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めいそう日記Ver3〜Day15(+1000):コンフォートゾーンを超える

1. 瞑想小咄〜コンフォートゾーンを超える

コンフォートゾーンとは、自分にとって居心地がいいと思える状態や場所のことだ。そのような場所を見つけることによって、安心感や安堵感を得ることができ、その時に持っている自分の実力を発揮することができると言えるだろう。

居心地がいい場所にいると、そこから動きたくなくなってしまう。あえてリスクをとって、未知の場所に出かけていくよりも、そこでじっくりと腰を据えて取り組んだほうがいい。そういった考え方も理解できる。

しかし、コンフォートゾーンの中にずっといると、マンネリ化してしまうものだ。特に挑戦することもなく、ただぬるま湯の中にいるような状態。それ自体が悪いとは一概に言えないものの、その先への発展や進化につながるきっかけは得られにくいのが実情だ。

だからこそ、コンフォートゾーンを超える挑戦をすることが大切だ、と。過去に私は高校生たちに言ってきた。なのだが、今となっては自分の方がコンフォートゾーンにしがみついているのではないだろうかと、ふと思うことがある。

どちらかといえば、私は今までに環境を変化させてきた方だと思う。環境の変化に伴って、苦労はもちろんあった。だが、その苦労を経ることにより、それまでの自分では得ることができなかった新しいものの見方やスキルを身につけることができた。その当時のコンフォートゾーンを超える過去があったからこそ、今の自分があると言ってもいい。

では、今の自分はどうなのだろうか。自分がやりたいことはなんなのだろうか。と、そんななかなか答えが得られないような難しい問いについて、私のコーチングの先生と話をしたことがある。その時に先生から指摘されたのが、現在の私のコンフォートゾーンについてだった。

コンフォートゾーンは、その時々によって異なる。一回コンフォートゾーンを超える体験をすると、それまで「難しい」と思っていたことが、案外気にならなくなる。例えば外国語の習得について。英語を話すことができるようになってから、その次の言語へ挑戦することの心のハードルが下がったような気がする。きっと、「こうすればうまくいくはずだ」という答えを自分なりに得ることができたからだろう。

さて、今の私のコンフォートゾーンの端っこは何か。先生から指摘があったのは、「お金」だった。

そりゃぁ今の世の中、お金がないとなかなか不自由だ。そうではない生き方ももちろんあるけれど、私自身に限って言えば、やはりお金は必要だと思う。何か新しいことを始めようと思った時、その先に「先立つものはあるのか?」ということが、自分の足を止める要因になっているようだ。

失敗を恐れず、後先を考えず、自分の心の赴くままに挑戦することができたのは、多分20代の自分だったろう。あの頃は、我ながらかなりリスキーなこともやってきた。その頃の自分なら、ひょっとしたらお金のことを考えず、新しい世界へと飛び込むことができたのかもしれない。

さらに先生から言われたのは、「コンフォートゾーンを超えると違う世界が見えてくる」ということだった。今感じているしがらみや、自分を縛るようなものは、本当は幻想なのかもしれない。コンフォートゾーンの先には、未体験の認識が待っているのかもしれないのだから。

変わり目の今。自分のコンフォートゾーンを超える決意をするべきなのか、現状維持に徹するべきなのか。自分の心に深く深く、問うてみたい。

2. 今日の瞑想〜2024.8.24 Sat 8:55〜(10min)

土曜日の朝。この1週間の疲れが溜まっていたからか、昨晩はぐったりしていた。今日はのんびり寝ようと決めて、いつもよりゆっくりめに起床。さて、瞑想しよう。

今日の瞑想音楽はこれ。

横になったままでスタート。身体に意識を向けてみる。呼吸と共に、体の中から余分なものが抜けていくようにイメージ。息を吐きながら、余分なものが体から出ていくように。疲れとか、しんどさとか。しっかり休めた後だからか、眠気を感じることなく瞑想に集中できた。やはり体のコンディションは重要なのだなぁ。


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