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好きの消費と好きの比較

私には推しがいる。推しはかっこいい。推しは可愛い。推しは無敵だ。結局推しが世界一。これは冗談じゃなくて紛れもない事実。信仰心が強いし、私の世界では確実に推しがNo. 1で、推しが私の全てを決めるもの。まじでガチで本当に神。

で、私ちょっときもいから、推しへの好きっていう感情を文字にすることが心地いい。推しのどんなところが好きでどういうところがこんなんだからこうして好きなんだ!!!!って自分の語彙力を全力で振り絞って語ったり考察するのが好き。

でもそれをひとたびTwitterで呟くと、好きが消費されてる気分にもなる。言葉にすることで好きを感じて浸れるけど、言葉にしてしまったことで消化されて私の中の好きが消費されたものとなる。そして私の好きは色々な人に消費される。それが突然辛くなった。

Twitterで呟いて共感を得て、今日も仲良いオタクとわいわい‼️最高に楽しい‼️でも消費された私の好きは戻ってこない。

それと同時にTwitterは好きの比較がはじまる。私はこんな気持ちで好き!っていう自己満足が、でも私はこういうところが好き、私の方が好き!って比べるべきじゃないものが比べられる。

感情って比べるものじゃないのにね。自分の感情は他の誰もが持ち得ないもので。共感はあっても全く同じ物なんてないのに。消費され、さらに比較された私の感情はまるでなくなっちゃうみたい。急にあ〜なんか違うんだよなぁってなっちゃって。でもそしたら私も他の人の好きと比べだしちゃって醜くなっちゃう。そういう自分も嫌だった。

前回の記事
(※https://note.com/musubu_na/n/n45d6e7a88fcf)
はそういうこと。だからアカウント削除してみて、消費された好きを、越えるようにさらにたくさんの私独自の推しへの好きをたくさん貯めたいなと

いやまあ推しは世界一なので消費されても私の中では毎日のようにクソデカ感情が芽生えるんですけど。トトロのおまじない並みに秒で天まで伸びるんですが🌱

好きを心に貯めて、また精神が安定したらみんなと共感し合いたいわけ。

消費されてもなくならないのはまじで推しが世界一だから。いつも私の世界一でいてくれてありがとう。大好きだよ。ほんとは名前言いたいけど自重する!

かぁいい〜ね‼️
あぁ〜とぉ〜って推しの声が聞こえてくるね🥺
はやくあいたいよ〜🎶

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