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ガッツポーズなんて、辛抱せえよ、バカチンがぁ

恩師に『きみは一本の道の上だけを歩いていると思ってるみたいやけど、分かれ道もあれば前に進んだと思っても戻っていることもある。戻るとか進むとかは考え方・捉え方次第。戻る、やり直すというのが受け入れられないなら、袋小路に出会ったから向きを変えて進んだと思えばいい。』

まわりはほぼ教員志望の中、教員志望でないのにろくに就職活動もせず4回生の終わりを迎え卒業制作展に励む中で変な勢いがつき、夢と希望と無謀さだけで就職の判断を誤り、早々と挫折し、大学を卒業してわずか3ヶ月で仕事を辞めることを涙ながらに報告に行ったとき言われたのだった

向く方向が進む先なら、進む先は自分次第、進むか、とまるかも自分次第

生きていくために社会人ぶって仕事をしたりおつきあいをするが、正直でいたいとも思う

愛想笑いをして、いつわりの高い声で相槌を打ち、お世辞を言い、頂いたものには必ずお礼をしなくちゃ、といつもギリギリの気持ちで何とか居場所を確保する

愛想笑いも出来てなければそっけない声出して、お世辞のひとつも言えへんやろ、無礼者!と思われてるかもしれないが、これでもめいっぱい嘘つかない程度には社会人ぶって生きているのでご勘弁を。。

自分のスキだけを大事にし、心尽くしのお礼の気持ちだけ持てていればいいのに、少し思いを飛び越えて自分で自分の世界を歪めてしまう

どれひとつとっても正真正銘心の底から、心を込めてできている事ならこんなふうなひねくれた事を書く必要はない

不誠実で心の無い事をしているとわかった上でやっているものだからこうして姑息にもこそこそと吐き出したくなってしまう

ここでだけは、正直でまっすぐでいたいと思い身をおいたはずなのに、いつしか孤立を恐れ、嫌われたくない一心で本当の気持ちは蓋をして取り繕う

ひとりが好き、嫌ってくれて別に構いませんと言いながら

そうやって自分でどんどん安住の地を奪っていく

そしてどんどんそんな自分や他の人を許したり受け入れたり、受け流したり出来なくする

自分を表現したくて、自分の情熱を形にしたくて、正直な気持ちをわかって欲しいと心身に火を灯し、思いを遂げるために炎をあげてまっすぐ進んだはずなのに燃え尽きたり火傷させたり、正直にまっすぐ進んで来たはずなのに、笑われてないかと人の目を気にし、批判されてないかと耳を澄ませ、自分から道を斜めに進んでいく

そもそも誰も見てないし、批判されるほど世の中にも出ていないのに

気にするべきは、自分の思う正直でまっすぐは本当にそうなのか、それが届けたい場所へ届いているかなのに、すぐ見失い別のところに向かって全力疾走してしまいもう前にも進めないし後ろに戻る力も残っていない

深刻ぶり、真面目くさって、めちゃくちゃ引っ張ったが

4月11日は『ガッツポーズの日』

ガッツ石松がゴンザレス戦で勝利し勝利の喜びに拳をあげた姿を新聞記者が、『ガッツポーズ』と呼んだ事から

小学校4年生から大学1年まで剣道をやっていたのに、勝った時にガッツポーズしたら判定取り消しになるというのは都市伝説でしょ?くらいに思っていたが、礼を重んじる武道全般本当にそうらしい

ガッツポーズをした人や、判定取り消しを見たことがないので知らなかった

武道から道について思い、今までの人生を思う

これだけ思考が飛んでいくってどうかしてるぜ、と我ながら思うが、感じたまま書き記しておこう

桜だ!お花だ!アートだ!と、浮かれている私を白々しく見ている私と、こういう悩める風の私を面倒くさそうと見ている私は、どちらも自分であって自分でないようなやっぱり全部自分である事を確かめる

どんどん入ってくる情報や、ルール(おそらく暗黙の)にいちいち過剰反応して、一喜一憂し、頭を悩ませる私には顔の見えない人と楽しくつながって気楽に世界広げるとか夢のまた夢

知れば疑心暗鬼になるのに、深堀りして内へ内へと向かうのをやめられない

リアルな世界でも『趣味の拗らせ』を満喫してる私は、自分の世界で生きていくのが良いのかしら

手へんに幼いと書いてこじらせる、すねるもこの字であります。。。4月11日武田鉄矢氏のお誕生日であります

『向いてるかどうか』『増やすのが目的?』『なんのためにやるか』で鬼のように検索して、どんどん沈むわたし

でも手を打った、大丈夫、もう大丈夫

正直に真っ直ぐであれ! 

変われるのかな、じゃなくてなるようになる!

そして少しのことは辛抱しろ!

4月11日は辛坊治郎氏のお誕生日でもあります
※お名前イジりはダメ!

自分を鼓舞して、自分の未来にガッツポーズ

今日も荒れ果てて、書き散らかす












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