鬼軍曹の本棚
鉄拳制裁
殴ると言う行為は、暴行罪や傷害罪に問われる。正当防衛等一部例外はあるが、どのような理由もその行為は正当化できない。
だか暴力を正当化する法律に守られた組織がある
それが自衛隊だ
その職務の正当性を鑑み、ある程度秩序ある実力行使を認める。
かつて政治家が自衛隊を暴力装置と言い大顰蹙をかったが、当時の私はあながち間違った意見ではないと思っていた
なぜなら私がいた00年代の内務班。分かりやすく言うと自衛官が住む寮は本来の職務と関係ない暴力が存在していた。
名を変え、姿を変えて
もちろん違法。当然規則でも鉄拳制裁は禁止されている。当たり前の話だが
ただ暴力を振るう人にはそれがどうもピンとこない
基地内で人を殴る訓練や銃を撃つ訓練をしてるのに、暴力禁止の法律や規則が心に響くかというとなかなか難しいらしい
殴れば逮捕され柵に囲まれた檻の中に
倫理を吹っ飛ばして簡潔に言うとこれが嫌だから暴力は振るわない人もいる
だが自衛官はすでに檻の中にいる。柵に囲まれた基地の中、内務班という檻に
内務3班に潜む鬼
私が新兵だった平成後期。そんな暴力を振るうやつはすでに時代遅れの絶滅危惧種だった。だがいなくなった訳ではなくしぶとく存在していた。運の悪いやつは遭遇する。
まさに私みたいなやつ
『内務3班に鬼がいるから挨拶してこい』
直属の内務班長にそう言われたのは着隊挨拶を同部屋の先輩に済ませた時だった
なんとなくそういう人もいるだろと覚悟をしていた私はあまりビビらなかった。
『失礼します。17日付で着隊し2班に配属されました。忍田1士です。よろしくお願いします』
鬼が潜む4人部屋に入るなり私は大声で挨拶し頭を下げた。返事を待ったが声は聞こえず少し遠慮がちに頭を上げた
最初に目があった先輩がそっと右に目線を向けた。その先には俯きながら作業服にアイロンをかけている人がいた
多分この人だろう。内務3班の鬼は
小柄で色白。見た目は鬼に程遠い。少し不機嫌そうな顔で私には目もくれず一心不乱にアイロンをしていた
嫌だなこんな人。明らかに聞こえてるのに無視する人。
ほんとに聞こえてないのかも。私は彼に近寄り改めて挨拶をした。より大きな声で
『うるさい。聞こえてるよ』
ようやく開いた口からでた言葉。機嫌の悪そうな低い声
『失礼しました。明日からよろしくお願いします』
早くその場から立ち去りたくて早口で言いドアに向かった
『おい』
後ろから呼び止められ
『なんでしょうか…』
『次に土足で俺の部屋に入ったらお前を殺すからな』
あろうことが私は屋外用の作業靴で鬼の棲家に入っていた
『今日は腹1発で勘弁してやる』
鬼の実態
その鬼の階級は3等空曹。旧軍基準だと軍曹になる。輸送ドライバーで仕事はできるのだろう。幹部や上級空曹に頼りにされていた。
翌日の勤務から私はその鬼の本領を見ることになる。まあ殴る蹴る。私やその他の後輩を。痛くないし怪我もしないレベルだが
理不尽になんの理由もなく殴るのではなく。仕事上のミスや無礼な行い(本人の匙加減)で
朝にコーヒーを入れなかった
書類を机の上に置きっぱなしにした
足が遅い
挨拶しなかった
敬礼を怠った
脇見運転をした
服装がだらしない
くだらないことや事故につながる行為まで等しく殴ってきた
当然だが後輩から嫌われ者だった。いかに理由があろうと毎日バカスカ殴ってきたらたまったもんじゃない
『お前なんで殴られたかわかるか?』
殴った後は必ずこう言った。その言葉が免罪符だと思ってるのかしらないが
内務班で彼はよく1人でいた。1人で風呂に行き…1人で酒を呑み。1人で外出する。
集団生活の中で1人ぼっちは目立つ。当人はさして気にしてないようだが
彼のベッド脇には小さな本棚があり沢山のカバーが掛かった本が置いてあった。本好きの私はなんの本を読んでるのか気になったが怖くて聞けなかった。
鬼との日々
だがある日を境に彼は人を殴らなくなった
殴らなくなったのではなく殴るのを我慢してる様子だったが…
『おい。飯でも行くか?』
そして困ったことに彼は少し社交的になり後輩を飯に誘うようになった
『すいません。用事が…』
日頃の行いが悪いからか皆に断られた。当然私も行かない
だがある日曜日。基地近くの書店で鬼と出会してしまった
『お。忍田じゃねえか。飯行こうぜ』
『…はい。行きます』
運が悪く間も悪い私は鬼と食事に行くハメになった
黒のシーマに乗せられなんとも浮かない気持ちで鬼と食事に向かった
今でも思い出す。道中彼は一言も喋らなかった。
音楽もラジオも流れない息苦しい車内。飯に行くのはいいがどこに向かっているのか分からない。
鬼は何を食べるの?
