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「かぐや姫の物語」にまつわる考察【二】

*かぐや姫の物語の考察、第二夜。私見が多数ありますので、備忘録として読んで頂ければと思います(逃げ)

まずは、原作の竹取物語。
いわずもがな、この「かぐや姫の物語」は「竹取物語」をベースにしている。

作者不詳。原作というものは残っておらず、いろいろな写本の内容も、求婚者が三人だったり五人だったり、結末も複数あるという。特に結末において、帝との手紙のやり取りや富士山で不老不死の薬を焼くくだりがあるものとないものがある。

高畑監督が好きだという写本のひとつ、今昔物語のなかの「竹取の翁、女児を見つけて養いし立てる語こと」に富士山の場面はない。テーマ的にあるとぼやけるし。この映画で、かぐや姫がほのかな情を交わしたのは帝ではなく、木地師の捨丸にいちゃんだし。(この木地師という設定も高畑監督の深い設定)
けれど、富士山の女神、コノハナサクヤヒメがかぐや姫ではないかとする説もある。富士には、月に帰らないかぐや姫の伝説もあるらしい。

また、かぐや姫の下地には羽衣伝説もあるという。映画内で、「三保の松原」で親子が空を見上げて別れを惜しんでいるシーンは天女(羽衣)伝説。

つまり、昔からいろいろな形で伝わる、「異界から誰かが来て地上の者を富ませ、去っていく物語」が繰り返されている世界。
折口信夫のいう「まれびと神」。異界も、海、空、あの世、宇宙、外国とある。乗り物もかぐや姫のように雲だったり、羽衣、船、中が空洞の木(うつぼ船)、円盤(茨城の有名なUFOうつぼ船騒動)。

神話の時代で言えば、常世から、あめのかがみぶね、ガガイモの船に乗って大国主を手伝いに来た小さなスクナヒコナがいる。

スクナヒコナはアイヌの小人の神さま、コロボックルでは、とも言われている。おりしも今日、姉とのラインで、姉が「ハクメイとミコチ」というコロボックルみたいな小人のアニメ面白いよ、と言い、シンクロだな、と思った。そしてこの神は、イザナミとイザナギの最初の子、ヒルコであろうという。Wikipedia↓

『古事記』において国産みの際、イザナギ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神。しかし、子作りの際に女神であるイザナミから先に男神のイザナギに声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまう。次に生まれたアハシマと共に、二神の子の数には入れないと記されている

戸谷学著の「ヒルコ・棄てられた謎の神」の中で、著者の考えでは、アマテラスの双子の兄弟ではと述べている。双子の穢れを祓う意味で流されたのでは、と。

また、偽書とされている「ホツマツタエ」でも、ヒルコはただ儀式的に流されたという。そしてワカヒメとして戻ってくる。和歌の神、下照姫である。

ここからの拡がりを語ると終わらないので、こういった背景を高畑監督もっと深く広く知った上で俯瞰して見ているに違いなかったということだけ述べておく。ただ、昔ばなしの焼き直しでかぐや姫という題材を選んだのではないということ。(いえ、映画のクチコミなどで、ただの昔話じゃん、という意見もあったので)

日本の「もののあわれ」の『原点』として選んだということ。その『下照姫』にはじまるという和歌について、古今和歌集の仮名序は↓

やまとうたは、人のこゝろをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。(中略)ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるはうたなり。

このうた、あめつちのひらけはじまりける(時)よりいできにけり。しかあれども、よにつたはれることは、ひさかたのあめにしては、したてるひめにはじまり、あらがねのつちにしては、すさのをのみことよりぞおこりける。(中略)

かくてぞはなをめで、とりをうらやみ、かすみをあはれび、つゆをかなしぶこゝろことばおほく、さま〴〵になりにける。(後略)

「力を入れずして天地をも動かし、眼に見える鬼神をも哀れと思わせ、男女の仲をも和らげ、猛きモノノフの心をも慰むるは歌なり」

仮名序は本当にいい文章だなあ、と思う。


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