ねぇねぇ今何考えてるの?

「ねぇねぇまいちゃん今何考えてるの?」
「話せば長くなるけど、それでも聞く?」
「聞く」
「私たちは人の気持ちを想像することしかできないけど、その想像の結果、自分の気持ちを相手が想像していることすら想像するわけじゃん? でもそのさらにその先、相手が『この人は私の気持ちを想像しているだろうな』って想像していることすら想像している人間がどれだけいるのかなぁって。もっといえば、そのもう一段階上、さらに上、さらに上といって、そこまで考えて人と関わってる人ってどれだけいるのかなって考えてた。あと、そんなことをして意味があるのかっていうことと、もし意味のあるなしがあるなら、それはどこでその境界がひかれるんだろうって。それはもしかしたらウィトゲンシュタインの言った『世界の限界』に近い概念なのかなぁって」
「さっぱりわからん」

「ねぇねまいちゃん。机に突っ伏してるけど、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「また何か難しいこと考えてるんじゃない?」
「難しい、ねぇ。私は私がそのとき考えやすいことを考えてるだけだよ」
「じゃあ、何考えてたのか教えて?」
「勉強をやるときの脳みその使い方と、こうやって自然に思考するときの脳みその使い方は全然違うなって思って、それをどうやったら文章で表現できるか考えてた」
「ほう。それはちょっと私でも理解できるかも」
「勉強やる時ってさ、こうなんていうか、脳のギアをあげてるんだよね。エンジン燃やすみたいに、脳神経焼いている感じする。文章やその意義を頭に直接焼きいれるっていうか……」
「ごめんやっぱり分かんないわ」
「私、勉強やめたい」
「そんな一生懸命やらなくてよくない?」
「でもさ、勉強って効率が大事だっていうじゃん? だから効率を重視すると、完全に脱人格化して、記憶・理解ロボットになるのがもっともいいみたいなんだよね。勉強のことしか考えずに、ただただもっとも効率のいい作業を繰り返すことが、手っ取り早く点数が稼げるし、そうすることによってはじめて人から褒められるし、自分の自由な時間を持てる。頭のよさに対するコンプレックスも持たずにいられる。どれだけ考えるのが得意でも、それで成績が悪かったら屁理屈野郎だって判断されるのがこの世の中だから……」
「ごめん、思ったより重くてびびってる」

「ねぇまいちゃん。顔色悪いけど大丈夫?」
「自分の存在価値について考えてた」
「うわぁまた重たいものを」
「……」
「え、語らないの?」
「聞きたくないでしょ?」
「んー。どっちでもいいかな」
「じゃあ言わない。寂しくなるだけだから」
「まいちゃん……」

「ねぇまいちゃん?」
「ごめん。今ちょっと余裕ない」
「そっか」

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