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「大学生が数珠つなぎでかっこいい大人に会ってみた」 ~2人目やぶうちゅうさん~ 前編

皆さんこんにちは。ムタこと西牟田です。

「大学生が数珠つなぎでかっこいい大人に会ってみた」

朝山さんからつないで頂いた2人目は、エッセイ漫画家のやぶうちゅうさんです!

【やぶうちゅうさんのプロフィール】
エッセイ漫画家。代表作『ウチとオカン』(元ヤングケアラー体験記)、『貧困女子物語』など
オフィシャルサイト⬇︎"藪の中には宇宙があった"
https://yabuuchu.space/
障害児童、放課後等デイサービスの指導員。
外出自粛で虐待や悩みが「潜在化」
電話相談サイト“Shimmy(シンミー)”で電話相談受付。https://shimmy.jp/
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やぶうちゅう藪の中には宇宙があった!! オフィシャルサイト
yabuuchu.space

やぶうちゅうさんとのお話

※むたの自己紹介の一部抜粋。こんな居場所を作っていきたい。

むた

この画像を出した際に、一緒だと仰っていましたが、こういう居場所を作りたいと考えられているんですか?

やぶうちゅうさん

そうだね。私は大人の居場所のほうに注目しています。自己紹介の時にムタちゃんが言っていた自分のストレスの解消方法とか、自分のことを大切にしてあげることって大人でもできてない人が多くて。早ければ早い段階でできている人もいるんだけど、どうしても家庭の良し悪しや社会のシステムで、できてない不平等さがあります。そして、そのまま大人になっている人がたくさんいるなって思っています。なので、私はそういう大人の人たちの居場所だったり、分かってあげれる存在でいたいです。

大人でまとまって話しているときも、ここのところはよく出てくるから、必要なんだなと思っていて、これに沿ってできる場所を考えてつくっていっています。

むた

実際に作っていらっしゃるのですか?

やぶうちゅうさん

つくってもいるし、もちろんこれからも作っていこうと思っています。

私は、家庭環境が複雑だった人たちにフォーカスを当てています。所謂、子供の時に虐待されて大人になった人たち、虐待サバイバーと最近呼ばれているんですけど、そういう人たちの居場所を作りたいなって考えていてます。元気にしたい。

私自身が虐待されていた子供だったんですよ。父がDVで母がゆくゆく分かるのですが、知的障害だったんですよね。
私の体験的に障害と虐待って関係性があるんじゃないかと思っています。そう思い出したのは、虐待がある家庭を見たあたりからです。障害があると、普通の生活が難しいし、思い通りにいかないし、いらだつことがある。実際障害がある人たちのことを、たくさん調べていくと、壊れたロボットを操縦している感じというのを聞いたことがあります。本人ではどうにもならないところで身体が勝手に動いたりするんだなって思ったときに、その人たちと暮らしていくって普通の方法では難しいのではないかと思いました。その人のことをよく知らないといけないし、勉強もしないといけない。家族というだけで、そういう知識がないまま生活すると、虐待のようなことが起きてしまうんじゃないかと思いました。そこをちゃんと知っていくということが大切だと思っています。

まずそれを知るために今は、障害児童が通う放課後デイサービスでスタッフをしています。働きに入ってご家族とお話した際に、みんなものすごく大変と言う。腕を引っ張ったり、引きずっていかないと動けない状況などもあるんですよね。それは障害が重度な方なんです。自分の母親は障害は軽度でした。しかも身体ではなく脳の方の障害でした。脳って外から見えないじゃないですか。普通の人に見える。だから誰も気が付かなかった。見た目は普通のお母さんだったから。でも、生活をしているとお母さんらしくない。そもそもお母さんってなんだって話なんですけどね。自分が思っていたお母さんは所謂、ご飯を作ってくれて洗濯掃除をしてくれて、子供の面倒を見てくれる人だって思っていました。周りの友達のお母さんは、みんなそんな風に見えていました。周りは学校に行くときの物がそろっていたり、お弁当もつくってもらっていたけど、私の場合は持ち物を持たされない・お弁当もそろってない・帰ってもご飯がない・洗濯物はごみ袋の中に入ってタンスに入ってる。お母さんは寝てるだけで、「え、どういうこと」ってなりました。それに対してお父さんはすごく怒っていました。

