作品に影響を与えてしまう作者の残像。

作品に影響を与えてしまう作者。
そりゃそうだろう、作者が作品作ってんだから。たしかに、その通りなんですが、作品を楽しむ事だけを考えた時、作者の存在って無くても良いんじゃないかなと思う時があるんです。
例えば、私の中学校来の友人(同級生)がいてまして、ずいぶん前ですが18禁漫画を描いて出版までした事がありました。古くからの友人の夢が叶った訳ですから、私もとても嬉しくて、是非読みたいと思いネットで閲覧できたので読んだんです。もちろん、18禁なので内容はアダルトなもので可愛らしい萌えキャラが………割愛。私も男ですし、普段からそういうの読みますよ。でも、ちらつくんです。絵も上手だし、キャラクターも可愛いんですが、友人のあの黒々した天パが。結局、初めの数ページ見て閉じました。

これと同様に、作品が好きなのに作者の人となりを知って幻滅する事がごく稀にあります。厳密に言うと作家さんって、あまり表に出ないので作者を知りようがなかった。
インタビュー記事や最近ではYoutubeなんかで作者自身の発言なんかが見れる機会がある。作品が好きであればあるほど、作者にも興味が湧く。でも、そこでの立ち振る舞いでがっかりしてしまう。きっと、作品にはたくさんの「理想」が詰まっていて「現実」とのギャップに勝手に落ち込んでいるだけなんです。ああ、でも最後まで夢を見させてほしい。とも思う。
キャラに恋してしまう事ってありますよね?
心を揺り動かされる事、ありますよね?
超可愛いキャラにときめいたり、ドキドキしたり。
でも作者の残像が見えた時、現実に引き戻されたりしないでしょうか?
中の人が見えた時の感覚ですね!

逆に良い影響を与える場合もある。
だが、個人的な思いだが作品を単純に楽しむには、作者の残像は見えない方が良いのかなと。
ジャンプの単行本で鳥山明先生の自画像がイラストだったんですが、なんでだろう?と小学生の時に思ってたんですが、こういう事だったんでしょうか?

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