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“善行”は“破壊”と紙一重

“善行”は“破壊”と紙一重

これは私が海外を旅して感じたことである。

“善行”とは、一般的に他人に対する善意の行動を示す。
“破壊”とは、ある物を壊すことを示す。

具体的に善行と言えば、ボランティア活動などが思い浮かぶ人がほとんどなのではないだろうか。

例えば、災害地へ赴いて食べ物の提供、不足物の支援など…

私はネパールの街、そして学校で約1ヶ月生活をした。
学生は日本の学生と違い色付きの鉛筆が無いのである。
ノート取るときも黒一色だった。
消しゴムなども1円玉くらいの大きさのものを大切に使っていた。
そして、色など関係なく、ボールペンなどとても高価で持っている人が少ない印象だった。
先生も使えるのは黒色のマーカー1本。
テストの採点などにしか赤色のペンは使用していなかった。

これを見たとき彼らに日本からボールペンや、色鉛筆、消しゴムなど様々な物を支援してあげることができたらもっともっとより良い教育を受けれるようになるのでは無いかと感じた。

彼らが日本のような教育を受けれないのは大きく言えば国の問題であり、ネパールが地理的に難しい位置に存在しているから仕方ないことは理解できるが、そのせいで良い教育が受けれないのは別問題だと感じたからだ。
もちろん日本の学生のようにタブレットなどもあるわけがなく、赤鉛筆1つでかなり環境が変わるのでは無いか。

そして、ネパールには信号機が存在していない。
それは、電力供給が安定していないから信号機を設置できないのである。
信号機がないのが彼らの中では普通であり、信号機に頼らずとも交通が成り立っているのが現状だ。
私のような人間からしたらタクシー1つ乗るにしてもそれはそれはとても恐ろしいものであった。
私は安直に、信号機設置しろよ…と感じてしまっていた。

ここまで、2つの例を挙げた。
わかりやすいように1つの国の例を挙げたのだが、ほとんどの発展途上国では同じ状況だろう。
何が言いたいか。
現状打破に経済的問題で困っているところに、私たちのような者、大きな力が介入するとどうなるか。
私のような一般人にできることは数は限られてしまうが鉛筆の支援など。企業や国レベルになると信号機などの支援。

これらの支援がこれから数十年と継続的に行える保証はどこにもない。
だとしたら、不自由があるかもしれないがそれを踏まえてうまく経済が成り立っている環境に、介入すべきではないと感じる。

支援が途絶えてしまった後、彼らがどうなるか。
想像できるだろう。
私たちのほとんどが現在スマートフォンというとても便利な物を持っている。
それが2025年の1月1日から使えなくなると考えたらどうだろうか。
日本の経済は大打撃を受け、大きく衰退してしまうだろう。

これと同じことが彼らに起こりうる。
人間は不便な物から便利な物への移行はすぐにできるが、便利な物から不便な物への移行には時間がかかる。なぜなら便利な物の便利さに漬け込んでしまうからだ。

題にした“善行”と“破壊”は紙一重。
支援する側の私たちは“善行”、彼らの助けになれば…という気持ちが前提で行う。
しかし支援が途絶えてしまった後の彼らにとっては将来的には大きな意味で“破壊”になってしまう。 

だからこそ“善行”と“破壊”は紙一重だと感じた。

ここまで読んでくださった方がどう感じたかはわからない。

ただ、こういう意見もあると思う。
それは、
「そんなことを言っていたらその国はいつまでも成長できなくなってしまう。なぜなら、他国からの支援に頼ってしまうと支援が途絶えてしまった後破壊に繋がるから…」

屁理屈かもしれないが私としては、「支援をしてはいけない」というつもりはない。

例えば、赤鉛筆と信号機。
物を物理的に支援し続けることが破壊に繋がると考えている。
それを作成するプロセスを伝える・教えることが本当の意味でのお互いにとっての“善行”になるだろう。

これは教育・学校と同じだろう。
答えを教えるのではなく答えを導くプロセスを生徒に教える。
これは規模は違えど国家間同士でも可能、何ならやらなければならないことだろう。
それが最大級の、永久的な支援、“善行”になるだろう。

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