お父さんは自分の話しかしない人でした。俺、すごいだろって同意を求めてくる。めんどくさいなと思っていたけど、それに同意をしないと暴れだしたり、DVの方に行っちゃうタイプだったので、思ってなくてもお父さんすごいねって言わないといけませんでした。面前DVっていって、お母さんが何もしないことをお父さんが怒って、お母さんを殴ったり、蹴ったりして病院に連れていかれたりとかありました。父からは、お母さんみたいになるなよっていうことをすごく言われてました。失敗すると怒鳴り散らかされたり、時には首絞められたり、お腹蹴られたり、身体的虐待を受けることもありました。外の人たちは聞こえていたと思うし、家の前でもお母さんがぼこぼこにされて野次馬が集まってきていたんですけど、通報してくれなかった「あ、聞こえてて見てるけど止めてくれないんだ」とその時思いました。

それから、警察に自分で通報して行くことになったんです。警察には、「あなたの両親はどちらも話が通じないんです。」と言われました。あと「お父さんを訴えるかどうか君が決めて」とも言われたんです。どういうことかというと、DVした人を数か月だけ半径何メートル近づけちゃいけないという保護命令があって、それを出すとその人は動けなくなっちゃうっていういものがあるんです。だけど、だからといって警察が24時間見てるわけではない。その人に言い聞かせて、普通の人だったら、それで動かなくなるのですが、言うことを聞かない人もいる。条例を出されてやっちゃいけませんよって禁止されてもDVしにやってくる。その効力の無さも説明されて、「あ、意味ないな」と思ったんですよ。私の父は絶対聞けないなって思ったし、それをやることでエスカレートするって思いました。それが中学校1年生の頃でした。その時に子供が家庭に対して、判断するのは酷だし重いことだと思いました。

あと、お母さんがお風呂に入らない人だったんですよ。同じ服をずっと着たまま着替えないで、お風呂も1か月以上入らないという状況で、匂いがすごくしました。そんな中で一緒に生活しているのは結構厳しくて。高校2年生の時に虐待のピークを迎えて、顔面を怪我してしまったことがありました。その時に学校の先生がその怪我を見つけてくれて、ようやく児童相談所に通報してもらえました。やっとそこで外の介入が入りました。保護されて自分の家の状態がどうなのか見てもらえることになったんですけど、ああいう社会的養護を受けられるのは18歳までなんです。その時17歳だったし、そこの児童相談所は満員で子供たちが次々と里親に入るのか、養子に行くのか、実家に帰るのか施設に入るのか、4選択を親の面談も交えて3か月くらいで決めなきゃいけなかったんです。その現場を見てて、私はまだこれから自分で動けるし、どうせ入れても1年ぐらいしかないって思って。お父さんもお母さんも面談には来てくれなかったので進路を決めることすらも成立しませんでした。そして、もういいやって思って家に帰りました。そのあと、学校の先生が帰ってきたことにびっくりしていて「じゃあ、もう1つしらべたほうがいい」という提案をしてきて。私のお母さんがもしかしたら病院に行った方がいいかもしれないって言われました。先生とお父さんに協力してもらって、お母さんを知的障害・脳を見る病院に連れて行きました。そこで、知能指数を図ったりカウンセリングや筆記をしました。色々やった結果、知的障害ですって言われて、その時に障害の名前を知ったんですよ。病院の先生に説明されて、「あ、障害があったからこんな風になっていたんだ」というのが分かって、腑に落ちたんです。そこから私はお母さんへの対応が変わりました。今までなんだか分からない変な親で、ずっと私はお母さんの代わりに家事をしてきたけど、障害があるって聞いたときに「あ、ふつうの対応じゃだめなんだ」って思いました。そこから、障害のことを気にかけてきました。

