『むこうのくに』を観て【劇団ノーミーツ】

第一回第二回となんだかんだ観てしまっている。

前回に引き続きこのコロナ時代がまだまだ続いたら、こんな未来ももしかしたらあるんじゃない?っていうような話から物語が始まる。

仮想現実、なんか一時期流行ったような気がする、私の中でだけかもしれないが。

バーチャル空間で生活するという、ありそうで、なさそうな未来。

まずバーチャル空間で生活する人が増えた場合、リアル店舗が完全に淘汰されるとか思いがちだが、ネットショッピングがほとんどになってしまいリアル店舗が完全に淘汰されてしまった場合、物質を手に入れるのにラグが出来てしまい、確実に不自由を感じる人がいるはずなので、多分淘汰されないんだろうなとか、いくらリモートワークが主軸になったとしても、何かしらの配達員とか、リモートワークではどうにもならない事情が確実にあるので、やっぱりバーチャルの中だけでどうにもならないことがあるだろうな、というようなことを考えながら観ていた。

序盤、なかなかワクワクするような話で気になるところをメモしたりしながら観ていた。

中盤に差し掛かり、私の中では『あ、これまだ中盤のやつだ。』という思考が巡り始める。

こうなってから、その思考がぐるぐるしだしてしまった。

前回も思ったんだけど、ちょっと私にとってはいらないシーンが多すぎるのかもしれない。

もう少し簡易にやっていいところもあったのかなーなんて。

多分、場面転換やらそういう事情があってやってるシーンとかもある可能性があるので、仕方ないといえば仕方ないけど。

やっぱ2時間以上は長いかなぁ。

2時間以上やるなら、それなりの勢いの展開がほしいと思った。

こんなことを思ったのだが、コメントを見てると『もしかしてこの人って◯◯なんじゃない?』というようなコメントがあり「いや、この人はこうだったから、◯◯ではないだろ」って思いつつ、そういう人もいるのかとも思わされる。

私は演劇に、自分の想像力や考察を交えて観るのが好きなんだと思う。

演劇ってよく難しいとかめんどくさいとか言われたりしてる気がするんだけど、それは多分、演劇には観てる側の思考力もそれなりに必要で、それをよくわからない人からすると、難しいとかめんどくさいとかになっちゃうのかな。

ドラマとか映画とかって、意外とちょこちょこ説明的要素が含まれてたりすると思うんだけど、例えば主人公に嫌がらせをしている人が実は誰かから命令されて嫌々やっていた、っていうことがわかるシーンがちゃんと差し込まれてたりするわけじゃん?

演劇って、そういうところを差し込むことが全く無理ではないけど、変に回想みたいなのを入れて雰囲気壊れたり、明らかにシチュエーション変えないと差し込めないよねってこともあるから、そこを台詞や雰囲気で説明しちゃうことがあって、それを汲み取るのがまた面白かったりする。

オンライン配信でコメントがあると、その汲み取り部分がコメントによって補完されちゃったりして、観る人を選ぶなぁという印象。

コメントを消しちゃうと、DVD見てるみたくなっちゃうし、難しいなぁと思う。

私の中では、ある程度話は読めてるのに、わざわざ説明してくれちゃったりするのが、私にとってはいらなかったというだけの話か。

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