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「理解度」を高める、スピーチ/プレゼンの最初の一歩

スピーチやプレゼンテーションをすることになったら、なにかしらの準備をする。

まれに、全く準備をしない人もいるけれど、それはちょっと怠慢じゃないかな。直前に依頼されたのなら仕方ない部分もある。だけど、予めお願いされたのであれば、しっかり準備しておくことだ。聞く人は「時間を使ってあなたの話を聞く」のだから、費やした時間を有意義なものにするのはスピーカーの最低限の責務だろう。

さて。皆さんだったらどんな準備をするだろうか。パワーポイントで資料を作成するだろうか。動画を用意する人もいるかも知れない。商品の試作品を展示することもあるだろう。

こういった、準備の中で絶対に忘れてはならないのが「受信者」の存在。ということくらいは、みんな知っているだろうけどね。けっこう見落としていることも多い気がするんだ。


受信者を知ることの意味

受信者というのは、平たく言うと「聞いてくれる人」なんだけど、どんな人が聞いてくれるのかを知っておくことはスピーチの精度を上げるうえで、とても有用だと思う。「受信者」の知識レベル、思考のクセ、生活習慣や社会通念などの背景といったものだ。

受信者のことを「しっかり考えて把握しておくこと」が、なぜ大切なのか。それは、キャッチボールに例えるとわかりやすいかな。例えば、プロ野球のピッチャーが小学生のキャッチャーに全力でストレートを投げ込むとする。

捕れないよね。

大谷翔平選手の全力の変化球を捕れるわけ無いじゃん。

当たり前なのだけれど、スピーチやプレゼンテーションにおいてはおざなりにされているケースを見かける。更に、反対のケースを考えてみよう。小学生のボールをプロのキャッチャーが捕るのはカンタンだ。カンタンなのだけれど、プロがかなり気を使っているということでもあるよね。実際のキャッチボールだったら微笑ましい光景なのだけれど、講演会だったらそうはいかない。プロのキャッチャーもお客様なのだ。カンタン過ぎては退屈してしまう。有意義な時間とは言いにくいだろうね。

受信者がどんな人物なのかを知る。そのうえでプレゼンテーションの内容を考える。つまりは、「誰が聞くのかによって内容も伝え方も変わる」というのが、実は最も自然なことなんだろうね。

野球のたとえ話だけで「受信者を知ることが大切」という説明をし続けるのは無理がある。ここまでのことは感覚的に捉えるだけで良いと思う。


受信者の知識レベルを考える

先日、1時間程度の講演を行ったので、これをサンプルにしてみようかな。

「地元中学生に「食からみたまちづくり」について話をして欲しい」という依頼だった。そもそも、こんなふわっとした演題で良いの?という疑問はあったんだけど。この疑義については、ちょっと横においておくとしよう。この講演を聞いた後、約半年間をかけて「まちづくりの企画」を作るのだという。そのための基礎講座であり、実例の紹介でもあるんだろうなあ。というくらいの感覚までは想像出来るね。だから、講演の着地点は「まちづくりの企画書を作り始める事ができる」ということになる。

まず、聞き手が誰か、だね。もちろん中学生であること。そして同時に聴講する中に先生がいること。ここからスピーチの内容を構成してくことになる。中学生の知識量を推し量ると、政治行政や社会経済を把握している人は少ないと思うよね。当然のことながら、まちづくりに参加して実績を上げている人も皆無に等しい。ということは「学校の外の社会」に関する知識が乏しい、と捉えられる。まずは、ここを確認。

演題に関連する知識レベルを知るには、実際に調査することが一番手っ取り早い。せっかく本番までに時間があるのだから、先生や中学生に直接確認するくらいの猶予はある。だから、手を抜かずに聞けばいいと思うんだ。なかなかやらない人も多いみたいだけどさ。

じゃあ、どんな調査をすれば良いのかってことだけど。中学生の現在の知識と、講演を理解するために必要な知識とのギャップを知るために調査するのが良いだろう。ちゃんと理解してもらうためには、新しい基礎知識が必要になる場合がある。飛ばしても良さそうな情報と、理解するために必要な情報ね。この必要な情報について、現時点でどの程度理解しているかを予め把握しておく。というのがぼくのスタイルだ。


受信者の思考のクセを知る

理解してもらうために必要な知識の理解度を把握したら、不足分をどうにかして解消しなくちゃいけないね。出来ることは大きくふたつ。当日の講演の中で理解してもらう、講演までに最低限の学習をしてもらう。このどちらかだろう。

より深い学びの場にするなら、後者がオススメだけれど、なかなかそうはいかないことも多い。諸事情もあるが、それ以外にも「そこまで時間を掛けて深堀りしなくても良い知識」である場合もある。基礎知識については「ざっくり理解してれば本編の内容は理解できるよ」という類のものだ。その場合は、予習するほどのことはないのだ。今回のケースは、まさにこれだったので「当日ざっくりと説明して短時間で概要を理解してもらえばいい」というスタンスで臨むことにした。

ここで障壁になるのは「ざっくりと短時間で」という部分だ。詳細を学ぶよりも、実は概略を理解するだけで留めるというのは、なかなか難しい。本質の核になる部分だけを抽出して、受信者が理解できるレベルで解説することになるからね。ここで役に立つのが「受信者の思考のクセ」なんだ。

