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Fight/Flightから○○へ

ご覧いただきありがとうございます。何とも分かりにくいタイトルですが、最近感じていることをまとめてみたいと思います。皆さんが嫌な出来事が起こった時に通常取る行動は大きく2つあるんですが、そうではない道について今回は書いてみます。

あなたはどんな行動をしていますか?

例えば、あるデパートをあなたが歩いていて、展示されていた大きな壺のそばを通りかかったとします。自分がそこを通り過ぎた瞬間に、壺が台から落ちてパリーンと割れてしまいました。

周りの人はまばらで、そこに警備員がやってきて、あなたを尋問し始め、「あなたが割ったのですか?」と聞かれました。この時あなたはどんな気持ちでいるでしょうか?

自分は関係ない!何で尋問されないといけないんだ!と怒り出すかもしれませんね。あるいは気付かずに壺を落としてしまったかも、と思いつつしどろもどろに言い訳をし始めるかもしれません。

また別の例ですが、あなたの家の近くにある原発がメルトダウンを起こしたとします。風向き的にはあなたの家に放射線は流れてこず、避難区域に選ばれることもない状況。

しかし、連日○○県は危険だというような報道がなされ、直接的には被害はなかったのに、まるであなたの住んでいる地域まで危険だというようなイメージで見られるようになります。ある日隣県に行って○○県のやつは来るな!という看板を見かけて落胆します。

この時、原発事故を起こした○○電力前に行って、原発反対!!のデモ運動
に参加するでしょうか?あるいは、ここに住んでいるのは良くないと感じて原発から離れた地域に引っ越すでしょうか?

Fight/Flightとは?

こういった場面での行動はどちらが良いというのはないのですが、その時にどんな反応をしているか?ということがポイントになってきます。どちらの例でも、前者の反応はFightつまり『闘う』という状態、後者がFlight『逃げる』という状態です。

一見すると出てくる行動が違うので、違う現象のように見えますが、どちらも『怖れ』が元になっているということが分かるでしょうか?相手に責められたくないという怖れ、よりひどいことが起こってしまうのではという怖れが行動の原動力になっているのです。

このように、危機的状況になると人は怖れに基づいたパターンの行動を取ることが非常に多いのです。そして、自分を守るために他者を攻撃したりその場から逃げ出したりという行動を取ります。

なぜそういう行動をするのか?

こういった反応が起こるのには、幼少期の出来事が関係しているのですが、例えばあなたは買ってほしいおやつがあったのに、それを買ってもらえなかったのかもしれません。

しかも、その時駄々をこねて床でじたばたし、その様子を見た親がひっぱたいてお店の外に無理やり引っ張っていったかもしれません。それにより、自分の願いは叶えてもらえない!という思いから、やりたいことを思いっきりできず、人の顔色をうかがうようになったかもしれません。

あるいは自己主張をして闘わないと自分の思うものは手に入らないんだ、と思うようになったかもしれませんね。そういった傷ついた経験が、困難に直面した時の反応パターンとして起こってしまうのです。

その行動をしている時、それが痛みに基づくパターンだと自分では気づいていません。それが当たり前だと思っているので。そうでない行動をするということを考え出すということができない状態になっていると言っても良いかもしれません。

Fight/Flightを超える道

多くの人は、潜在意識に刷り込まれた痛みによって反射的にどちらかの行動を取っていて、それ以外の道を選ぼうとしない事がほとんどです。そして、潜在意識は現状維持が最優先なので、自分を変えるような行動をさせない方向にもっていこうとするのです。

しかし、上でみたように幼少期に起こった出来事が傷となって、壊れた蓄音機のように不協和音を奏でている(いつも同じ所で音が飛んで聞けなくなったりしている状態)だけなので、故障を修理すれば元の通りきれいな音を奏でるようになります。

そのために必要なことは何でしょうか?それは、自分が傷ついた時に出し切れなかった感情を解放し、消化(昇華)してしまうということです。そのためには、その痛みと向き合う(Confront)必要があります。

どうすればいいの?

こんな風に言うと、向き合うってどうすればいいの?といった疑問や、いや自分は向き合ってる!という意見が聞こえてきそうですが、向き合うというのはどういうことなんでしょうか。

それは、起こった出来事に対しコメントしたり、批判したり、だからあれは○○だったんだと頭で理解して片付けようとしたり、自分は可哀想と自己憐憫に陥ったり、だから自分は○○なんだと自己否定したりしようとする一切をしないということです。

溢れてくる感情や身体に出てくる違和感を感じながら、ただそれと一緒にいるということです。やってみると分かりますが、それは思ったよりも簡単ではなかったりします。

喧嘩した相手の事を思い出しては、あいつが○○だったから自分は大変な目に遭った!とその出来事のストーリーを追いかけ始めたり、ただただ自分は可哀想なんだ!と泣き続けてみたりして、感情に自分をくっつけてしまうのです。そしてその感情が自分なんだ!とそれと同化してしまいます。

そうやって傷にしがみつき続けているために、いつまで経っても同じパターンの嫌な出来事が繰り返し引き起こされることになるんですね。苦しみの種を自分が持っているために、苦しみの花が咲いてしまうことを何度もやっているのです。

そういった嫌悪や渇望に取り込まれることなくただ湧き上がってくるものと向き合い、感じ切るということが苦しみの連鎖を断ち切るために最も重要です。ずっと抱えていた苦しみを持ち続けなくてよくなった時に初めて、物事が反転し喜びの種を蒔けるようになっていきます。そのためのサポートをさせていただいています。

苦しみでなく喜びの種を蒔いていきたいと思われる方、セッションのお問い合わせは下記まで。
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