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懐かしい黄金時代の記憶⑤ Work Free

ポーンとシンギングボールのような音が鳴って、瞑想時間の終わりを告げる。20分ほどの瞑想だったが、身体が熱くなり全身にエネルギーが満ちているのを感じる。

朝夕の瞑想と日々の植物の世話の効果もあって、エネルギーがトーラス状に循環している時間が長くなったので、いわゆる食事というのは1週間に1回ぐらいに落ち着いている。

もちろん、コミュニケーションの一環として友人と食事を共にすることもあるが、多くの人が食物からエネルギーを得る必要がなくなってきた今日では、食事=コミュニケーションという考え方自体が廃れていきつつある。

瞑想時間の終わりを知らせた黒い球体が近づいてきて、様々な情報のリストをホログラム表示していく。最新の宇宙天気予報によると、どうもここ数日は水星・金星近辺のソーラーフラッシュが酷く、通信や航行に一部障害が出ているらしい。

この球体はスフィアと呼ばれていて、昔あったパソコンや携帯電話といった情報端末の役割を担っている。正式名称はSPHERE (Solid Platform for Holographic Emitter and REcorder)という。

反重力推進で基本は常時宙に浮いており、不可視モードにしている間は見えないようになっている。何か必要な情報が入ったり、思考の中で気になることを意識したりするだけで、すぐ近づいてきて、1mぐらいの距離から関連した情報を提供し始める。

例えば、「瞑想時間20分」というように声に出して設定することもできるが、思考を読み取るように作られているため、頭の中で意図するだけでその設定を自動でしてくれる。時間帯や行動によって家や家具の形を変えたり、必要な荷物の発注や移動のためのカプセルの手配など、あらゆることを仲介するインターフェイスでもある。

情報端末としては、自分の嗜好や趣味、興味のパターンに応じて様々な情報を自動的にピックアップして表示してくれる。更には、興味の枠の外側にある情報も学習によって引っ張ってきてくれるので、同じ小さなグループの中の情報だけに触れ続けることもない。勿論色々なカスタマイズができるようになっている。

今の時代ではあらゆる情報がデジタルアーカイブに保存されているので、数百、数千の学術論文の要約から、かつてあって今は失われた農業の技術、歴史がどのように改竄されてきたかの記録、数ある宇宙テクノロジーについての解説まで、膨大な情報から自分が欲しい要素をわずか数秒でアウトプットしてくれるようになった。

出力も、文章、音声から、状況を再現する動画まで様々な方法が可能で、最近ではそれをVRの中で実体験することまでできるようになっている。過去の出来事や書物の内容の再現だけでなく、自分が創った物語や見ていた夢なども、VRで再現できるようになった。

今では、実際の技術習得をVRを介して行い、それを実地で実践するというような学習パターンが一般化している。しかし、それはその人がやってみたいと思った場合であって、興味がなければ特に何かを学習せずに生きる人もいる。

こうやってあらゆる情報に人類皆がアクセスできるようになったことで、一部の人達だけが情報を独占したり、改竄したり、隠ぺいしたりすることによって利益を得るというような構造が維持できなくなった。

また、物質が細かい粒子の集合体に過ぎないことが分かったことで、あらゆる物質をコピーすることができるようになった。分子レベルから再現することができるその装置はレプリケーターと呼ばれ、つくられたものをスキャンすることで、いくらでもコピーをつくり出すことができる。

大きさはつくりたいものによって様々だが、家庭レベルで必要なものは、大体かつての電子レンジぐらいの大きさのもので事足りる。それより大きなものが必要な場合は、情報を送ればカプセルに入れて運んできて来てくれるし、スペースを取って邪魔になるので、あまり大きなレプリケーターを手元に置いている人はいない。今では全長数百メートルの小型宇宙船ぐらいまではコピーができるようになっている。

これを使えば、巨匠と呼ばれる人たちがつくった一点物の茶器でも、実はいくらでもコピーができてしまうのだ。ただ、コピーにはコピーであることが分かる印が自動的に付けられるので、オリジナルとコピーは厳密には区別されている。

コピーが普及するということは、その作品や製品が素晴らしいと認める人が多くいるということなので、製作者がコピーが出回ることに対して文句を言うことはない。今では自らレプリケーターのデータベースに自分の作品を登録する人もいる。自分の創ったものを人に使ってもらえることへの喜びというのは、形を変えて今も受け継がれている。

レプリケーターによってコピーされた作品はすべて記録が残されるので、それがそのまま作品や作者の人気を測るバロメーターになっている。一方で、コピーが多ければ多いほどオリジナルの価値は非常に高くなるため、オリジナルをつくってもらおうという依頼も殺到する。