ちょっと中学生の普段の生活を想像してみよう。朝起きてから学校に行って、勉強やら部活やらをして、友達と交流して、それからそれから、と順を追っていく。ホントぼんやりね。こんなのは妄想の世界だから、なんとなくで良いの。あと生活の中で、ちょっとしたイベントが発生するじゃない?友達と喧嘩したとか、部活でうまくいったとか。そういうのも想像してみる。そしたら、中学生がどんな行動を取るのか、というところまで続けて想像していく。その行動の素になっている感情の動きとか、思考のプロセスまで想像していく。もしもこんな想像を巡らせること自体が面倒だと感じたら、マンガを読んだら良いと思う。中学生だったらこうなりがちだよね、ということが描かれているもの。それこそ、感性も含めてわかり易いもんね。

受信者の思考のクセが見えたら、情報の提示の仕方も組み立てやすくなる。と思っている。A君がBさんを好きだとする。内緒にしてたのにクラスに知れ渡ってしまうとする。その時の心の動きや、思考はある程度想像しやすいかな。まあ、こういうことを利用して「例え話」に置き換えていく。すると「短時間」で「概略」が伝わりやすい。概略が伝わったところで「核」の部分をポンと伝えると、すっかり理解した雰囲気になるんだよね。本編を理解するために必要な知識については、理解したつもり程度でも前に進むことが出来る。だから、この程度で充分だろう。

本編をしっかり理解してもらう場合においても、受信者の思考のクセを活用することで「最短ルート」で「理解してもらう」ことが出来る。学校の授業のように繰り返し行うものではなくて、制限時間内に伝える必要があるのだから、なるべくなら最短ルートでいきたいところだ。短時間で理解してもらうことが出来れば、余剰の時間を「最も深く理解してもらいたいポイント」に費やすことが出来るというのも利点だね。

普段の生活から、思考のクセを読み取っておくととても話が伝わりやすくなる。


受信者の背景を知る

歴史をしっかりと理解するためには、時代背景を理解することが必要だと言われる。というのも、現代とは全く違う価値観が社会を支配していることがとても多いからね。例えば、中世ヨーロッパにおける宗教の立ち位置を知らないと、ローマ教会から破門されることの意味が正確に伝わらないでしょ。ちょっと寄り道するね。この時代は「人権」という概念がまだ存在していないんだよ。だから、現代でいう「人権」に該当するものが「キリスト教を信じているか」だったという捉え方をすると、破門がどれだけヤバいかがわかる。人権剥奪だと言われるのと一緒だからね。

これは、歴史という長い時間軸の話だけれども、実は似たような事例は身近なところにもたくさんある。似たような事例というのは破門の話じゃないよ。ぼくらとは違う社会通念をもったグループが存在する。ということね。この部分はとても重要で、ぼくの思考はぼくの周囲の社会通念の中で醸成されているし、その範囲内での常識であることも多い。だから、受信者に同じ論理で話しても、全く通用しないこともあるんだ。

受信者の背景にある、彼らの社会通念を把握することはけっこう大切なんだと思う。と同時に、発信者であるぼくらの持っている社会通念を伝えることも大切だろう。どちらかが正しいとか間違っているという議論は不毛なので、ホントにどうでも良い。ぼくが大切だと思うのは、互いに異なる社会通念のグループで生活をしていて、どちらも整合性を持って成り立っているという事実を知る、ということだ。純粋に知る。そのうえで、発信するし受信する。

実は、この点においてはかなりの失敗をしてきた。で、お互いの正義をぶつけ合って、結果として時間は無為に過ぎていくことになる。今回の事例のように「学生に向けた講話」であれば、「あのオッサンの話、意味わからん」で済むけれどね。商談や、事業推進ではかなり面倒なことになりかねない。

「相手の背景を知る」

理解しようがしまいが、それは二の次だ。相手がどういう文脈でその言葉を発していて、こちらの話はどういう文脈の上に成り立っているのか。そこを知ろうとする姿勢だけで充分だ。生活習慣や文化を本質的に理解することは出来ないよ。その社会にどっぷりと浸かって生活をともにしない限り。それでも何割かはわからないままじゃないかな。だけど、だから?知ろうとする姿勢がそのものが大切なんだろうね。大仰に聞こえるかもしれないけれど、コミュニケーションの真髄なんじゃないかとすら思うよね。

スピーチとはかけ離れたことのように聞こえるかもしれないけれど、スピーチやプレゼンテーションだって、双方向コミュニケーションの一種だ。だから、「受信者の背景」を知ろうとする姿勢はとても大切だと考えているよ。その姿勢は言葉の端々に出るからね。


「話す」の組み立ての始まり

受信者を知ることが、実はスピーチやプレゼンテーションをするにあたってはスタート地点になるとういことは伝わったでしょうか。相手の立場にたって考えるということはよく言われているけれど、細かく見ていくとこんな感じなんだと思うんだよね。

この前提条件が揃うと、「どんな資料を用意するのか」「そもそも、資料がいるのか」「話す順番はどうするか」「知識の補足が必要か」という疑問が解消することになる。スラスラではないけれど、適切な方向に進めることが出来るようになる。

ここまでの文脈でいくと、まるで「受信者にすり寄っている」ような感覚を覚える人もいるかも知れない。実際、そういう部分が大きいかもしれない。だけど、ちゃんと歩み寄ることで「相互理解が深まる」のだから良いのではないかと思う。誤解されそうだけど「伝えたいことを伝えきる」には、最も効果的なんじゃなかろうか。

コミュニケーションは「聞く」が8割って言うじゃない?その「聞く」がコールドリーディングに寄っているだけだと解釈している。だから相互コミュニケーション。

ちなみに、受信者の調査にかかる手間を省く意味で、はじめから条件に適合する受信者だけを集めるということもあるよね。というか、世の中に数多くかる「講演会」「勉強会」というもののほとんどはそうだろう。聞き手に回る場合、受信者として条件に適合しない「講演会」には参加しないほうが良いかもね。


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