本当はお母さんは障害者申請を出して手帳をもらったり、そういう機関でリハビリしていかないといけなかった。でも周りに言うことを父は拒否しました。「家の恥だから、おまえら親戚に言うな。俺が連れて帰る」と言いました。
今、思うとおかしいと周りに言われるのが、障害が分かった時に、機関も病院もなぜ引き止めなかったのかということ。お母さんはそのとき既に50を過ぎた大人だったんですよ。子供だったらもちろん保護しないといけないし、サポートして自立できるようにしていくのですけど、50・60歳の大人に対して強制して何かをしようとすると、「大人の人権」が働くらしくて。自己責任・自分判断みたいな方向性に行ったんじゃなかろうかって言われて、「あ、大人って救ってもらえないんだな。」とその時すごく思いました。大人が救われないというのは、そのそばにいる子供も救わないってことなんです。

結局家に帰ってもお父さんはお母さんを変わらず殴り続けました。「あ、もうこれ変わんないな」と思っていました。その時にお母さんを見てくれていたお医者さんの言った言葉で私は背中を押されました。「障害のある人と生活しサポートしていくっていうのはプロの現場でもすごく大変なことを、お姉ちゃんすごくがんばったね。」って言われて。すごく認められた感じがしました。と同時にお父さんに向かって「この子は十分やってきたから、自分の人生を歩ませてあげなさいよ」と言ってくれたんですよ。

やっと認められたんだって思えたし、自分の人生歩んでいいんだって。

私は、家族に死ぬまで永遠縛られて生きていくんだって思ってたから。諦めて考えていたんですけど、ここから自分の人生変えていかなきゃって思って、関西から東京に出てきました。マンガやアニメが好きだったので、漫画家になりたいなって思っていました。絵はお父さんが唯一褒めてくれたものでした。小学校と中学校は絵のコンクールで最優秀賞だったり、テレビに出たりしていました。お父さんはそういうのを人に見せたがるし、自慢したいから応援してくれていました。でもお父さんが思うような作品や成績を出さないとすごくけなしてきたりもしました。でも褒められるために頑張ろうする自分もいたから極めていたんですよ。なので漫画家になるために東京に出ようと思いました。加えて、家から離れたいというのも理由としてありました。夢を叶えると同時に家出しようというのが上京のきっかけでした。

障害児童の学童クラブ、放課後等デイサービスにスタッフとして入りました。私が気づいていないところがあると思っていて。教科書などではなく実践で見ていこうと考えました。私自身が実践で母親という障害者と付き合っていたので。他の障害を持っている家庭に関わろうと思い、入っていきました。そういう風にやっていくと、私の家庭は母親が障害を持っていたんですけど、子供が障害を持っている家庭の場合、お母さんたちの居場所が少ないと思いました。自分の思うように意見が言えなかったりとか、障害者ということで偏見の目があったり。そうするとさっきムタちゃんが出した安心安全が確保できなかったりするんですよね。子供のことを一生見ないといけないって思ってしまって、自分を優先しているお母さんが少ないなと思ってます。悲観的でネガティブ思考のお母さんが多い。遠慮して生きているんですよ。迷惑かけてごめんなさいって常にごめんなさいと言っている。
将来のことに絶望を抱いていて、どうせこの子は障害あるから無理だって思っている。支援している機関サービスはあるんですけど、まだ分断されているし、社会的にまだ知られていない部類になっている。私が子供の頃にお母さんと過ごしている時に思っていたことと同じだったんですね。お母さんも人と違ったので変な目で見られるし、仲間に入れてもらえないし、汚いから私も外に出したくない見られたくない・隠したいと思っていました。すごい狭いところで行動しているなって見えてきたんですよね。それってすごいおかしいのではないかと思って。ずっとひそひそと人の目を気にして生きていかないといけないのかと不思議に思いました。
気持ちも内に向いちゃうし、周りもネガティブで。このままでいいのかなと思ったときに、私は絵をみてもらうことで人から評価してもらえることがあったので、何かアートを通じて他の人に打ち出せたりコミュニケーションをとることができないかなと考えていました。人に絵をかいてって話しかけてもらえたり、実は知的障害を持っていたお母さんとも絵でコミュニケーションがとれたという経験があったので、障害とアートをかけて世の中に何かアピールできたり、物を作ることで障害を持っていない人達とも、なにかコミュニケーションが取れないかなって思ってやったのが「やってみるんだ展」でした。

