなもので、意識を少し変えるだけで何とかなる問題ではないのだ。

全ての人がものを深く考えられる必要はない

 私は、人間にはそれぞれ役割があって、うまく仕事を分担して生きているものだと思っている。
 深く考えられることは長所ではあるが、深く考えずすぐに行動できるというのも、また別の長所であると私は思う。深く考えた結果、そうであると考える方が自然だと思い至ったのだ。

 考えることを楽しいと思うなら、考えればいい。考えることが苦痛なら、それはきっと、その人には考えることが向いていないのだと思う。私は、考えるのが向いていない人に考えることを強要するのは、虐待に近いことであるような気がしている。

結論

 私は、自分の意志で思考を停止させることがあるからこそ、ほとんどの人はそもそもその『思考停止』が何なのか具体的に把握もしていないし理解もしていないように思う。
 私にとって思考を停止させるというのは、記事の最後の句点をつけるようなものだ。いつかは、終えなくてはならない。重要なのは、どこでやめるかということ。自分らしく、締めるということ。(そして当然ながら、また別の機会に続きから始めるのだ)

 思考を停止させることができるのは、そもそも思考をし続けている人間だけであり、そもそも世の中の大半の人にとって、思考は無理して行うことのようだ。あるいは、最初にそれっぽい答えを見つけたら、それでゴールとなってしまうもののようなのだ。

 思考がまともにできない人間に「考え続けろ!」と言うのは極めてナンセンス。
 思考の始め方すらろくに知らないのが現代人なのだから、もし相手のことを思うなら、手取り足取り一緒に考えていくしかない。

 私はそういう意味で、対話を重視する人には敬意を払っている。

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