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高貴な野蛮人 白洲次郎の言葉①

 今日から、我がいとしの白洲次郎の言葉を紹介していこうと思う。本当は、石原慎太郎氏が田中角栄になりきって書いた『天才』みたいに、白洲次郎本人の目線で描こうと思ったのだが、なんにせよいち学生の資金力ではそれを描けるほどの、彼の情報を収集することは難しく、断念せざるをえなかった。しかし、私としては彼の言葉をここで紹介できるだけでも大変うれしく思う次第である。

 これから何回かにわけて紹介する彼の言葉は、全て『プリンシプルのない日本』(新潮文庫)から引用するものである。現在私が把握している範囲では、白洲次郎本人が書いた本はこの一冊のみで、彼について記した本はたくさんあれども、それらはほとんど彼の死後(もしくは彼が退職した後)に第三者によって描かれたものであるので、ここではやはり彼が生み出した、彼自身の言葉を紹介したほうが筋が通っていると判断した。

 それでは記念すべき初回に、この言葉をご紹介しよう。

「英国にいて一番気持ちの好いのは、身分に関係なくお互いに人間的な尊厳を払うことだ。」

 イギリスのケンブリッジ大学に留学した白洲次郎は、そこでイギリスの一流貴族の振る舞いをしっかりとみにつけた。彼自身も神戸の大変裕福な家庭に育ったので、一種の貴族的な人々と親睦を深めるのは比較的簡単だったのかもしれない。人間はいかに生きるべきか、という命題にこの言葉は一つの道筋を照らしてくれるだろう。

 イギリスには今でも「身分」というか「階級」というものが確かに存在しており、この空気感は日本では感じにくいかもしれない。日本でしっくりくる言葉に置き換えるとしたら「肩書き」といったところだろうか。肩書き関係なく、人間的な尊厳を払うことが重要だ、と言えば大変わかりやすい。


 私は「人間的な尊厳を払う」ということが一体どれだけ難しいことだろうと最近考えている。今でこそ元通りになりつつあるが、コロナ禍において人と人との距離が物理的に遠くなっていると共に、「人間」というものに対しての精神的な、心の距離も遠くなっているようにも感じる。

以前、衝撃的な光景をみた。とあるスーパーで男がひとり、「俺の周りに近づくな!」と叫んでいたのである。実に自粛期間中の話である。叫んでいたのは彼ひとりだけであったので、周りは奇妙なものを見る目で彼の事をにらんでいた。確かに、叫んでいたのは彼ひとりだ。しかし、自分に近づくなと心の奥深くで思っていたのは彼だけではなかっただろう。自粛期間中、ほとんどの人間が心底で思っていたことである。

 人間が、人間のことを信頼できなくなっている時代である。そういった時代のなかで、どうやって人間的な尊厳を払うのだろう。白洲次郎が残した言葉をもとに、現代に生きる我々が考えるべきである。

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