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職場環境の変化に過剰適応してしまって適応障害になった話

私はよく笑い、よく喋り、よく仕事をした。人並みに楽しい人生を送っていた。趣味もあり、土日にも活発に動いていた方だと思う。
しかし、ある日突然、職場環境のストレスにより、笑えず、喋れず、仕事もできなくなった。身体は動くが、動悸がし、手が震え、涙が出て、頭も働かないので仕事になりようがない。
仕事だけではない。ベッドから起き上がるには気力がいるということを知った。ご飯を食べる、お風呂に入るというのも気力がないと出来ないと気づいた。今まで、当たり前にできていた日常行動は、心身のエネルギーを消費する行動だったのだと知った。
朝起きて排泄するだけ、またベッドに戻る。そんな生活である。廃人同然である。世界は180度変わったし、私の見る世界はずっとグレーだ。今までが色鮮やかすぎたのだろうか。

人からの励ましやは心に響かなくなった。他人の絵空事など全く私の心に響かなくなったのだ。しかしみんな優しい。私の周りはみんな優しい。なのになんで心が動かないのだろう。嬉しかったのに、心は動かなかった。むしろ罪悪感が湧いた。なんという矛盾。ゆっくり休んでね、と言われるとまたしても罪悪感が湧いた。どうして?元気なのに?と。
こうなったからには、できれば誰とも連絡取りたくないし、外部からの情報は遮断したい。好きだったKPOPも観れない、SNSも観れない。なんのために生きてるのだろうか。と問う日が増える。

辛くて泣いた時、胸にずっと何かつっかえて、吐き出したくても吐き出せない時、耐えるために自分で自分の手の甲を引っ掻いたり、つねって傷つけた。傷つけた時の記憶もなければ自覚もない。なぜなら、何も痛みを感じないのだ。身体が痛みを感じないほどに心が痛い、と叫んだのだ。痛みはないのに、傷跡だけが残ってしまった。心も身体も痛みを感じない、こんな廃人生きてて何になるのだろう。

こんな私を今、生かしているのは大事な家族、夫と愛猫、それと薬だ。それだけだ。でもね、生きる理由なんてそれだけでいいじゃない。むしろそれだけあれば十分なのかもしれないね。生かされたっていいよね。今日もさ、私は頑張ってるんだ。頑張って、休んでるんだ。30年間の疲れを取るためにね。私はそうやって、今を生きているよ。

※過剰適応とは、周りの環境に配慮し、他者に調和することを重視しすぎて常に気を張ってる状態
(心療内科医が教える本当の休み方:鈴木祐介著より引用)

2024.4.3
くるみもち


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