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遅れて届いた荷物

2024年問題とか宅配業者へのクレームでもなくただのむかしばなし


自分は懐古主義なのだと思っていたが、懐古主義とは良かった昔を懐かしんだり、美化したりすることだそうだ

子どもの頃や若い時、家の中だけで行われていたこと、よその家でも行われていたかもしれないこと、自分だけが感じたこと、他の人も感じていたかもしれないこと

そういう事を知らなさ過ぎて、引っかかったままの事を、書いて自分で読んで、向き合うとか癒やすとかではなく、ごちゃごちゃ言うてんなあ、悲劇のヒロインかよ!と笑い飛ばしてしまいたい

くり返し思い出す、何てことない、誰の役にも立たない、そんな事


小学校の1、2年は姉の担任だった事もあるおおらかな先生で大好きだった

3、4年は美術に熱心な先生で、絵を書くのが大好きな私はその先生が大好きだった

5、6年は見た感じも話し方も、授業も、すべてが厳しい感じで怖かった

給食を食べきるまでは掃除で埃舞う中でも容赦なく食べさせる、宿題も多い、点数順とか早い者順とか何かと競争心を煽ってくる、などはどれにおいても個人的には問題ではなかったが、積極的で明るく賢い(ずるいという意味も含めて)子をお気に入りにしあからさまに可愛がり、私を含め何人かには片付けとか掃除の責任者、お手伝い係(雑用)みたいな事をさせるところがものすごく嫌だった

主役とその他大勢、光と影をはっきり位置づけ、どちらかに優劣をつけているように感じる、そういうやり方を

卒業して何年か後、近所の子どもが家に来て、わたしの使うフェルトで拵えた指人形みたいな鉛筆キャップを見たとき『それ僕の先生も持ってる!』と言い、その担任が5、6年の私の担任と同じ先生だったことがわかった

『手先が器用で、よく気のつく、助けてもらった教え子からもらったもの』でとても大切にしていると言っていたらしい

6年生の夏休みの自由課題で、家にあるフェルトの生地で作った動物や、女の子・男の子をくっつけた指人形みたいな鉛筆キャップを持っていくと、『可愛いなあ、ひとつちょうだい』と言われてあげたのを覚えている


数年前に亡くなった祖母は、私の母を悪く言い、あからさまに『いびって』いた

子どものときは同居してはいなかったが、お盆とお正月は一緒に過ごすことになる

お正月とお盆は大嫌いだったので、それを口実に参加しなくて良い大学受験のときが1番気楽だった

母のいない隙を狙っては悪口を言い、掃除や食事に文句をつけ、食事の時も必ず嫌なことを言い食卓を凍りつかせた

その母の子どもである我々姉妹は可愛くない存在で、特に写真を嫌がったり、地味な格好ばかりする私は『あんたのお母さんがあんなんやから、普通は喜んで写真撮って言うたり、女の子らしい格好するのに、この子はホンマに変な子になってしもて。あんたのお母さんは悪いわー』と言われ、母は『私の育て方が悪いんです。しかも私の悪いところばっかり似てすみません』と返す

ふたりともひどいこと言うよね

ノリが悪くてすみません、地味で女の子らしくなくてすみません、子育ての失敗作ですみません

よそのおうちでも、男の子だけ、自分の娘の子どもだけとあからさまに区別する祖父母がいる事は知っていたので『そういうもの』なんだと心の中に別の部屋を作って押し込んでいった

同居する事になったときも、うまくやれば良いものを躍起になり掃除や片付けに励んだり気を張って過ごしていた

歯向かえば母がなじられるし、父はそういう揉め事を嫌がるだけでかばってはくれない

30歳まで、家では猫以外には心を持たずに暮らしていたが、両親との不具合や祖母との戦いに疲れ果て、心の中の別の部屋ももうスペースが無くなり、実家を出た

母は大変そうだったが、祖母が病気で入院すると早々にボケだして怪我をし、色々行き届かない古い実家では生活できず施設で暮らしはじめた

月1回程度面会に行くと、丸く優しくなっていて、私の方は多少のわだかまりを残しつつも、昔話をしたり背中を掻いたり、痛がる腕のマッサージみたいな事をしながら過ごしていた

ある時、とても可愛がっていた従兄弟が来たが『あんた誰や?どこの、誰と誰の子や?』と聞いていて、それが毎回であるらしかった

私は必ず名前を呼んで部屋に招き入れられていたが、最後まで同居してた孫やしな、としか思わなかった

お葬式の日、ほとんど会ったことのなかった親戚に『○○さん(母の名)とこの下の子さん?』と声をかけられ挨拶すると『叔母さん(祖母)、○○さん(母)とは気合わへんけど、そこの下の子は掃除もうちの言う通りやるし、気い合うねんと言うてはった。それがあなたなんやねえ』と言われた

自分の中の思い浮かべるそれらの人のいる光景が白黒だったのが、少しずつ色がついていくような、そんな感覚

嫌だったり思い出しても楽しい時間ではなかったそれらの記憶を無かったことには出来ないが、自分の思い描いていた色なんてちょっとした事で塗り変わって違う色になるような、そんな複雑なものでもなんでもなかったんだなと思う

勝手に白黒やセピア色の世界を生きてきたような気がしてたけど、今は彩り豊かな世界を悠々と生きている気がしている

ちゃんと届いて、私も受け取る事ができて良かった。。。。。かな?










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