一点しかないオリジナルを誰に手渡すかは製作者の意志によるため、多くの場合その制作を手伝ったり、個人的に懇意にしている人の手に渡ることが多い。お互いの信頼関係がものをいう世界になっている。

今では、オリジナルを手に入れたいという意欲よりも、自分でオリジナルを創り出したいという意識の人が多いため、こういった職人へのいわゆる「弟子入り」というのが非常に増えた。

人気の職人は数千人の「弟子」を抱えているが、直接指導するのはほぼ無理なので、先ほどの動画やVRを用いたプログラムで自己学習するケースが多く、ごくまれにVRを介して直接指導してもらえる機会があったりする。

どこにどんな人がいて、どんなことをやっているのかもスフィアを通して一瞬で知ることができるので、興味を持った人に対してすぐにアプローチすることができる。もちろんそういう個人情報をネットワーク上に上げずに、隠遁者のようにして制作に打ち込んでいる職人も多いのだが。

レプリケーター配備からほどなくして、構成したものを素粒子レベルにまで分解する装置、リゾルバーも登場した。これは、壊れたものや不要になったもの、その他もろもろを放り込むだけで分解してくれるので、ごみとか排水といったものが全く出なくなった。

排水のように、汚濁した物質が混ざったようなものの場合、その成分だけを分解して、もとの浄水と同じ組成に戻すといったこともできるので、供給される水と出ていく水の質が同じで、汚染が下流に流れていくということがなくなった。

このリゾルバーの用途は思いのほか多く、初期の頃には廃棄物や化学物質に汚染された処分場や土壌、水源などの浄化のために用いられた。続いて旧時代の負の遺産とも言えるコンクリートやアスファルトなどを多用した都市の建造物、ダムや橋、道路といったものを消滅させるのに使われた。

かつて梅田と呼ばれた大都会が、緑豊かな空間としてこんなに早く蘇ることになったのは、このリゾルバーによるところが大きい。今は使うことがほとんどなくなったが、かつては数百メートルの大きさのリゾルバーが世界中のあちこちで稼働して、都市空間を消していくのに大きな役割を果たした。

このレプリケーター・リゾルバーが登場するよりも前の時点で、必要なものを生産する能力は全人類の需要をはるかに超えてしまっており、なおかつそのほとんどがAIとロボットによるフルオートメーションで実現していた。

これらの変化によって、そもそも人間が何らかの労働をする必要というのが基本的にはなくなった。かつてはAIとロボットに仕事を奪われると考えていた人達は、有り余る自由な時間と、生活を持続する上で必要なものがすべて提供されるという夢のような状況に直面することになった。

反動として、何をして良いか分からないある種の不安症のような状態に陥る人もいたが、何も心配をする必要がないことが分かってくると、そういった人々も人生を謳歌しようというように意識が変わっていった。

リゾルバーの登場によって、都市空間を消していくという活動に従事する人が一時的に増え、10年程の時間をかけて世界中から都市がなくなっていった。都市的な人工空間を好む人たちは、空中都市をあちこちに造ってそこに住むようになった。

都市と言ってもそれぞれが独立した居住空間を持ったカプセルなので、そのカプセルがたくさん連結している港のような場所といった方が正しい。中心部分に人々が集うことができる様々な空間が用意されていて、そこに自分のカプセルをドッキングさせる。

そこが気に入れば長く滞在すればよいし、他のところに興味が出てきたらそちらに移動するといった具合で、色々な空中都市を行ったり来たりする人が数多くいる。人気なのはコバルトブルーの海がきれいなビーチの近くや、冬の時期はオーロラが見える場所だったりする。

一方で自然を好む人達はリゾルバーで分解された都市空間を緑化する活動に熱心に携わった。レプリケーターを使えば様々な樹木もコピーすることはできたが、多くの人が自分で植えて育てていくことを好み、その成長を見守りながら暮らす人が世界各地に現れた。

食べられる植物や樹木をあちこちに植えたことで、特にフルーツは地球上に暮らす人類の必要量をはるかに上回ったため、多くが宇宙に輸送されるようになっていった。宇宙空間でも色々な植物を育てていたが、やはり地球産のものが味も格段に良く、人気が高かった。

こういったものの収穫から加工・梱包・輸送まで、今はロボットが自動で行っている。システムはAIによって管理され、さらにそのAIをチェックしてシステム事態を改善する統合AIもあるので、人間がひとつひとつの作業を監督するようなことはまずない。

それでもまれに、人間が介在してする必要のある作業もあるのだが。。。

続く


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