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はじめからさいごまで

椎名林檎『無罪モラトリアム』というアルバム

音楽はお好きですか?
CDを聴く方は減ってきているのでしょうか?

配信とかそういうのが主流ですか?

カセットテープを経てCDへ、その中間やその先には手を出していないアナログ人間で、愛用のKENWOODのミニコンポからラジオとCDで音楽を聴いている人が、アルバムについて書く

ここから本題

椎名林檎が好きなわけではない
(これは椎名林檎を好きな方や、音楽性とか世界観を愛する方に、万が一読まれたときの『わかっとらんなあ』という怒りに対しての言い訳を先に書いたものです)

このアルバムは、大学生の頃姉の部屋からしょっちゅう拝借しては聴いていた

今は二度の引っ越しの際にも手放さなかった好きな1枚(私のものになった)

姉の影響で聴き始めたものの、『幸福論』の歌詞に魅了され、歌い出しのジャズっぽい色気のあるピアノの音が大好き(Jamiroquaiのヴァーチャル・インサニティのイントロみたいで好き!とも思っていた)な『丸の内サディスティック』が特に好きでそこだけを何度も聴いていた

この2曲以外はあまり聴かず、気がつけばアルバムは終わったりしていたが、とにかくよく聴いていた

大学に入り、やや怠け癖が出始め課題提出の作品を夜遅くからしか取り組まなくなった6月頃、ふとラジオを消してこのアルバムをはじめから最後までじっくり聴きながら制作に励んだ

リピートし続け、気がつけば朝になっていたことも多々あったのでいまだにこのアルバムをかけると、昼間に聴いていても夜中から明け方の感じがするほどだ

制作中は手を止め曲を飛ばしたりしないので、曲と曲の間を味わうように耳を傾けるようになり(真面目にせいさくしろよ)息遣いとか次へのつながりがまるで見えるかのように、何かわからないけど切れてない感じがするのに気がついた(と感じた)

曲と曲の間の『間』にも何だか味わいがあるような、そうやってまるごと味わうと映画を見終わったかのようなちょっとした疲労みたいなものを感じる心地さえしてくる

正しい街が始まるとき、憧れの先輩の顔を思い出し切なさがこみ上げ、歌舞伎町の女王や丸の内サディスティックで気持ちはちょっと背伸びした都会へ飛び出した生意気娘がもう面影さえ感じさせない艶かな顔になり、幸福論からつみ木遊びまではもう次の、何かヤバいステージへうつり、ここでキスして・同じ夜・警告で惚れた男の影響で乙女に戻るかと思うと、モルヒネはもう何か意味わからんけど全部夢でした、ごめんみたいな現実への橋渡しでおしまい

そんなストーリーが、私の脳内で繰り広げられる

ベスト盤とかになるとまた違うのかもしれないけど、アルバムにはアーティストや創り手の緻密な計算やプロならではの技が込められているのだろう

この一枚を味わい尽くした事をきっかけに、アルバムを買うとあまり好みではない曲も通して聴いてまるごと味わうという楽しみ方をするようになった

そうなるともう聴きたい曲まで、そうでもない曲をとばして聴くと忘れ物をしたような物足りない気分になるようになった

本と同じで、気に入ったCDたちを手元に置いてその時聴きたい1枚をまるごと聴く

ラジオで知ったり、オムニバスライブで知ったりして購入してお気に入りを見つけていく

長く楽しめるお気に入りがまた少しずつ増えると良いな




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