社会科教師【ショートショート】


 中学校の教師になって三年目。その点では、この学年の生徒たちと同じだった。彼らも中学校の生活は三年目。中学生としては最後の一年であり、次のステップに進むための一番重要な時期。
 皆で一丸となって、受験に勝ち抜く。中学三年の秋は、多忙だった。ほとんどの生徒たちは初めての受験勉強で心身をすり減らしていて、彼らとその親御さんの奇行に対する対処にも追われていた。

 高校に行きたくないと我儘をいう生徒もいれば、自分の学力では絶対に入れないような高校に専願で行きたいと主張する無謀な生徒もいる。それぞれの人生が台無しにならないように、俺はそれぞれの生徒とその親御さんにアドバイスしなくてはならなかった。
 何度か言い合いにもなった。厳しい言葉をかける必要も、時にはあった。それもこれも、彼らの将来のため。
 俺は確かに忙しかったが、充実していた。ちゃんと自分が仕事をできているという実感があったし、授業の評判もよかった。好きだと言ってくれる生徒もいるし、他の先生方との関係性も悪くない。もちろん、気の合わない人は多いけれど、それなりの距離感で付き合えている。

 その日は皆、どこか疲れた表情をしていた。もちろん受験シーズンなのだから、家でも学校でも四六時中勉強してるだろうから当たり前。そうじゃない子も、ちゃんと自分が勉強すべき時に勉強できていないということで、焦りを感じているはずだ。
 自習が苦手な子も、せめて授業だけは眠い目をこすって集中しようと頑張っている。俺は、とりあえず彼らが授業に集中しやすいように、最近あった面白い話を五分ほどしようと思った。実際このシーズンの授業は受験にはあまり役に立たなくて、単なるそういう規則に過ぎないから、多少雑にやってもいい。生徒たちを休ませるのも、教師の役目だ。

 少し長引いてニ十分ほど話し込んでしまった。生徒たちの顔色は全体的によくなって、いいリフレッシュになったんじゃないかと思った。でも授業が始まると、皆の集中力はやはり落ちてきて、一生懸命やろうとしているのに、うまく理解できていない表情の生徒が増えてきた。
 でもそれはいつものことだから、仕方ないと思う。イライラしないようにしようと思った。

 その時、ふと目に入った窓際の生徒は、俺の見た覚えのない教材にかじりついて、必死で何かを書きこんでいる。
 何をしているのだろう? 純粋な好奇心と、俺の授業を全く聞く気がないという態度へのいら立ちが、半分ずつだった。
「おい」
「あ、はい。なんですか」
 恥ずかしげもなかった。授業中、教師が懸命に工夫して授業をしているのに、全く聞く気がなく、それをとがめられても、恥ずかしがったり隠そうとしたりせず、それが全く当然のことのように思っている。
「お前、何やってんの?」
「塾の課題やってました」
「今授業中やぞ」
「でも先生、さっきまでくだらない話してましたよね? 時間の無駄だと思ったんで。あ、でも授業始まってたんですね。気づきませんでした」
 嘘だと思った。こいつは、俺の授業自体を時間の無駄だと思っている。それに、こいつは成績がいいから、こいつがこんな風な態度をとっていると、他の真面目な子たちにも悪い影響を与えるかもしれない。
「お前にとっては時間の無駄かもしれんけど、周りの迷惑もちゃんと考えろよ」
「だから気づかなかったんです。ごめんなさい」
「気づかなかったわけはねぇだろ。もう授業、はじまってから三十分もたってるんだから」
「でもちょっと前まで雑談してたじゃないですか。さすがに、勉強とは関係のないつまらない話を何もせずに聞いているのは無駄ですよね? それくらいなら、別に塾の課題やったっていいじゃないですか」
 その生意気な態度に、心底腹が立った。ここで引き下がるわけにはいかなかった。だが、言葉はうまく出てこなかったから、窓際に寄りかかって、じっとその子を観察した。するとその男の子は、目に涙を浮かべ始めた。
「こうしているのも、無駄なので、授業に戻ってください。もう塾の課題はしまったんで」
「でも、○○。お前がそもそもそういうことをしなければ、皆の時間がこうやって無駄になることもなかったんだぞ」
「えぇ。それは申し訳ないと思います。授業が始まったことに気づかなかったのが、俺の落ち度です。ごめんなさい。だからもう授業を始めてください。俺のために皆の時間を使うのは申し訳ないです」
 泣いてるくせにまっすぐ俺の方を見て正論を言うのが、余計気に入らなかった。俺はじっとそいつを眺めて、黙っていた。授業を再開する気にはなれなかったのだ。

 そうこうしているうちにチャイムがなった。彼は休み時間になると、机に突っ伏して泣いた。誰も彼を気遣う生徒はいなかった。
 俺はなんだかどうでもよくなって、次の授業のある教室に向かった。


 結局彼はそれ以来、一度も教室に来なくなった。他の先生の話によると、ずっと会議室を貸し切りでつかって勉強をしているとのこと。
 あいつは授業態度こそ悪いが、テストでは常に学年でトップクラスの点数を取るから、きっと受験はうまくいくことだろう。だから、あいつのことを心配する必要はないし、実際あいつにとって中学レベルの授業はつまらないだけだったのも事実だろう。
 だから、これでよかったのだ。他のクラスの子たちは授業に集中できるし、あいつもつまらない授業で時間を無駄にせずに済む。
 俺のやったことは間違いではなかったはずだ。

 三年後、そいつが自殺をしたと聞いたとき、胸が少しだけ痛んだ。ほんの少しだけ。
 これを道徳の授業の小話に使うのも悪くないな、と思った。うん。
 自殺したら悲しむ人もいるんだよ、という話。我ながらいい思い付きだ。

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