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プレゼンというコース料理のメインと前菜

それなりに生きてると、それなりに人前で話すこともある。

それ以上に「人前で話す」誰かの「話を聞く」機会はずいぶんと多いよなぁ。

人の話を聞いていて、時々気になることがある。「キレイに上手に話そうとし過ぎだよなぁ。そりゃキレイに越したことはないけれど。それよりもずーっと大事なことがあるのに。」なんて、生意気な気持ちが出て来たりもする。

キレイに話すってことは、「言葉がスラスラ出てくる」とか、「間がいい」とか、「堂々としている」とか、まぁ喋り方のテクニックみたいなもの。でも、それよりもっと考えたほうが良いことがある。

誤解させてしまいそうだけど、テクニックは絶対に大切である。

どんなに料理について詳しくて、舌が良くても、包丁一つまともに扱えないようでは再現できる料理も限られてくる。当然優れた技術があれば、生み出す「モノ自体」や「発想」までも格段によくなるのだ。

ただし、プレゼンやスピーチの場合はちょっと異なる。

たいていの人は、ちゃんと日本語をしゃべることができる。noteで文章を読む楽しみを知っている人なら当然のことだ。つまり、最低限のテクニックは誰しもが持っているということになる。

そこで、僕がアドバイスするのはだいたい構成のことなんだよね。実は、話の構成ってかなり大切で、順番とか強弱でどうにでも見え方は変わると思ってる。

ということで、ここは料理人らしく料理に置き換えて話を進めることにしてみよかな。例えば外食だと、料理は2種類に大別することができる。

・メイン料理がはっきりしているもの

・メインは設定せず、流れを楽しむためのもの


基本的にプレゼンは「メイン料理がはっきりしているもの」である。と、言い切ってみたものの、たしかに後者のパターンもあるなぁ。でも、そっちは少し難易度が高いので前者であることにしておこう。

で、「メイン料理がはっきりしているもの」とはなんだろう。

焼き魚定食は焼き魚がメインだし、フレンチもメインディッシュという考え方がある。ラーメンや天丼みたいなものは、もうメインしかない。ということになるかな。この中でいくと、プレゼンは順番に話を展開させていくのだから、コース料理と捉えておくのが間違いないだろう。

ところで、こんなマニアックな例えを誰が喜ぶのだろうか。書いていて急に不安になったけど、今更書き直すのも面倒なので続てみる。

この「メインがはっきりしているもの」には、はっきりとした特徴がある。他のすべての料理はメインを引き立てるためにある、ということだ。これはもう、僕が言っているんじゃなくて、コース料理の考え方の基本のひとつだよね。

じゃあ、これをプレゼンに置き直してみると、言いたいこと(=メイン)を引き立てるために他の話が存在する。ということになるなぁ。資料の3ページ目に「ガツンと伝えたいこと」があるから、1~2ページ目も4~5ページ目も存在する。そういうあり方。

だから

大切なのは「引き立て役に徹することができているか」だったり、「引き立てるための伏線になっているか」だったりする・・・のだけど。

逆にメインの料理を台無しにしてしまうこともある。そう、ちょっと失敗しちゃったパターンもあることはあるのだ。

よくあるのが、メインよりも味の濃いものを持ってくるケース。鯛のしゃぶしゃぶをポンズで食べようとしている直前に、フォアグラのバターソテーというのは極端かもしれないけれど。メインの繊細な味がわかりにくくなる環境をつくってしまうのは、もってのほか。と言われてるし、食べているとそうだよなぁ、とも感じる。

置き換えると、プレゼンでもやりがちなことなんだよね。重要なメッセージの前に、根拠となる数字を提示するのは良いんだけど、その数字を細かく説明しすぎてメッセージがぼやけるなんてことも同じなんだろね。そんなときは、ざっくりで良いのだ。「数値から読み取れることは、これです。」とね。


もうひとつ多いのが、「多い」である。メイン料理の前にお腹がいっぱいになってしまう。空腹は最高の調味料と誰かが言っていたけど、その逆もまた真なりである。どんなに美味しい料理であっても、ホントにお腹がいっぱいだと味が落ちたように感じられるから不思議だ。無理して食べれば消化不良を起こすだろうし。

たかだか15分程度のプレゼンで、たくさんの情報を詰め込むと消化不良になっちゃうんだよね。「で、何が言いたいの?」みたいな感じ。聞き手はもういっぱいいっぱいなのだ。前菜なんかはちょっと物足りないくらいが丁度いいと思っておくのが良いだろう。