障害があると、できるかできないかという話がすごく出てきます。できる・できないとかではなくて、そこの子供や大人を見ていると単純に好きか嫌いかとかやりたいことはやる・やりたくないことはやらないって言う基準で動く。それって世間ではそんなんじゃうまくやっていけないよという価値観が多いと思うんですけど、私はその考え方がとても素敵だと思っています。やりたいことならやればいいし、やりたくないことはやらなくていいって思っています。

マンガを書いてて思ったのが、上手い・下手ってあるじゃないですか。私、マンガの業界に入ったときにアシスタントしてたんですけど、ものすごい下手だってけなされまくったんです。それですごく傷ついたし、上手くなろうと思っても限界があったんですよ。これって絵が上手くないと、諦めないといけない世界なのかなって思ったときに、マンガをたくさん読んでると絵が下手でも面白いのはたくさんあるんですよ。それを見つけたときに「あ、絵が下手でも面白いのが書ければいいんだ」って思って。面白くなかったとしても好きか嫌いかでやっていけばいいんだって。アートって正解がないんだなって。こうじゃないといけないっていうのはないんじゃないかなって思って。正解がないことに、これが正解だって押し付けてくる人が違うんじゃないのかなって思いました。

そして、放課後等デイサービスの代表の人にアートを取り入れたいって言ったんですよ。そこで色々見えてくることがあって。結構、障害を持っている子達って、相性がいいのか絵が得意な子が多いんです。書きたくない子は描かない、書きたい子は描く。



問題はスタッフだったんですよ。2色の色を使って表現しようっていう絵があったんですけど、ある子が1個目の色で塗りつぶして、2個目の色で更にその上から塗りつぶしちゃったんですよ。そうすると下の色は見えないじゃないですか。そのアートって1個目の色と2個目の色が混在するのが素敵というアートだったと思うんですけど、それをスタッフが2色目塗りつぶして、1色目意味ないじゃんと洗い流したんです。それを見て、他の人達が、「それ洗い流すの変じゃないって」と言ったら「これ2色見えていないと意味ないじゃん」と言いました。そこで思ったのが大人は完成形がこれであるべきという正解を持っているのだなと思って。それを子供に、こうじゃなきゃいけないよって勝手に書き入れたり、流したりするんだなと。この考え方が個性をつぶすのではないかなと思いました。こういう風にあらなければならないという考えが根底になっているんだなと発見できたので、これは世の中で共有していかないとなと思いました。

「やってみるんだ展」では一般の人も障害を持っている人も1つのアートをみんなで作るという風にしようと思って。そうすると自分と他の人の違いが見えてくるんですよ。自分はここが好きだけど、人から見たら全然違うように見えるというのを発見できるようになっていきました。
障害の人のことを知ることもできるし、障害を持ってない人の違いも知ることができる。それを違う・悪いとかではなく、このイベントで見てもらいたいなと思って、そういう場所づくりにしました。

むた
自分も居場所づくりをしたいと思ったときに、アート関係のことを取り入れたいと考えています。
本当にアートって正解ないじゃないですか。自分を表現できる手段としてアートを取り入れようと思っていたのですが、お話を聞いて、他の人との違いも知れることに気づけました。

