創作物の価値について


 創られたものの価値は人々の思い込みによって決定するのか?


 今回は、手工業製品や絵画などの一点ものではなく、コピー可能な創作物一般に焦点を絞って考えていこうと思う。
 漫画や小説、グラフィクデザイン、動画、映画などの作品の価値について。

 単純な感覚に従って答えを出すならば、人から「これには価値がある」と思われれば思われるほど、それの価値が高まっていく。
 このnoteというサイトならば「閲覧数」なり「スキ数」なり「フォロワー数」なりで、その記事の価値が決定されるということである。
 この「価値」は「影響力」とニアリーイコールで、つまり自分の言った内容がどれだけ他者に影響できるかということが、価値に直結してくるわけだ。
 ここでひとつ大きな疑問が湧いてくる。
「内容がよければ、閲覧数は増えるだろうか」という疑問だ。
 ここでいうそもそも「内容のよさ」は何を示しているのだろうか? それにかけた時間? それともそれを書いた人の素の能力? それとも、大多数が共感できるかどうか?
 この方向で答えを出すのは少々厄介だと言える。必要な言葉の条件付けがあまりにも多いので、別の方向からアプローチしたい。
 関連する簡単な命題を取り上げよう。
「内容が悪くても、閲覧数の多いものはあるか?」
「内容がよくても、閲覧数の少ないものはあるか?」
 これはおそらく、肯定せざるを得ないと思われる。しかし、「閲覧数の多いものと少ないもののうち、内容がよいものが多いのはどちらか」という問に対しては、明らかに、相関関係が認められる。
 つまり、閲覧数が多い記事ほど、高いクオリティが維持されている場合が多く、閲覧数が少ない記事を、クオリティが低く、薄っぺらいことが多い。

 ここまでまとめると。
「内容の善し悪し」と「記事の影響力」:概ね正の相関関係
「記事の影響力」と「記事の価値」:ニアリーイコール
ゆえに
「内容の善し悪し」と「記事の価値」:概ね正の相関関係


 なんか馬鹿馬鹿しいなこれ。そもそも「記事の影響力」は比較的数値化が優しいのに対して「記事の価値」は1か0かで判断されがちだ。どちらかというと「記事の価値」を「ある」と思った人と「ない」と思った人の割合が「内容の善し悪し」に関係していて、そもそも「それを発見した人」の数が多くなければ、「価値がある」「価値がない」の判断の母数が少ないため無効になってしまう。
 この方向性で考えを進めると、先に「影響力」があり、「影響力」があるから、それに価値があるかないかの判断に意味が生じてくるということになってくる。判断する人がいなければ、内容の善し悪し自体が決定されない。

まとめると
「影響力が高い場合」→「判断する人が増える」→「記事に価値があると思う人が増える(同時に、記事に価値がないと思う人も増える)」(この割合の差が「内容の善し悪し」と表現される)
「影響力が低い場合」→「そもそも判断する人が少ない」→「善し悪しを判断する人の割合がどうであれ、記事に価値があると判断する人の総数が少ないので、価値がないものとされる」
ゆえに、「影響力」は、価値の大前提であり、それがなければ内容の善し悪しは価値に一切の影響を与えない。
(しかしおそらく、内容の善し悪しが影響力に少しずつ影響していくものだとも思われる。つまり、善いと思った人の割合が多ければ、それが人づてで影響力を獲得する可能性がある、ということである)

 となると、インターネット記事等の創作物は、もはや工業製品や食料品と似たシステムで価値が決まってくるという結論に行きつく。
 つまり、マーケティングの理論に合致するわけだ。え、なんか気持ちわる。

 現代社会のシステムだと、金の絡んでこない物事ですら、その価値を測ろうとすると、マーケティングの仕組みと同じものになってしまうのか。

 結局ネームバリューと最低水準のクオリティ、そしていかに効率的に内容物を届けられるか。そこには人間らしい自由や楽しみみたいなものが完全に排除されている。というか、それすら「内容物」「求められているもの」のうちに含まれてしまって、全部が欲望に帰結される。

 この理論に従うと「向けられた人間の欲望の総量」≒「ものごとの価値」になってしまう。
 そこには意志や経験にすら値段が付けられて、欲望の対象に変わってしまう。本来意志や経験は欲望をコントロールしたり、それに反対して行動するためにあるはずなのに、「意志したい」「経験したい」がひとつの欲望として振る舞ってしまう。

 そのうち「優しさ」や「愛情」にも値段が付き始めるのだろうか? それを欲しがる人が……「愛情深い人間になりたい」「優しい人間になりたい」と思う人が増えれば増えるほど「愛情深い人間になる方法」や「優しい人間になる方法」の値段が吊り上がる。

 いやいやそんな馬鹿みたいなことが……あるんだよなぁ。


 なんか頭痛いわ。晩御飯つくろ。

 読み直してみると、読み物としては言葉足らずだし、論理も穴だらけ。まぁ遊びだからいいよね。
 細かいデータとか持ち出しつつ、想定しうる批判の先回りしたりすれば、簡単な論文になりそう。
 『創造的作品の価値とマーケティング理論』みたいなタイトルで。

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