兎にも角にも。

「メインメッセージを伝えること、それ以外は引き立て役」

これに尽きる。今回のプレゼンでは「この一点さえ確実に伝われば満点」くらいの覚悟で、割り切った献立を考えると良いだろう。他の料理なんて忘れてもらって構わないのである。料理人はこのバランスやストーリー(流れ)の組み立てに心血を注いでいる。極端に言えば、一品一品はストーリーを支えるためのパーツでしかないとさえ考えているわけだ。

ところが、これを知らない人はやってしまうのである。さきほど紹介したような失敗を。

ちなみに、それを避けるために近年流行して定着してきているのが、メインメッセージを最初に出してしまうパターン。もうそれしか言わない。メインディッシュのみ。丼ものともいえるかな。料理に置き換えると、ちょっとストーリーとしての楽しみがなくて、寂しい気がする。なんか味気ない。

というのも・・・

丼ものみたいなのは、社員同士で行く昼食なら良いんだろね。でも、デートや接待には向かないということに反論は少ないと思う。

同じ課の中での会議なら、相手は身内だから普段のランチってことで考えられるから、丼ものプレゼンは相性が良い。でも、そうじゃないプレゼンは外に向かって行うものだから、よそ行きの感じが強くなるかな。つまりデートや接待に近い。そういった意味で、この丼ものプレゼンは味気ないのである。

さて、この味気ないという感覚は疎かにされがちだが、実に大切なポイントだと感じている。味気ないとか、趣がない、面白みがない、ということは「感動がない」に通じる道だからなんだろう。感動と言うのが大げさなら、心が動くかどうかということでも良い。

ここで、改めて「プレゼンとは何のために行うのか」を今一度言語化してみてる。

「こちらの意に沿った行動を、相手が自らの意思で実践すること」である。というのは、僕が言っただけなので本当のところは知らない。

知らないが、大外れでもないだろう。

人間のなかで、論理だけで行動を起こせるのは少数派だ。「人間とは感情をきっかけにして行動を起こす生き物」だと思ったほうが良い。その過程で論理検証が必要なだけなのだ、とも。

ここまでの話を整理すると。

「行動を促したい」

「感情が動くと行動する」

「丼ものプレゼンは感情を動かしにくい」

つまり、丼ものプレゼンは、「本来のプレゼンの目的にたどり着くには困難な道を選んでいる。」ということになるだろう。

でも、丼ものプレゼンの方が簡単なんだよね。効果もあるし。丼ものだって美味しいんだもの。

ただ、感動を生み出すには、やっぱり料理のつながりだけでストーリーを展開できるようになると、かなりパワーアップする。ということもある。そこでどうすれば良いかというと、構成力を強化すれば良いって話なんだけど。構成力を鍛えるにはそれなりの勉強と訓練が必要なのだ。いきなり親方やトップシェフになれないことに同じだろう。

世に多いプレゼンに関するノウハウ本には、構成力を鍛えるといった内容が本当に少ない。「誰でも達人プレゼン3ステップ」なんて、いかにも魅力的だけど「3ステップ」で達人だと言えるなら、僕だって達人くらいは名乗っても良いだろう。そんな訳ないのだ。ちょっとは鍛えたほうが良い。

プレゼン術の本を購入する人は、たぶん困っているのだ。その方たちに向かって、訓練しましょうというタイトルでは買ってもらえない。書籍もビジネスだからしょうがないけれど、何の効果も無い話じゃいけない。そうやって考えると、誰でもすぐに出来る「丼ものプレゼン」を教えることになるのだろう。

初心者ならば、丼ものから始めることに何の異論もない。ただ、その先がすぐ目の前にあって、知ってさえいれば工夫の仕方も思いつくだろうし、いずれはたどり着けるということを知って欲しいのだ。

実際、掛川YEG(商工会議所青年部)でも、このアドバイスを聞いただけで格段にスピーチが良くなった人もいる。他の人の話を聞くときも、構成力に注目しておくだけで参考になることもたくさんある。

だから、「プレゼンは構成力が命だ」ということを知ってほしい。

これが、僕の今日のメインディッシュである。


注:「丼もの」は、あくまで構成という視点での例えとして用いている。丼もの料理の奥の深さは、料理人として十二分に身にしみているのである。ということは、ちょっと補足させてもらっておこう。

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