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書評 NHK100分de名著 こころ 姜尚中  文学作品の解釈は色々とあるんだなぁと、驚かされた。

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 中学の時に、読書感想文を夏目漱石の「こころ」で書き、その時にハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。
 友達の好きな女を、卑怯な手段で奪い取るって、クズ人間だなと思った。
 その親友が隣の部屋で血まみれで死んで、そりゃトラウマで生きる気力もなくなるわ。
 誰かに、自分の想いのたけを語りたい。でも、親友Kに悪いし妻に本当のことを知られたくない。だから、死ねない。そんな時に、私と出会って告白して死んだ。
 これが、私の「こころ」という作品の理解だった。

 本書は、姜尚中による「こころ」の解釈である。
 人は自由と独立を求める生き物だが、その代償として孤独を味わわなくてはならなくなる。
 それは会社組織でやっていると不自由だが守って貰える。でも、独立開業すると自分で責任を背負わなくてはならない。そういうことなのだと思う。
 つまり、自由になるほど人は孤独になっていくということだ。

作家 として 漱石 が デビュー 以来 一貫 し て 描き つづけ て き た テーマ は、 明治 という 時代 の 始まり によって もたらさ れ た、 いわゆる「 近代的 自我」 と、 それ に 起因 する「 人間 の 孤独」 です。 漱石 が 生涯 に なし た 仕事 は この 一点 で あっ た と 言っ ても 過言 では あり ませ ん。

 Self-conscious の age( 自我 の 時代 = 引用 者 注) は individualism( 個人主義 = 同) を 生ず。     Self-consciousness( 自意識 = 同) の 結果 は 神経衰弱 を 生ず。 神経衰弱 は 二十世紀 の 共有 病 なり。

 漱石は「こころ」という作品を通して、自由と独立の代償として登場した「孤独」を描いたのだと本書では言っています。

 孤独の先には、死があるそうです。「こころ」にはたくさんの人の死が登場します。
 どうして、漱石はこのような作品書いたのか、ちょうど、その時期に大病を患い死を意識していたからだと言われています。
 それともう1つ・・・

藤村 青年 の 自殺 も その 一因 では ない かと いわ れ て い ます。

 藤村操は漱石の教え子であり、不可解な死を遂げた人物なのである。
 それから、もう1つ。明治という時代が終わったことです。乃木という将軍が殉死したのです。
 当時の漱石の周囲には死が渦巻いていたと言えます。

 必ず もう 一人 以上 の 協力 者 が いる の です。 それ は、 そうした 死 を 選ぶ 自分 の 真意 を 知っ て、 外 の 世界 に 語り 伝え て くれる 人 の 存在 です。

 乃木将軍を例にとり本書では、このことを説明しています。将軍がひっそり山奥で隠れて死んでも意味はなかった。それを外部に伝え語る人がいてこそ意味があるのです。孤独死では意味はない「殉死」になって意味が生じる。

 Kの話しや先生の話しを伝える人というのが「私」でした。だから、この小説は、私が主人公なのです。

『 こころ』 という 小説 は、「 私」 が 最終 的 に 語り 部 と なっ て「 先生」 の 死 を 語り継い で いる 物語 なの です。

 さて、先生ですが「高等遊民」でした。知識人ですが、社会に貢献しようとしない人。無職。
 漱石は、このような人々を色んな小説でリスペクトしていますが、何故か悲劇的な結末になっています。先生は最後に死にます。

 現在もよく「リーダー不在」などと言われていますが、それは、この時代もそうだったようです。


国家 に 教師 なし、 学校 に 教師 なし、 家庭 に 教師 なし という 状態 です。   では、 なぜ そう なっ た のかと 言え ば、 それ は 明治 という 時代 の 訪れ とともに、 社会 の 隅々 に 鋳型 に はめ た よう に 形式的 な「 制度」 の 枠 が はめ られ て いっ た からでは ない でしょ う か。
 だから、「私」は「高等遊民」である先生に近づいたのです。
 
 この作品は「私」を主語としての語りのパートと、この「先生」が語るパートにわかれていて、「私」から見た「先生」、「先生」から見た「私」、「私」と「先生」との対話という形で展開していきます。つまり、この「関係性」が重要なのです。