やぶうちゅうさん

同調圧力のシステムが日本社会にはあって。同じが多いじゃないですか。学校の制服とか校則とか。みんな違ってみんないいっていうけれど、まだまだ同じじゃないといけないというところがある。虐待されたことがある・ないでも感じ方・捉え方は違うし。虐待を受けていない人からすると、「そういう考え方は生きづらいよね」とか、「そういう風だから前に進めないんだよ、こうしたらいいよ」という人もいます。手を差し伸べても全く違う生き方をしてきた人にとって、その方法が絶対いいかどうかは分からない。元々、人は違う。違いを知るということが大切なんじゃないかなって。最近は違いを知るということにすごく焦点を当てています。

むた

お話しするときに、つい自分もこれが普通なんだって価値観が強くなっちゃって、これ違うんじゃないって、つい言っちゃう。でも元々ひとりひとり違うわけだから自分の価値観を押し付けるのではなく、そういう考え方もあるんだよねっていうスタンスで話していきたいです。

やぶうちゅうさん

うん。みんな違う。家族もそうで。さっきムタちゃんに、お父さんとお母さんのお話を聞いたのも、やっぱり家族って派生していて。親や会ってきた人・社会に触れてきて、今のお父さんができていると思うのね。おじいちゃんおばあちゃんの上にも関わってきた人がいて、そこで学んで知って選択してきたことで、今がある。その感覚でおじいちゃん・おばあちゃんは、お父さんを育てて、お父さんとお母さんが結婚してムタちゃんが生まれた。そして2人の良いところや悪いところを見て、今のムタちゃんができている。けしてお父さんお母さんの考え方がどうこうだけではない。

私のお父さんは、おばあちゃんが厳しい人だった。親がいなかった状態で1人で頑張ってきた人だったの。小さいときにやんちゃして少年院に入った経歴もあるから、いろいろ思うこともあったと思います。お母さんのお母さんにもあったときに、この時点でお母さんのお母さんが障害があったんじゃないかって思いました。ここも離婚したり再婚したりで、義理の母三人ぐらいに育てられた。そう考えるとやっぱりあるのかなって。障害って遺伝的な面もなくはないのね。うちは発達障害気味。自閉スペクトラムといって人の話を聞いてることが難しい。今は訓練して聴けるようになったけど、自分の話をしてしまいがちなのね。人のことを考えられなくて、昔ものすごく嫌われました。自分が自閉スペクトラムとADHDというのを知って、「あ、だからか」って。小学校の時はいじめにあっていたし、人に合わせられないし友達とのスケジュールが組めなかったり、物事を優先順位が分からなかったり、忘れ物やミスも多く、記憶から頭からすっぽりなくなったりする。子供2人もやっぱりじっとしてられなくて。それは病名でどうこうとか、それがあったらいけないじゃなくて、自分を知る。人を知る。血液型みたいなものです。輸血しないといけないとき、A型だったらA型かO型の血をいれないといけない。レベル付けじゃなくラベル付け。そういうものを持っているのなら、そういうふうに対処したらいいのではないかと思いました。

人間って完璧にできているわけじゃなくて。妊娠して思ったんですが、お腹の中ではぐくんだものがみんな完璧なんて思えなくて。それって別に今の時代だからとかではなく、何億年と人間が生まれてからそういうものだと思うんです。人の話が聞けなかったりとか、狂気的であったり、怒りがコントロールできない障害もあるんです。生まれてきてから、そのあとで起こる物もあったりするらしいけれど、私のお父さんもそうだったのだと思います。おかしいことは全然ない。ただそこで理解できなかった、で終われなくてその人の周りだったり過去までさかのぼってどういう生活をしてきたのかだったりを見ていかないとその人のことって分からないよなって。そういう風に人を見るようになってきた。

むた

高校の時、お父さんに対して、目の前のお父さんしか見てこなかったんです。でも大学生になってから、こういうおじいちゃんおばあちゃんに育てられてこういう価値観になったんだとか考えれるようになりました。仕事場とかでもうまく溶け込めなくて辞めたりついたりを繰りかえしていたので、お父さんもお父さんで苦しい思いをしてたんだよなぁと。子供の時は目の前にいる人しか見えていないけど最近やっとそういう風に周りを見ることができるようになりました。

ここまで読んでくださりありがとうございます!

~続きは後編になります~

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