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世界一周の1ヶ国目で中止になって気付いたナニモノでもない自分

僕はナニモノでもない。

そう、気付いた旅だった。

2015年からリモートファーストを掲げ、リモートで働くことを最優先に掲げたてフリーランスになった。

時間と場所の自由を手に入れて、好きな場所へ好きな時に行った。さらに自由を拡大したくて、売上の目標を高く持って事業と自分の成長を続けた。

拠点を持つことに鍵があると感じて、瀬戸内海の小さな島に家を借りた。そこで体験したことや出会った人は僕の人生でかけがえのないモノとなった。「おかえり」と「ただいま」の意味をここまで深く考えるようになったのは、この小さな島のおかげだ。

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2020年には今持っている全てを捨てて世界を回ろうと決心した2018年。長く住んだ新宿を離れて、新しい住まいに決めたのは父の生まれ故郷である池袋。ここがとんでもない街だった。僕の生まれ育った足立区の竹ノ塚と同じくらいのとんでもシティ。

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冬になるとウエストゲートパーク(西口公園)名物のホームレスが、マンションの一階の踊り場に住み着くことがある。あまりの悪臭に警察を呼ぶと対応してくれた警察官が「あれは死臭だ」と教えてくれた。死にますん!

そのマンションは住み始めた2年後に建て壊しがされる予定だったので、ドアも壁紙もエアコンも何もないスケルトンの家だった。2年間住むためだけに50万円近くかけてDIYをするも、完遂するまえに力尽きる。一番大きな教訓は「DIYは甘くない。10年くらい拠点を持たないなら無駄だからやめとけ」だった。

そして、自分で決めた約束の日まで1年をきるところで当時、付き合っていた彼女が「私も一緒に行こうと思う」と旅立つ僕に着いてくる決心を固めたことを告げた。そして結婚する。(厳密には「結婚しないで一緒にいくつもり?」だったが、素敵な記憶に改ざんされている)

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2020年初頭、僕たちは大量のゴミと腐りきった物質的資本主義に別れをつげて、スーツケースとバックパックを1つずつ持って日本を出た。スパークジョイ!

金持ちのマネしてビジネスクラスで6大陸を渡り20以上の国を1年かけて周り(世界一周航空券では1人100万円くらい)、自分たちの存在する意義や人生の目的を探そうとしていた。


しかし、夢は無残に砕け散り1ヶ国目のタイで世界のコロナウイルスの感染拡大によって入国拒否と航空券のキャンセルによって、世界一周は中止になった。(結局は1年間でタイ、ミャンマー、エストニアの3ヶ国に滞在)

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途方にくれる間もなく変化していく世界。
今の状況で飛行機に乗るのは悪手と判断し、海と自然があるリゾート地へ身を隠すことにした。

そこで出会った人、動物、自然は僕たちの人生を大きく変えた。
欲深い僕が『これ以上は何もいらない』とポジティブに心から思ったのはこれが初めてで、コロナによる仕事の減少の中でも精神が豊かにいれたのは物価の安さと自然の豊かさ、そして生き物(人間込み)がくれる愛情のおかげだっただろう。

自分がどれだけ恵まれているのか。
日本という国に生まれて、小さい頃からインターネットにふれる機会があって、リモートファーストを掲げていたおかげで時間と場所の自由を持ち、どんな状況でも最低限のお金を稼ぐことができた。

現地で働く地元の人や近隣の国から出稼ぎにきている人々、自然に生きる動物と日常的に触れることで自分がどれだけ恵まれていたかを知る。

そんな時『僕は何かを達成しなければいけない』という強迫観念にさらされていたこと気がついた。

僕は小さい頃から何かになりたくて、焦って苦しんでいた。『まわりと同じことをしても意味がない』と物心着いた頃には思っていた。子供の頃のホームビデオには、全園児が参加する運動会の演技で中心に陣取る僕だけが、演技の最中に大の字で寝て砂コネコネタイムしている様子が収められていた。

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経済的に裕福な国から来る人、経済的に困窮した国から来た人、もとからそこで暮らす人が共に生活する環境に身をおいていると、自分をあらためて見直す機会は自ずとやってくる。

中学生の頃、学校へ行かなくなり髪を金髪に染めて口や耳の軟骨にピアスをあけて盗んだバイクで走り出していたいた僕(嘘です)に祖母(ばぁば)が言ってくれた言葉を思い出した。

「あなたはまだナニモノでもないから、何にでもなれるの。何になりたいの?」

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その時の僕は「じゃー、ばぁばはオリンピック選手になれるの?」とおふざけ全開で返答し、祖父(じぃじ)にブチギレられるのだが…。

僕は未だに、ナニモノでもない。
ばぁばが伝えようとしてくれ意味とは少し違うけど、ナニモノでもない。

ナニモノでもないから、ナニモノにもならない。
だから、何でもできる。

プログラマーになることも、お金をかけずに事業をおこし独立することも、エストニアに会社を作ることも、特定の住居を持たずに世界を移動しながら生活することも。

何かになりたかった。何かになるために家を捨てて、事業がダメになる覚悟で世界へ出てコワーキングやコリビング、Airbnbやホテルを渡り歩いて夫婦で生活をした。

そして分かったのはナニモノにも、ならなくていいという事だった。
コロナで世界は変わってしまったけど「こうあるべきだ!」と信じていた、自分もお変えるタイミングなのかもしれない。

なんにも見つからなかったけど、そんな風に自分を誇れる旅になった。そして僕たちは1年で旅をやめない決心をした。

みんなで乗り越えましょう!

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