 さて、核心部分に入りましょう。


 「 然し 君、 恋 は 罪悪 です よ。 解 つて ゐ ます か」

 恋は罪悪であると「先生」はひつこいほどに「私」に語っています。
 それが過去の出来事の告白によって明らかになります。そこが物語の中核です。

 先生は学生時代に、母子家庭の家に下宿していた。そこに貧窮した親友kを招き入れて生活の面倒を見るのです。この下宿には、後に先生の妻となる美人女子学生がいました。
 学問だけをストイックに追及していたkが、彼女を好きになり、親友である先生に告白するのだが、先生もまた、彼女が好き。つまり、三角関係。先生は抜け駆けし、お嬢さんと婚約する。それに絶望したkは自殺。だから、恋は罪悪・・・なのだと、私はずっと思っていた。みんな、そう思っていたはず・・・。

 人によると、先生とkは心の友である。無意識下での恋愛感情。つまり、同性愛説を唱える人もいるという、ここは色んな解釈ができる場面なのです。

 先生は、愛する女性を手にしたが、親友kを失い。人生をダメにしてしまいます。

 kの死を、私は友に裏切られたからだと思っていた。同性愛説を唱える人たちも、同じようなことを言ってました。
 でも、本書の解釈では・・・、kの遺書には恨み言はなかった。あえてお嬢さんを無視している。
 kの死は失恋のせいだけでなく、それはきっかけにすぎない。元々、養子になっていた彼は医者になる必要があったが、実家の寺の影響で哲学やら宗教を学びたかった。それで養家とも実家にも断絶されてしまい。頼るべく親友の先生にも裏切られた。
 kの死の背景にあるのは「孤独」だと本書では言っています。将来に対する漠然とした不安なのかもしれません。

たった 一人 で 淋しく て たまら ず、 命 を 断っ た ─ ─。 つまり、「 孤独」 です。

 先生とkの会話は意味深である。


 彼 は 卒然「 覚悟?」 と 聞き まし た。 さ うし て 私 が まだ 何とも 答 へ ない 先 に「 覚悟、 ─ ─ 覚悟 なら ない 事 も ない」 と 付け 加 へ まし た。 彼 の 調子 は 独言 の やう でし た。 又 夢 の 中 の 言葉 の やう でし た。  

この 言葉 を、 K は「 すべて を 終わら せる こと」、 すなわち 自殺 の こと を 指し て 言っ た の です。 です から、「 先生」 は すぐ に それ と 気づい て 攻め 手 を 中止 し なけれ ば いけ なかっ た の です。 ところが、 冷静 な 判断 が でき なく なっ て いる「 先生」 は、「 お嬢さん に対して 突き進む」 ほう の 覚悟 と 勘違い し て しまい まし た。 それ ゆえ に ますます 危機感 を 感じ、 一刻 も 早く 手 を 打た ね ば と あせり、 お嬢さん への プロポーズ に 走っ た の です。

 本書の解釈と私のそれは少し違いますが、なるほど・・・、それならkの死の原因が「孤独」であるという考え方は成立します。
 kの中ではお嬢さんのことなど、たいした問題ではない。「孤独」という病に心の中が汚染されていたのです。先生が出し抜いてプロポーズしたのは死の原因ではなかったという解釈です。

 kの遺書にお嬢さんの名がなかったことからも、これは説得力がある。そして、先生の遺書とも言える手紙の中でも、本当のことは奥さん(お嬢さん)には知らせたくないという主旨のことが書かれていました。

 つまり、kも先生もお嬢さんが目に入っていない。ここが同性愛を主張している人たちが強調する場面なのです。
 kと先生は魂の結び合った親友であったのかもしれない。そこにお嬢さんが介在したことで、kの「孤独」は加速していったとも考えられます。同性愛ではなく友情の話しのような気がします。
 この場面の解釈・・・、正解なんてあるのか?。
 とも思うし、好きに解釈するのが面白い。それが文学です。

 謎を提示してはいるが、謎解きはしていません。
 これが文学だと本書でも言っています。

 革命家のカール・マルクスが「個としての人間は死する運命にあるが、類としての人間は永続する」と言っている。

 この物語も、私という語り手に出合えたことで、後の世に伝えられる。そういう形式の文学なのです。

 生き物としてのKや先生は死んだ。しかし、その物語の中で「私」の中に受け継がれ、永遠に・・・と本書でも言っています。


2020 2/23

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