答えはCoCo壱だった。カレーって美味いよね
向かい合う席で一緒にカレーを食べた。
やはり彼は何も喋らない。なんとなく気まずい。なぜ私を誘ったんだろう
『タバコ吸ってくるわ』
ようやく口を開いたかと思えば彼はそのままお会計(自分の分だけ)を済まし店から出て行った。
慌てて残りのカレーを流し込み会計を済ませた
店から出ると鬼がタバコを吸い空を見上げていた
『美味かったな。忍田』
『はい。美味しかったです』
少しだけ来てよかったと思った。美味いカレーを食べれたから。1人ではなく2人で
彼は私に五百円2枚を投げつけた
ほんと。そういうところだぞ
鬼軍曹の本棚
次の日も彼はいつも通り周りに嫌われていた。暴力はなくなったがただ嫌われていた
そして今度は私を呑みに誘ってくるようになった。
『忍田。今度呑みに行かない?』
『すいません。しばらくは予定が詰まってます』
『そうか。またな』
彼のいいところは強制しないところだ。
鬼と飲みになんか怖くて行けるわけない。
なぜか私が鬼軍曹と一緒に飯に行ったことが噂になり同期からどんな感じだったのか聞かれるようになった。
『普通に飯食っただけだよ』
本当にそうなのだからそれ以上言いようがない。
私の言葉を聞いて皆少し納得いかない顔をしていた。
まあそうだよな。
ある日の午後。内務班のシーツ交換のために鬼軍曹の居室に入った。
彼のベッドに置かれた使用済みのシーツを取りにいった時にすぐ横にある本棚にカバーをしてない本があることに気付いた。
鬼はどんな本を読む?
ダメだ。プライバシーのない生活でも超えてはいけない一線がある。人の本棚を漁るなんて
だが読書家として気になる。鬼軍曹はどんな本を、
少し震える手でその本に手を伸ばし表紙に描かれたタイトルを見た
人との接し方。好かれる人の話し方
うろ覚えだがこんなタイトルだっと思う。
『あぁ』
私は思わず声が出てしまった。少しの悲しみと少しの喜び。いろんな感情が溢れ出てきた。本当に見てはいけない。そんな本だった
彼は変わろうともがいてるのか
本をめくると各ページに小さな文字で自分なりの意見や思いが書き込まれていた。
誰かが甘やかすのをやめて殴らないといけないと思っていた。
あるページにそう書きこまれていたのが印象的だった。
最後のページに一枚の紙が挟んであった。
後輩と食事に行く
後輩と飲みに行く
後輩と遊びに行く
そう書かれていて最初の食事に行くにチェックと私の名前が書いてあった…
本棚には他にもカバーをした社交術やアンガーマネジメントの方が沢山ならんでいた。
見てはいけなかったが見てしまった
本を元通りにし、部屋を離れた
かつてある部隊の隊長はパワハラで訴えられ
『経験に縛られて時代についていけなくなった』
と言ったらしい。多分鬼軍曹も若い頃は散々殴られて育てられてきたんだろう。
それが当たり前だと。それで私は学んだと。だから後輩にもやるんだと。
一体これから彼とどう接すればいいんだろう。分からなくなった。もがく彼に。もがいてるのを見えないように?
その日の課業終わりに内務班で彼と鉢合わせした。同じ場所に住んでるから当たり前だが
『おう忍田。今度呑みに行かねえか?』
いつも通り鬼軍曹はそう言った
6年後。私は人になった軍曹とメイド喫茶に行くことになる。
1番ダサい自衛官丸出しの坊主ドクロが私。ウサ耳が軍曹