見出し画像

めいそう日記Ver3〜Day10(+1000):舞台に立つ


1. 瞑想小咄〜舞台に立つ

あなたが最近経験した「舞台」とは何だろうか。人によって舞台の考え方はさまざま。それこそ、人前のステージで何かを発表したり、演じたりすることもあるだろうし、会議などの緊張感ある場でプレゼンをすることもある。人それぞれ舞台のあり方は違っても、舞台に立つということは、日常生活に訪れる、ちょっとしたスパイスのようなものだ。

私にとって最近の一つの舞台と言えば、ガイドをするとき。お客様にいい思い出を作ってもらうために、そして少しでも「来てよかった、学びになった」と思ってもらうために、入念に準備をする。しかし、準備をしたことがそっくりそのまま、ちゃんと使われることはあまりない。臨機応変に対応すること。これが大事。

もう一つ、私にとって大きな舞台があった。それが合気道の演武会。合気道には勝ち負けはないので、試合がない。そのため、自分の技や力量を見てもらうために、どちらが相手を投げるか・投げられるかをあらかじめ決めておいて、技を披露する場が設けられる。これが演武会だ。

余談ではあるが、私の合気道の先生がオリンピックの柔道の某試合について、やや苦言を呈していた。柔道は言わずもがな武道の一つ。しかし、最近は勝ち負けにこだわりすぎるあまり、本来武道で養われるべき精神面が疎かになり、勝負に勝つことに重きが置かれ過ぎているのではないかと。

その点、合気道に関しては相手に対して勝つことはない。自分が勝つことを目指すのは、自分に対してだ。先生はこのことを「あかつ(吾勝)」と呼んでいた。演武も、いわば自分に対しての勝負のようなものだ。これまでの自分の力量がどれほど上達することができたか。過去の自分、そして今の自分との勝負なのだ。

そんな演武会なのだが、本当に久しぶりだった。確か、アイルランドにいたときに演武のようなものをした記憶が薄らあるが、それ以来はやっていない。そう考えると、10年以上ぶりに演武をすることになる。

演武は、ペアで行われる場合と、グループで何組か一緒に行われる場合がある。今回私が参加した演武は後者の方で、他の組と一緒に演武をすることになった。

私は投げる方だったので、どのような技構成にするかを考えなければならなかった。そして、投げられる人は同じ道場に通う人。今回ペアになってくれたのは、合気道歴がまだ半年程度の人だったので、相手の力量を理解しつつ、丁寧に大きく技をかけることを意識することにした。

演武会直前。演舞の内容を確認し、演武会に臨む。演武会には他の道場の人たちや、大学生や高校生の合気道部など、さまざまな人たちが参加していた。最初に学生たちの演武が行われた。なんというか、とても懐かしい気持ちになって、自分が大学生の頃を思い出した。あの頃は、本当に一生懸命だったなぁ、と。彼らの姿を見ながら思ったものだ。

とにかくがむしゃらに、とにかくかっこよく。他の大学合気道部に負けないように稽古をした。勝負はないものの、ある意味で大学同士のメンツのぶつかり合いのようなものだった。

一方で大人になった今はというと、まさに誰かに勝つというよりも、自分に勝つような気持ちで演武会に臨んだ。途中小さなアクシデントはあったものの、久しぶりにしては上々の演武ができたように思う。投げられてくれた相方には感謝を表したい。

舞台に立つと、心が凛とする。緊張はするものの、自分が輝く舞台があるからこそ、それに向けて一生懸命になるのは昔から変わらない。大人になると、舞台に立つ機会は減ってしまうけれども、もしかしたら舞台は与えられるものだけではなく、自ら作るものなのかもしれない。

次の舞台はいつになるのか。そしてどんな舞台に立つことになるのか。それを楽しみにしながら、日々の研鑽に励むとしよう。

2. 今日の瞑想〜2024.8.15 Thu 6:15〜(10min)

木曜日の朝。仕事上で山場が続いている。今日もいろいろあるけれども、しっかり向き合っていこう。まずは瞑想から。

今日の瞑想音楽はこれ。

姿勢を整えて座る。山場を前にすると、雑念が湧いてきやすい。今日もそうだった。そんなときは、我を捨ててみること。そうすると、少しの間雑念が落ち着く。今日は9割方雑念が頭の中にいたけれども、少しの間でも静かな時間があって良かった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?